第5話③「凪ぐ心」
夜のアストラシティ。
人工街灯が濡れた路面を淡く照らし、高層ビルの光が低い雲を鈍く染めている。
ネオンは雨の名残に滲み、赤も青も境界を失って溶け合っていた。
ユカはフードを深くかぶり、その光の川をひとり歩いていた。
冷たい風が頬を撫でる。
行き交う車の音も、人々の声も遠い。
まるで自分だけが、薄い膜一枚を隔てた別の世界を歩いているようだった。
やがて、人気のない公園へ辿り着く。
無人のブランコが風に揺れている。
ユカはポケットからハンカチを取り出し、濡れたベンチを丁寧に拭いた。
そこへ腰を下ろし、膝を抱える。
足元を落ち葉が転がっていく。
空を見上げた。
雲のように流れるデータ層。
その向こうで、アストラシティの都市ノイズが微かに脈打っている。
(……私、何やってるんだろ)
腹が立っていた。
悲しかった。
自分の気持ちを分かってもらえなかったことが悔しかった。
けれど、こうしてひとりになってみれば、別のことも見えてくる。
カイだって、自分を傷つけたくて言ったわけではない。
そんなことは、最初から分かっていた。
分かっていたのに――。
ピコ〜〜〜ン。
電子音に、ユカが顔を上げる。
「……え?」
街灯の向こうから、小さな影が飛んでくる。
ドローンモードのピコだ。
「あ、いた! ユカ!」
「……ピコ」
胸の奥に安堵が広がる。
同時に、少しだけ気まずい。
ピコはユカの目の前まで飛んでくると、呆れたように機体を傾けた。
「もう! さんざん探したんですよ。通信にもまったく出てくれないし!」
「通信?」
端末を取り出す。
画面を見たユカの目が丸くなった。
「……ほんとだ」
着信履歴が、ずらりと並んでいる。
「ごめん。全然気づかなかった」
ピコはロボットモードへ変形し、ベンチの隣にちょこんと腰掛けた。
「カイもね、反省してましたよ。“言い過ぎた”って」
ユカは膝に顔を寄せる。
「……私も」
少し考えてから、続けた。
「カイの話、ちゃんと聞かないで、自分の気持ちばっかり押しつけちゃった」
「では、お互いさまですね」
「……うん」
小さく笑った。
さっきまで胸の中で暴れていたものが、少しずつ落ち着いていく。
怒りも。
悲しさも。
悔しさも。
ゆっくりと波が収まっていくように。
心が、凪いでいく。
遠くでサイレンが鳴っていた。
アストラシティは、今夜も眠らない。
***
「……なんかさ」
ユカがぽつりと言った。
「いろいろ考えてたら、お腹減ってきちゃった」
ピコが即座に反応する。
「戻ってきましたね。いつものユカに」
「“いつもの”って何よ。私が万年欠食児童みたいじゃん」
「違うんですか? 具体例なら二十個ほど――」
「挙げないで!」
思わず吹き出した。
胸につかえていたものが、ようやくほどけていく。
「……よしっ!」
ユカは勢いよく立ち上がった。
「仲直りの印に、カイの好きなピザ買って帰ろうかな。特大サイズで!」
「それは効果的です。カイは単純ですから」
「ピコ、それ悪口だよ」
二人の笑い声が、夜の公園に小さな温度を灯した。
そのとき――
バリッ!!
空気が裂けた。
「……!」
街灯の光が波打つ。
視界が歪み、黒いノイズが走る。
空間に亀裂が生まれ、その奥から闇が滲み出した。
ユカの笑顔が消える。
「……この感じ」
ピコが即座に前へ出た。
「位相干渉、確認!」
亀裂の中から、二つの影が歩み出る。
ゲーツ。
そして、その隣には黒いマントをまとったノワ。
ノワは指先にまとわりつくノイズをくるくると弄びながら、無邪気に笑った。
「ユカ。今夜は静かで、いいわね」
ユカは一歩だけ後ろへ下がる。
(……二人相手じゃ勝ち目がない)
ゲーツの実力は、すでに見ている。
ノワも同じだ。
戦うべきではない。
(一撃離脱……逃げる!)
視線だけをピコへ送る。
ピコが小さくうなずいた。
「ゲーツ……ノワ……!」
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
ノワが楽しそうに首を傾げる。
「今日は“スカウト”よ?」
「スカウト?」
ゲーツが真っ直ぐユカを見る。
「ユカ。お前の力が必要だ」
低い声が、公園に響く。
「俺たちの仲間になれ」
「は?」
ノワが両手を広げた。
「ユカ、一緒にたくさん壊そうよ! きゃはっ♡ 壊すとね、世界って綺麗に輝くんだよ」
ユカの目つきが変わる。
「断るわ!」
光が弾けた。
右手に、光のタクトが顕現する。
同時にピコが護衛モードへ変形した。
「防御フィールド展開!」
それでも、ゲーツは動かなかった。
「なら――選択肢を消す」
「え?」
ゲーツの瞳が、深淵のように暗く染まる。
「《ヌル・レゾナンス――マインド・エクリプス》」
世界から、色が消えた。
「がっ……!」
頭の奥へ、何かが入り込んでくる。
痛みではない。
もっと恐ろしい。
思考の輪郭が、溶けていく。
「なに……これ……」
怒りが消える。
恐怖が消える。
逃げたいという意思さえ、薄れていく。
まるで月が闇に食われていくように、ユカという存在そのものが黒く塗り潰されていく。
「お前は断れない」
ゲーツの声が、頭の中へ直接響く。
「か、体が……動かない……!」
光のタクトが揺らぐ。
そして――消えた。
ノワが楽しそうに、くるりと回る。
「ほーら、落ちちゃうよ? 光って、意外と脆いんだよ♡」
ゲーツが右手を伸ばす。
黒い粒子が集まり、ユカの額へ迫っていく。
「仲間になれ――」
(頭が……)
冷たい。
(心が……冷えて……)
さっきまでとは違う。
先ほどまでユカの心は、怒りや悲しみが収まり、穏やかに凪いでいた。
けれど、これは違う。
波が収まったのではない。
波そのものが――消されていく。
(嫌……)
喜びも。
怒りも。
悲しみも。
大切な人を想う気持ちも。
すべてが遠ざかる。
(私が……私じゃなくなる……)
心が、凪いでいく。
何も感じなくなるほどに。
瞳から光が消えた。
「仲間になれ――」
「…………」
「仲間に――なれ――」
唇が動く。
「……はい、マスター……」
無機質な声だった。
ユカはゲーツの前に跪き、頭を垂れる。
「ユカぁぁぁーーっ!!」
ピコの絶叫が夜を貫いた。
その瞬間――
バシュッ!!
青白い光が、闇を切り裂いた。
凄まじい衝撃波が一直線に走る。
「!」
ゲーツが即座に身を翻す。
衝撃波が地面を抉り、爆風で木々が大きく揺れた。
舞い上がった葉が、夜空を埋め尽くす。
ユカを覆っていた圧力が途切れた。
「……はっ!」
瞳に光が戻る。
「ユカ!」
膝から崩れ落ちた身体を、ピコが支える。
「大丈夫ですか!?」
「ピ……コ……」
その先。
舞い上がる葉の向こうから、一人の男が歩いてくる。
黒いコート。
翻る裾。
右腕には、まだ青白い残光がまとわりついていた。
「カイ!」
ピコの声に、ユカが顔を上げる。
見慣れた背中だった。
何度も自分を守ってくれた背中。
そして――さっき、自分が拒絶してしまった背中。
カイはユカの前へ立つ。
その視線は、ゲーツだけを捉えていた。
「ゲーツ……言ったはずだ」
青白い光が、再び右腕へ集まっていく。
「お前は、俺が止める」
ゲーツは、その姿を見て――
にやりと笑った。
《第5話・終わり》
次回予告
静まり返った公園。
消えゆくノイズの向こうで、
父は娘の手を握った。
だが、また来ると言い残すゲーツ。
交わらなかった想い。
カイは世界が閉じるのを止められるのか。
一方、私は、強くなりたいと願う。
カイと並んで戦うために。
舞台は仮想層〈レイヤー・ゼロ〉へ。
光は重なり、波は共鳴し、
レゾナーレ・ルーキスが進化する。
次回、
『フラグメンツ・オブ・ヴェスティギア~魂の共鳴~』
第6話「父と娘」
交わらなかった想いは、
今度こそ――重なり合えるのか。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※『フラグメンツ・シリーズ』一覧はこちら。
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