第六話
「今朝、日の出前です。奥様方の食事の毒見をしていました。それから記憶がありません」
「失神するほどの猛毒がハレムに……」
毒の中には、心拍や呼吸を極度に弱らせ一時的に仮死状態にする種類が存在する。
経験が浅いシャルアは、呪いを先に気付いてしまい、毒の症状について見落としてしまっていた。しかしシャルアは呪いを解除した後にエトへ治癒の魔術を掛けていたお陰で、毒の代謝を後押しし、回復に繋がったのも事実だ。
本当に、運が良かった。改めて勉強しなければ、とシャルアは心の中で反省をする。そして、人を失神させる程の毒が宮殿に持ち込まれている事実に、危機感を覚えた。
「どうして女性達の毒見役だったのかな?」
被害者であるエトが毒の所在を知る筈が無い。何故被害を被ったのかシャルアは訊いた。
王に出される食事が安全かどうか確認するために、実際に食して確認するのが毒見役だ。王の場合は奴隷と使用人頭による二重の毒見が行われ、ハレムの女性達の場合は女奴隷のいずれかが行っている。
奴隷は、所有者の絶対的な支配に服し、労働に従事する人間を指す言葉だ。彼等を所有する有力者にとっては、大切な労働力であり、財源だ。
対して使用人は平民層か貴族の生まれであり、雇われだ。定期的に賃金を受け取る代わりに、雇い主と奴隷よりも高度な主従関係を持ち、複雑な労働に従事する。
奴隷のエトが、毒見役を務めていても不思議ではない。しかし、それがハレムの女性の食事の毒見役となれば話は別だ。
上位の使用人でもない限り、男性は彼女達へ安易に近付くことは許されないからだ。
今のハレムにいる女性達は王の財によって買われた者だけでなく、戦利品や献上品として贈られた者も少なからずいる。不自由のない贅沢な暮らしが出来ても、様々な事情から王の庭から出たいと願う者はいるのだ。美しい女性に免疫のない男奴隷は特に利用されやすく、様々な方法で手助けをした記録が残っている。多くが失敗に終わったが、中には王に威信に関わる重大な罪を犯し、処刑に至った事例も存在する。
その為、王の庭では異性との接触は極力避けられている。それは刺青持ちであっても例外ではなく、監視として使用人が付いている。
「詳しい理由は分かりません。ただ、罰であると言われました」
「殺人未遂じゃないか」
毒の流通に、身勝手な制裁。王の庭内部の腐敗に、シャルアは顔をしかめる。
エトの話しから、王の庭の加害者達と呪いを宮殿に持ち込んだ犯人は、別である可能性が高くなった。仮死状態のエトを中庭に放置し、王の庭から逃亡したと見せかけたいのなら、呪いは全く必要ないからだ。
一番有力なのは、王への脅迫だ。
貴様の内部から蝕もう。刺青持ちのエトを付くことで、王の精神を削ろうとしていると考えられる。
「とりあえず、中庭に居た経緯は分かった。今度は君について知りたい。どの様な立場で、どうして怪我をしたのか順番に教えてもらえるかな?」
「はい。わかりました」
従順なエトは、改めて姿勢を正した。
彼は王の庭の掃除を任される奴隷の両親から生まれ、幼い頃から働いていた。掃除、荷物運びを主に行い、時には建築の手伝いをしていた。
「両親はご健在かな?」
「2人とも18年前の流行り病で亡くなりました」
「あっ、す、すまない」
シャルアが慌てて謝罪を述べると、エトは小さく首を振った。
「気になさらないでください。両親の事は……私自身、物心がついたばかりで、あまり覚えていないのです」
弱々しく微笑むエトを見て、シャルアは胸が痛んだ。
シャルアも当時は幼かったが、魔術医になる過程で流行り病の記録を読んでいた。
黄金の大樹の加護を受けようとも、人の営みの中で災いは齎される。
〈黒竜病〉
その病は感染力だけでなく致死率が高かった。最初は風邪に似た喉の痛みと咳から始まり、高熱、関節痛、悪化をすると皮膚の下で出血が発生し、肌には鱗の様な紋様が浮かび上がる。瞳は赤く染まり、吐血を繰り返し、最後には脳に異常を来たしてしまう。感染すれば数日で命が奪われ、人口の約4分の1から3分の1の死者が出た。
のちにネズミに寄生するノミが感染源であると特定され、国は厳しい検問と徹底的な駆除を実施し、国民には風呂や洗濯を頻繁に行い、掃除などの清潔な環境を作るよう義務付けた。そうして徐々に被害は減少し、国の崩落を食い止めた。現在では治療薬の研究が進み、早期に受診すれば治る病となった。
「私が病に倒れなかったのは、先代の王のハレムに在籍する方々に気に入られていたからでしょう。小さな頃は事情を知らず、大人達の目を盗んで遊びに行っていました」
「昔のハレムには、無類の猫好きの方がいらっしゃったからね。当時は今よりも、数が多かったとか……」
女性に対する免疫がある。何かあっても、不祥事を起こした男として処理が出来る。毒見の理由が透けて見え、シャルアは優しい声音で彼に答えながらも、不快になった。
「子供や老人の被害が大きかったと聞きます。私は本当に運が良かったのでしょう」
宮殿の被害が最小限に済んだのは、エトの言うように猫好きの女性がいたからだ。高貴な身分であった彼女の猫達が抑止となり、鼠たちを寄せ付けなかったのだ。
その中で鼠に寄生していたノミが猫に移り、彼等もまた感染源になると判明したが、抑止の効果はあった。その為、発病した個体は隔離、死亡後は火葬され、健康な個体は駆除には至らなかった。
「病気が終息に向かってからは、他の子供達に混じって仕事を始めました。成人を迎えた折に、陛下から刺青を賜りました。1年前の事です」
エトの瞳が太陽の光に艶めいた。




