第十一話
翌日。まだ朝の涼しい風が吹く中、2人は長い廊下を抜け、王の正殿と呼ばれる宮殿の一角に向かった。迷路のような建物の中をシャルアは迷わず進み、何処からともなく弦楽器の旋律が聴こえてくる中で、大きな扉が見えて来た。
「心の準備は出来ているかな?」
「は、はい!」
シャルアの白いローブを着させてもらったエトは、緊張しているが大きく返事をした。
身体をきちんと洗い、髪を整えた彼は、痩せていながらも見違えるほどに綺麗になった。
「よし、行こうか」
緊張で口が回らないか心配だったが、エトは意外に肝が据わっているようだ。
シャルアは安心しつつ、扉の前に立つ。
「診察に参りました」
良く通る声で扉越しに伝えると、直ぐに長身の近衛兵が扉を開けた。
「陛下がお待ちです。どうぞ中へ」
「失礼します」
シャルアは当然のように、エトは緊張で落ち着かない様子で、室内へと足を踏み入れる。
近頃の王ディーガは、東洋の調度品を好まれている。広い室内には、大きな白と赤の牡丹が描かれた金の屏風、荒々しい筆さばきで描かれた虎の絵画、五彩色の精密な花や鳥が描かれた大壺などの華やかな芸術品が飾られている。
「陛下。お待たせしてしまい、申し訳ありません」
部屋の奥に3人掛けの大きなソファにゆるりと座り、寛ぐディーガがいた。
一纏めにした髪に金の簪を指し、白地に金と黒の蝶の模様が描かれた東洋の衣を着た王の周りでは、4人の美しい女性達が微笑んでいる。両腕に刺青のある彼女達は華やかな模様の服と宝石で着飾り、甘く柔らかな香水を身に纏っている。
「シャルア。今日は堅苦しい挨拶はしなくて良い」
大振りのエメラルドの耳飾りが揺れる。
笑みを浮かべるディーガの言葉に従い、シャルアは頭を軽く下げると一歩出る。
「エト。立ちなさい」
平伏するエトに対して、王は静かに言葉を並べる。
一般人や奴隷であれば雲の上の存在である王に対して当然の行為だ。シャルアが話しを進めて彼を立たせる前に、ディーガが先手を打ってくれた。
「はい。陛下……」
ディーガの言葉に従い立ち上がるエトだが、極度の緊張に身体を震わせている。
ハレムの女性達は生まれたての小鹿のようなエトを見て、小さく笑った。見え隠れする軽蔑と嘲りに、エトは顔を青ざめ下を向いた。
「おまえ達は籠庭に戻れ」
僅かに不快さが混じる声。零れる殺気と威圧感は重く圧し掛かり、首に刃先が添えられていると錯覚すら感じてしまう。
優位であると思い込んでいた女性達は顔を青ざめ、ディーガへと深々と頭を下げると速足で部屋を出て行った。
今でこそ無いに等しいが、即位されたばかりのディーガは不快な行動をした所有物たちを自らの手で殺していた。理由は様々だ。宝石を盗む、自分を大きく見せる為に嘘を付くなどの自業自得から、前触れもなく気分次第で花を切り落としていた。
王の牙は今も健在である。
所有物は、所有物でしかない。
それを感じ取った女性達は、命欲しさに身を引いたのだ。
「減らすか」
「殺さないでくださいね」
「あぁ、片付けが面倒だからな」
さらりと王とシャルアは言葉を交わし、診察に入る。
王がその大きな右手を差し出すと、シャルアは両手で包むように握った。そして王はシャルアをゆっくりと引き寄せた。
宝石眼持ちであるエトは、2人の間に魔力が流れるのを感じ取った。はじめての感覚に驚いたエトだが、魔術医であるシャルアによって他者が感じ取れる程に、その流れを表面化させたのだと気づいた。
王の体内に流れる膨大な魔力は、煮え滾り全てを喰らい尽くさんばかりの覇気を持ちながらも、その体と精神を蝕む程に淀み濁りきっている。
対してシャルアに流れる魔力は穏やかだ。柔らかな日差しに照らされた木々の木漏れ日のように、あるいは小川のように涼やかでありながら透き通った流れは、感じ取れる者達の心を落ち着かせる。
「最近はどうだ?」
「変わらず元気に過ごしております。あぁ、そういえば、薬草園のリーエ草に蕾が付き始めました」
王の診察の筈が、交わされる会話はシャルアのことばかりだ。
先程のハレムの女性達に対して行っていた対応とは、あきらかに違う。ディーガは彼を何よりも大切にしている様に見える。
「リーエ草は火傷に利く薬草ですが、鑑賞用の花に引けを取らない艶やかな赤い色の花を咲かせます」
「ほぉ、見てみたいものだ」
「幾つか摘んで持って行きますね」
淀みは清められ、ディーガの竜の瞳孔が徐々に人間へと戻っていく。
シャルアが少し頭を下がると、王は空いている左手で彼の頭を撫でた。
「楽しみにしている」
王は彼の腰に手を回さず、頬を撫でず、情愛の言葉や誘いを口にしない。
2人の様子は恋人ではなく、どことなく親が子供の話を聞く姿に近い。子供の頃から傍に置き、好みの男に育てるとも、明らかに違う。
ディーガには王になる前に産まれた子供がいるなんて、エトは一度も聞いた事が無い。
仮にシャルアと王に血縁関係があったとしても、彼は生まれた時点で王位継承権が剥奪されている。
宝石眼持ちの誕生は、10万人に1人いるかいないかとされる。魔力を有する貴重な人材である彼らは、乳離れが済むと王宮に召し上げられ、官僚や近衛兵となるべく高度な教育を受けながら成長していく。
一般人の間では出世街道まっしぐらと羨む者もいるが、王族の間では宝石眼は黒竜の力を受け継いでいない証とされる。
宝石眼と黒竜の力は、全く別の代物だ。
まず前者は先天性、後者は後天性だ。宝石眼の魔力は他国の魔術を扱える汎用性を兼ね備えているが、黒竜の力は唯一無二である。その力は魔術の方式とは一線を画し、人知を超えた神秘の領域である。
二つの力を兼ね備えることは出来ない。何故なら、人間と言う名の器には力は1つしか収められないからだ。
収めてしまえば二つの力が主導権を得ようと衝突し、体内で暴れ出し膨張する。その影響を受けて宿した人間の精神は摩耗し、身体は異常を来す。最後には完全に崩壊し廃人となり、力はその器から解放されようと体内より這い出し、暴走し、尽きるその時まで破壊の限りを尽くす。
故に、竜の力が収められた器は宝石眼には成れず、その逆も然りだ。
血縁が在っても王位を継げず、医師として大成しても政治面では力不足。シャルアは宝石眼持ちとして、確かに有能な人材に育っている。しかし、ディーガがそこまで関心を持つ理由が見当たらない。




