第八話
話から、彼は明らかに被害者だ。けれど今は全てを信じることは出来ない。
シャルアはエトを心配しながらも、慎重に考えた。
疑いたくは無いが、同情を誘うために自作自演をする愚か者が一定数いるのだ。上流階級の人々が集まる宮殿の、特に医療関係では良く遭遇する。虐められた、怪我をさせられた、食事を抜かれたと大袈裟に言い、診断書を入手し、王や臣下達と何らかの接点を持とうとする。
彼はあいつらとは違うようだが、と思いながら、シャルアは軽く試してみることにした。
「実は、陛下から君を任されているんだ。その命令を聞く時に、名前も聞いていたんだ」
目を大きく見開いたエトは、すぐさま眉をへの字に曲げ、捨てられた仔犬の様に今にも泣きだしそうな顔をする。
「へ、陛下は、私を覚えていてくださったのですか……?」
声は震え、弱々しい。服を握り締める手は、力が籠り白くなっている。
「君を一目見てすぐに気付かれて、自分の所有物が酷い扱いをされたと怒っていらっしゃった。今回は事が大きくなると視越されて、呪いを解除できる俺の傍にいた方が安全と考えられたようだ」
「そうだったのですね……教えてくださり、ありがとうございます……よかったぁ……」
涙目のエトは胸を撫で下ろし、大きく息を吐いた。
〈どうして放置されたのか〉と追及せず、〈覚えていてもらえた〉と安心している。強張っていた肩の力が抜け、表情が和らいだのは火を見るより明らかだ。
其の姿は計算し尽くされたようには見えない。
身元を全て調べるまでは監視を緩ませられないが、エトを信じても良さそうだとシャルアは思う。
「陛下は自分の所有物は大切にする方だ。ただ……人間と時間の尺度が違うんだ」
一年もの間、王はエトを放置していた。それが冷遇に拍車をかけてしまったが、どうにもならない理由が隠されている。
人ではないと言う言い回しに、エトは戸惑いを見せる。
「産まれは人間だが、それを辞めた……いや、辞めさせられたのかな。エトは、大樹の物語を知っているかな?」
「はい。この国で最古の物語ですから」
「陛下や王家が、その竜の末裔であるのは?」
「勿論知っています」
分岐してしまった物語の中には、〈竜は人の姿に化け、人と交わり、代々黄金の樹の守護者となった〉と言う内容が存在する。
現王ディーガは、先代の国王と踊り子の間に生まれた妾の子だ。日々命を狙われ、冷遇を受ける日々に嫌気がさし、王位継承の戦いから一線を退いていた。
だがある日、突如として竜の力が発現し、黒かった瞳は赤く染まった。
「竜は何百年も生きる長命の生物だ。竜の力の覚醒によって陛下の中で、時間の尺度が人間とは異なるものへと変化してしまっているんだ」
王ディーガは年齢が40を超える。栄養豊富な食事と鍛え上げられた体のお陰で年齢よりも若さを保っていると思われがちだが、本当は違う。
竜の力に目覚めた時より王は、停滞に等しい程に老化の進行が著しく遅くなっているのだ。
身体能力は人間よりも遥かに高く、傷は即座に、骨折であれば数時間後に治る。毒に対する耐性も高く、王の暗殺は不可能とすら囁かれている。
富と権力だけでなく不老不死に近い体を手に入れる。夢のように思えるが代償は大きい。見えないものが見え、聞こえ、感じられるようになり、人間としての感覚や尺度が摩耗し易くなっている。力は膨れ上がり続け、王の中には耐え切れずに自殺をした人物もいたほどだ。
「私にとっての1年は、陛下にとって1週間にも満たないのですか?」
理解を示したエトは問いかけるが、シャルアは困った様子で眉を下げる。
「君の言う通りの時もあるし、人間とほぼ同じ尺度の時もあるんだ。陛下自身も、それを悩んでいるご様子で……納得できる説明じゃなくて、ごめん」
ディーガが即位されて19年を迎えようとしている。だが、王の本心を知れる者はいない。王に仕える医師の1人としてシャルアはある程度把握しているが、それでも分からない事柄の方が多かった。
「い、いえ! 違いがあると分かったので、謝らないでください!」
シャルアの謝罪に対して、エトは慌てた様子で言った。
傍から見れば有耶無耶な説明だが、エト自身は幾らか納得が出来た。
年配の人が〈ついこの間〉と語るものが〈数年前〉なんて話はよくあるが、ディーガの場合はその都度変わる。それを、知っていたからだ。
王の庭には、先王の時代から働く使用人や奴隷が多い。上位の使用人ともなれば、ハレムの美しい女性や男性に対して教育を施す。その中で、王との会話に細心の注意を払う様に、と事ある毎に言っていたのをエトは聞いていた。
時折会話が前後し、時間や認識が歪む。それを指摘してはならない。
一体何を言っているのか分からず、当時は疑問に思っていたが、シャルアの説明に納得をした。
王は代々竜と人の感覚を行き来し、常人では理解できない領域にいるのだ。
「明日は、陛下の健診なんだ。よかったら、一緒に行かないか?」
「私なんかが行って、良いのでしょうか」
王の所有物であるが、その前に奴隷である。奴隷が王の元へ足を運ぶなんて許されるのか。エトは不安げに目線を落とした。
「当然だ。陛下も心配されているだろうからね」
「……よろしくお願い致します」
自分に何が起きたのか報告し、問題解決の為に貢献しなければ。
姿勢を正し、正面を向いたエトは、シャルアに深々と頭を下げた。




