第十八話
一日、また一日と影は回り、太陽が昇る。
エトが助手に任命されてから5日が経つ。王の庭に勤める奴隷や使用人、ハレムの女性や男性の尋問は着実に進んでいるが、決定的な証拠は掴めていない。未然に防げたからと甘く見ているのか、競争相手を蹴落とそうとするハレムの女性達や協力者達によって、捏造や擦り付け合いが始まり難航していた。
しかし、庭師達の供述は信ぴょう性が高かった。二週間前に新しく配属された奴隷が、5日前に忽然と姿を消していたのだ。新人が王に殺され処理されたと思い口を閉ざす者が多い中、年老いた庭師が、死体だけでも身内に帰してやろう、と2日前に捜索願を出したことでようやく判明した。
「なーんで勝手に判断するのかねぇ。命が惜しい以前の問題だわ」
シャルアの医務室に来訪し、中間報告に来た近衛兵は愚痴を言うと、ガラスのコップに満たされた水を一気飲みした。
医務室を完全に休憩室扱いしている近衛兵の年は、40代半ばだろうか。
やや垂れ目の黄玉の瞳に鮮やかな橙の髪を短く整え、耳には黒い宝石が埋め込まれた小ぶりな金のピアスを着けている。彫が深く、鼻筋の通った顔には無精髭が生えている。淡黄に近い肌色に筋骨隆々とした身体。着崩れがされた白いローブと鎧を合わせた特殊な装備を身に纏い、その腰には剣を二本携えている。
近衛兵のザニマだ。
「んで、エトちゃんの方はどーよ?」
シャルアの後ろに控えているエトを見ながら、ザニマは問う。
不真面目そうな態度をとる男だが、その目は警戒の色が含まれている。王がエトの証言を信用に足りるものだと判断されても、最悪を想定しているからだ。
「どうって……彼は助手として、真面目に働いてくれています」
そう言ってシャルアはエトを隠すように半歩前へ出る。
「随分と仲が良いな」
「俺の助手ですので」
ザニマが警戒するのは仕方がない。シャルアはそう思っている。
エトは確かに王の庭で労働していた。刺青を賜って以降、酷い仕打ちを受けていたのも確かだ。一番新しい刺青持ち。王のお気に入りと見なされ、快く思わないハレムの女性達が侍女に指示を出し、時に娯楽を欲する男達と共謀し、彼を貶めていたのだ。その事実を吐いたのは、普段はハレムの女性達によって口封じをされている立場の弱い奴隷達だ。
エトが傷付けられ、王がお怒りになっている。調査が始まり危機感を覚えた彼らは、自分の無実を証明するために重たい口を開けたのだ。
だが、エトが同情を買うために、あえて貶められていた可能性は拭いきれない。ハレムの住人に限らず、そのような輩をザニマはこれまで見てきた。記録上ではあるがシャルアも知っているので、異論を唱えることは難しい。
「ザニマさんは、こんな所で油売っていて良いんですか? そろそろ行かれては?」
「つれないねぇ」
「ここ、医務室ですよ。魔術の問題や、怪我か病気じゃないなら、帰ってください」
呆れながらシャルアは言うと、ザニマは渋る事もなくすんなりと立ち上がった。
「お医者様に言われたら、しょうがない。中間報告も終わったし、退散させてただくとしますかね」
手をひらひらと振りながら、ザニマは医務室を出て行った。
彼の足音が遠のくのを見計らうように、シャルアは大きくため息をついた。
「悪い人じゃないんだけど、なんか苦手なんだよね」
そう言って苦笑すると、シャルアは本棚から魔導書を手に取る。異国の文字で書かれたその本には、〈生活魔術〉と呼ばれる生活を豊かにする為に作られた攻撃性のない魔術が記されている。シャルアの自宅のバスタブや窯に描かれている魔方陣は、この魔術だ。
リシムアルタ王国では、魔力を宿すのは宝石眼を持つ人間のみ。火を放つなどの魔術を扱える者はそれ故に数が少なく、一般兵達にその知識は皆無だ。他国が攻め入って来た時、闇雲に前進しては自ら火の海に飛び込む様なものだ。シャルアは未来を見据え、医療と共に魔術の研究を行っている。
「そろそろ生活に慣れて来た頃合いだから、エトには生活魔術を幾つか覚えてもらおうと思う。最初は、魔力を水に変換する式かな。使えると便利だよ」
魔力は体内で生成され、体内を巡り、呼吸と同じように排出される。しかし、健康のためにはある程度は、消費しなくてはならない。日常生活の消費だけでは、筋肉と同様に足りない。運動をしないと筋肉が固くなり、身体が思うように動かなくなるように、魔力を生成する器官もある程度使わなければ衰えてしまう。やがて排出にも支障が出始め、人間の体内を巡る魔力が淀み、身体だけでなく精神にも悪影響を及ぼしてしまう。
なので、宝石眼を持つ人間は魔力を使えるように訓練する必要があるのだ。
「わかりました。ご教授お願いいたします」
痛々しい傷を包帯で隠すエトは、テーブルへと近付く。
テーブルには、白磁器のボウルが置かれている。
「最初は魔力を使う練習だ。まずは自分の体内に流れる魔力を意識するところから。手を握るけれど、いいかな?」
「はい」
エトが右手を差し出すと、シャルアは両手で覆った。
「俺の魔力を君の手に渡すから、感じ取ってみて」
両手を伝い、シャルアの魔力がエトの右手へと集まる。今回は目視では不可能だが、エトはその変化に気付いた。
「何か、温かく感じます」
人の体温とは違う。焚火に手をかざした際に感じる熱に近いだろうか。それが右手の中で球体上に形作られているのが分かる。
「それが俺の魔力。次は、左手で俺の手首に触れてごらん」
エトは恐る恐るシャルアの右手首に触れてみる。すると温かい流れを感じ取れた。それ感じ取った事で、球体が両手から出される二つの流れがぶつかり合い、渦を巻くことで形成されていると気づかされる。
「流れがあります」
「気づくのが早いね。魔力を自分の中から出す際には、ただ念じるのではなく、こうやって流れを意識するんだ」
シャルアは手を離すと、白磁器のボウルの横に置かれていた布袋から、魔方陣が描かれた石を取り出す。
「この石に魔力を注いでごらん。成功すれば生活魔術が発動して、水が出て来るよ」
石を受け取ったエトは、白磁器のボウルの上で、先程感じ取った流れを自分の中で再現しようとする。
しかし自分の体内からは魔力による熱の流れが生じる気配は無く、一向に石は反応しない。
15分程繰り返してみたが、手に滲むのは汗だけだった。
「す、すいません。できません」
「最初はみんなそうだよ。回数を重ねれば、上手に出来るようになるさ」
エトから石を返してもらい、シャルアは陶磁器のボウルと共に片づけた。




