仰せのままに
建国祭が終わって数日。
ギルド営業所で鑑定を終えた拾得物は、虚空結晶、黒触糸、そして弓と矢筒のセットだった。石板と魔法書は、最初から提出しなかった。提出したところで、不明な品、としか戻ってこないことは明白だったからだ。
虚空結晶と黒触系は、武器や防具の素材として相性がいい最高級品で、弓と矢筒も見たことがない魔道具だった。ダンジョン「幻の教会」の攻略は認定され、ボス部屋への入り方などの情報提供、報酬の受け取りを終えて、セラフィナたちは港街を後にした。
馬車に乗り五日、五人はルミエラ公国の公都カレディスに到着した。
カレディスの街並みもアストレア王国と変わらない雰囲気で、県国際の余韻を残す公都の人々は浮き足立った様子を見せていた。
その公都で、セラフィナの目下の問題は、隣の男である。
約束の日を明日に控え、セラフィナはカレディスの本屋を回ることにした。本屋にいるときは、あまり人に話しかけてもらいたくない。そう言ったことから、セラフィナはいつも、一人で出かけることにしているし、仲間たちもそうしてくれる。誰かと行くにしても、本屋の中ではあまり会話もしないのだ。それなのに。
「ねえ、お嬢さん。ルミエラ公国の歴史に興味があるなら、あっちの喫茶店で俺が話してあげるよ」
先ほどから、やたらと話しかけて来る男がいるのだ。
赤銅色の髪を耳元で軽く括った若い男は、セラフィナが本屋に入ろうと手をかけた店の扉を、後ろから開けてくれたのだった。
その顔を見て一瞬息を呑んだセラフィナだったが、何事もなかったかのように礼を言い、本屋に入った。この男も入ったので、当然目的地が一緒だっただけだと思ったが、なぜこうも自分に話しかけて来るのか、セラフィナはイライラしてしまった。
「結構です」
男の顔も見ずに、セラフィナは冷たく言い放った。そして、本を二冊ほど抱えて会計を済ませると、さっさと店の外に出た。
せっかくの本屋なのに、十分吟味することができなかった。セラフィナは、彼に関わりたくないのだ。
「お嬢さん、俺と少しだけお話ししようよ。甘いものは好き? あそこのカフェのケーキ、評判なんだよ。一緒にどう?」
ヘラヘラと笑いながらついて来る男を、セラフィナは睨みつけた。
「お話も、ご一緒も、致しません。お帰りください」
そう言って、相手の反応も見ずに歩き出す。
それにも関わらず、男はなおもついて来た。
「いやあ、美人の冷たい視線はたまらないね。あ、そこのお店のクッキーは、最近話題でね——」
「セラ」
話し続ける男を遮って現れた人物に、セラフィナはホッとして笑顔になった。
「カイル!」
思わず駆け寄り、彼の腕につかまった。振り返ると、男は驚いた様子でセラフィナとカイルを見比べている。
「え、君……え?」
セラフィナは、初めて男に笑顔を向けた。
「さようなら」
そうして、カイルを引っ張ってその場を離れた。
しばらくそうして歩いた後、さすがの彼も追ってこないことに安心して、セラフィナは歩く速度を緩めた。
「——ありがとう、カイル。助かったわ」
「いや。知り合い……じゃないよな」
「違うわ」
セラフィナが即座に否定すると、カイルは「だよな」と笑った。セラフィナもにこりと笑って、連れ立って歩く。
赤胴色の髪の男は、知り合いではないが、誰かはわかっていた。
(……どうして、公国の公太子が、街でナンパしてるのよ)
セラフィナは、どっと疲れを感じた。
ずいぶんと前に参加した夜会で、使者としてアストレア王国に来ていた公太子に、第二王子の婚約者として紹介されたことがある。
顔はとても良いが、セラフィナがやっていたゲームとは何も関係がない、身バレ注意の男である。
(確か、名前は……リュシ……リュ…………なんだっけ?)
ちょっと思い出せないが、とにかく、顔を覚えられていなくてよかった、とセラフィナは息をついた。
「……それにしても」
しばらく歩いてから、カイルがふと口を開く。
「あっちは、ずいぶんと親しげだったな」
「そう?」
セラフィナは、首を傾げてカイルを見上げた。
「なんか……いや、何でもない」
少し考えるような仕草をしたカイルは、すぐに笑顔に戻ってセラフィナを見た。
「今日、本屋に行くって言ったてよな。もういいのか?」
「それがね、邪魔が入って不完全燃焼なのよ。カイル、一緒に来てくれない?」
また、あんな邪魔が入っても嫌だ。カイルがいれば、安心だ。
そう思って誘ってみると、カイルは数度瞬いた。かと思うと、にこりと笑ってセラフィナの手を取った。
「仰せのままに。お嬢様」
セラフィナの手を上に持ち上げ、指先に軽く口付ける。きれいな緑の瞳がセラフィナの瞳を覗き込んだ。
――ぷっ……
どちらからともなく、吹き出した。
「ふ……ふふっ。カイル、似合わないわね」
「ははっ! 俺も、そう思う」
二人は、肩を振るわせてくすくすと笑った。
「ほら、どこに行くんだ?」
「とりあえず、まっすぐよ」
カイルを伴った本屋巡りは何事も起こらず、セラフィナは大変満足した。
その、翌日。どうしてこうなったのか、セラフィナは誰でもいいから教えてもらいたかった。
目の前のリリアローズは、不機嫌に眉を寄せてお茶に口をつけている。
今日は、船で出会ったリリアローズと、お茶をする約束をしていた。最初の出会いこそほとんど話していないが、船の中で顔を合わせる度に、何かしら心配をしてくれたり、世話を焼いてくれたのが、このリリアローズだ。何なら、ルミエラ公国に着く前の数日は、仲間たちより一緒にいたかもしれない。その彼女と、公都に着いたらお茶をする約束を交わしていたのだ。
その、お茶会の日。
今日のリリアローズは、黒髪をしっとりと下ろし、なんとも艶やかな雰囲気だ。セラフィナもリリアローズも、最初は穏やかに世間話をして、午後のひと時を過ごしていた。
雰囲気が変わったのは、セラフィナの隣に座る、この男のせいだ。
セラフィナは、女性のお茶会に当然のごとく乱入し、一人ご機嫌になっている赤胴色の髪の男を、ジロリと睨んだ。
「やあ、やっぱり、君と俺とは、運命の相手だったんだね」
「背き合う運命ですか?」
「ひと目見た時から、感じていたんだ」
「私には、何も感じられませんが」
「君には、俺の方が相応しいってね」
「相容れないの間違いでは?」
「明日にでも、婚約を発表しよう」
「致しません」
「夜会で会ってから、君のことは一時も忘れたことはなかったよ」
「記憶にございません」
「昨日、街で君を見た時は、我を忘れてしまったよ」
「それはお可哀想に」
「第二王子はやめて、俺にしなよ、セラフィナ嬢」
(…………気付いてたんかい)
思わず入れたツッコミが、口から出なかったことを、誰か褒めて欲しい。セラフィナは、イライラと公太子を見やった。これでも、かなり失礼なことを言っている自覚はあるが、それでも公太子だ。イライラは心の中に留めておかなければならない。
セラフィナが何を言おうと、にこにことしている公太子に、リリアローズがようやくカップを置いて口を開いた。
「……ごめんなさい、セラ。乱入者がいるなんて、思わなかったわ」
「いいのよ、リリアローズのせいでは――」
「セラ! あの男もそう呼んでいたな」
公太子は、二人の会話を遮って、セラフィナに向き合った。
「それが、君の呼び名なのか? だが、皆と一緒なのは、癪だな……」
顎に手を当てて、ブツブツと考え出した公太子を無視して、リリアローズはセラフィナに、形の良い眉を下げる。
「改めて、この不届き者を紹介するわ」
ふう、と重たいため息をついて、リリアローズは続けた。
「セラの紹介は、不要なようだから省略するわね。セラ、こちら、当国の公太子であられる、リュシアノ・ルミエラ殿下よ。私は従兄弟なのよ。とても心外だけれども」
「心労をお察しするわ」
そうそう、リュシアノだったわ、とセラフィナはようやく公太子の名前を認識した。そして、公太子と紹介受けたからには、ますます態度に気をつけなければ、と思う。
「ありがとう。あなたが、あのセラフィナ嬢だったのね」
「…………?」
リリアローズの言葉に、セラフィナは首を傾げた。セラフィナは自国では第二王子の婚約者だったが、他国に名が知れるようなことはしていない。だから、いくら姉弟国だといっても、ルミエラ公国のご令嬢に『あの』と言われる理由もないはずだ。
そう思ってリリアローズを見ると、彼女は暗い顔をした。
「この人にも、ちゃんと婚約者候補がいたし、それなりに皆様を大切にしていたのよ。公太子だしね。それが、三年前の夜会から帰って来た途端に、頭の軽い男になっちゃって……問い詰めたら、やっと吐いたのよ。セラフィナというご令嬢に決めたから、もう無理して皆にいい顔をする必要はないって。本当に、バカだと思うのよね」
リリアローズの視線に気づいて、リュシアノは呆れたように手を広げた。
「君こそ、わかっていないな。その気がないのに誤解させる方が、失礼だよ。けれども、婚約者候補のご令嬢方は、皆容姿を褒めてもらいたいようだったから、ご機嫌取りはしていたよ」
「それもこれも、誤解を生むのよ。褒められて期待していたのに、誰にも同じようにヘラヘラしてると知った時の皆様の怒りと言ったら……こっちは大変だったのよ」
「彼女たちも、俺の気がないと気がつくことができて、よかったじゃないか」
どうも、従兄弟同士の喧嘩が始まったようだ。セラフィナは、口を出すものではないと考えて、お茶を飲みながら気持ちを落ち着けた。先程から、イライラしっぱなしだ。ここは落ち着くべきだ。が、リュシアノはそれを許してはくれないようだった。
カップを置いた手をそっと攫われ、ついでにテーブルに置いた手も持って行かれて、自然に身体が横を向く。
「——だから、結婚しよう。ね、フィーナ」
間近に迫った深い青の瞳に、とろりとした輝きを見て、セラフィナは背筋を凍らせた。
この目は、見たことがある。おかしくなった時の、エーリヒの目だ。……いや、違う。エーリヒは暖かくて優しいのに対して、リュシアノは底が見えない何かがある。
エーリヒだけでも重いのに、アルベルトもおかしくなるし、この上公太子まで絡んでくるなんて、手に負えない。
「……フィーナって、誰ですか」
「ん? もちろん、君のことだよ。俺だけの呼び名だね、フィーナ」
「………………」
笑顔が怖い。セラフィナが内心で青ざめていると、リリアローズがため息をついた。
「リュシアノ様。そのくらいに――っ!」
「リリアローズ、ちょっと黙っていてくれる? 俺は、今フィーナと大事な話をしているんだ」
チラリとリリアローズを見た表情は、笑っているのに冷たく、従兄弟であるリリアローズでさえ言葉を飲んだ。その表情も、セラフィナに視線を戻すと一瞬で消えた。
「フィーナ、君がここに、そんな姿でいるということは、第二王子から逃れて来たんだろう?」
そんな姿、とは魔法使いの装束のことだろう。普通、貴族令嬢はドレスを着る。この違いで、大体のことは察せられるだろう。
「私は、平民です。公太子殿下とは、結婚などできませんね」
しっかりと拒絶してにこりと笑うと、リュシアノは目を輝かせて微笑んだ。
「ああ、フィーナ。俺に笑いかけてくれるんだね」
セラフィナは瞠目した。何をどうしたら、そう解釈できるのか。真っ直ぐに拒絶したのに、笑ったところだけが切り取られたようだ。
リュシアノは、機嫌良く続ける。
「そんな言葉遣いもいらないし、俺のことはリューシュって呼んでよ」
さらに近づく顔に、セラフィナは軽くのけ反った。それを支えるように、腰に手が回る。
「さっそく、父と母に挨拶に行こう。それから、婚礼衣装を採寸して……その前に、フィーナと俺の部屋を整えないと」
勝手に喋るリュシアノに、セラフィナはだんだんとイライラしてきた。
(さっきから、人の話も聞かないでペラペラと……)
「今日は、フィーナとの再会をお祝いして、晩餐は豪勢にしてもらおう。フィーナは何が好き? 好きなものを作って——」
「——いい加減に、しなさいっ!」
ごうっ、という音と共に、セラフィナの周りで強風が渦巻いた。それは器用にリュシアノだけを一メートルほど吹っ飛ばして、至近距離にあったテーブルセットは、クロスが強めにはためいただけだった。
セラフィナは、座ったまま足を組み、片腕をテーブルに置いてリュシアノを見下げた。
「私が、嫌だと言っているの。あなた、聞こえていて?」
リュシアノは、ゆっくりと起き上がると、何も言わずにセラフィナを見上げる。
「あまり勝手を言うと、吹っ飛ばすわよ」
言ってから、セラフィナはハッとした。
横でリリアローズが「セラ、もう吹っ飛ばしているわ」と呟いているが、気にかけてはいられない。
そういえば、相手は公太子だった。あまりに会話が噛み合わなくて、勢い余ってしまった。怒るだろうか、処罰だろうか、と内心でヒヤリとしたが、やってしまったものは仕方がない。ここは、開き直って堂々としておこう、とセラフィナは胸を張ってリュシアノを見返した。
見つめ合うこと数分、いや、数秒だったのかもしれない。
リュシアノが、膝を床についたままセラフィナに近づいてきた。
膝で移動してきたリュシアノは、セラフィナの足元まで来るとピタリと止まる。ふっと目元を緩めたかと思うと、片手でセラフィナの組んだ足を取った。
「仰せのままに、フィーナ」
言って、セラフィナの足の甲に触れるほど、額を近づける。
奇しくも、昨日のカイルと同じ言葉。
しかし、セラフィナは全身に走った寒気に身慄いした。そこからは、完全に反射だった。
一瞬で渦巻く風に包まれて振り上げられた足先は、リュシアノの顎を捉えた。振り上げた勢いこそなかったものの、渦巻く風によってリュシアノは再び吹っ飛ばされて、今度は床に完全に伸びることになった。
カイルの「仰せにままに」→かわいい
リュシアノの「仰せのままに」→怖い




