怖かった
黒い球を射たカイルは、ちらりとエーリヒを窺い見た。
先ほどから、無言で黒い球を捌いているエーリヒの表情は、硬い。決して、額の傷のせいではない。その証拠、と言うわけではないが、部屋の外にいるリーゼまでも、腕を組んで部屋の奥をじっと見つめている。
二人の視線の先には、セラフィナとアルベルトがいる。黒い球を壊しながら、何やら話し込んでいる。広いボス部屋に散ったカイルたちには、その内容まではわからないが、この状況だ。黒い真円を倒す方法を考えているのだろう。
それでも、無表情のアルベルトと、驚いたり眉を寄せたりと表情を変えながら話すセラフィナの様子は、普段喧嘩ばかりしている二人とは違っていた。
そんな二人の様子に、何となく気を引かれて落ち着かないのは、見慣れないからなのだろうな――と、カイルは自分を納得させながら、視界の隅に入った黒い光を避け、次の魔力矢を放った。
魔力を込めた剣で、最後の黒い球を真っ二つにしたエーリヒは、セラフィナとアルベルトに笑顔を向けた。
「で? 二人だけで話して、俺には教えてくれないの?」
「——えっ?」
攻撃が当たるようになった触手を数本凍らせたところで、セラフィナはエーリヒの言葉を聞き返した。
「二人だけって、みんなもいるじゃない」
首を捻っていると、部屋に入ってきたリーゼも不機嫌な声を出した。
「セラフィナさん。内緒話は、いけませんよ」
「だから、みんないたでしょう?」
セラフィナは、相変わらず絶え間なく向かってくる触手を叩き落としながら、困った顔をした。
アルベルトと話していた時にも、黒い球を休まず破壊していたし、何がそんなに引っ掛かるのだろうか、とセラフィナはアルベルトに助けを求める。しかし、相談を終えたアルベルトは、先ほどよりも離れた場所で剣を振るっている。二人の苦情は、いつも通り無視する方針らしい。
セラフィナは、ため息をつきながら群がる触手を氷漬けにした。それを、近くに来たエーリヒが粉々に叩き割った。
「それで、何を話していたの?」
この状況でにっこりと笑いながら、次の触手を一閃した。どうやら、額の傷は、それほど動きに支障がなさそうだ、とセラフィナは安心して、カイルの背後に迫る触手を氷の矢で貫いた。
「黒いのの倒し方よ。あの黒いのは、物理攻撃も魔法攻撃も効くようだから、リーゼの言う通り爆発を起こそうと思って」
「それ、私たちは巻き込まれませんか?」
リーゼが剣を振るいながらセラフィナを見たので、「だから、相談していたのよ」と眉を寄せた。その話を気にしていたのだろう、カイルが近寄ってきた。
「俺たちは、どうすればいい?」
そう聞くカイルは、珍しく剣を握っている。エーリヒが、向かってくる触手を切りながら首を傾げると、カイルは「魔力矢は疲れるんだ」と肩をすくめた。
向こうの方では、アルベルトも着々と触手を片付けている。動いている触手はだいぶ少なくなった。
「とりあえず、このまま――」
「セラ、後だ」
説明しようとするセラフィナを、炎を収めたアルベルトが遮った。
「やるぞ」
見ると、ずるずると真円に吸い込まれていく触手を見つめるアルベルトがいる。
セラフィナは、はっと息を吸うと、カイルたちを見た。
「三人は、部屋から出ていて!」
そう言うと、アルベルトと共に入り口付近まで後退した。
三人はそれに続いたが、エーリヒだけが立ち止まり、セラフィナの腕を掴んだ。
「待って。二人は?」
眉を寄せるエーリヒを、セラフィナはまっすぐに見上げた。
「信じて」
「約束して」
誰を、とも、何を、とも言わない短いやり取りだった。だが、それだけで十分だった。
セラフィナは、「もちろんよ」とエーリヒに笑顔を向ける。それを見たエーリヒは、ふっと表情を和らげると、部屋の外に走っていった。
「セラ!」
アルベルトの声に振り向くと、ボス部屋には黒い真円しか見えなかった。
セラフィナは、何も言わずに真円を睨みつけ、スタッフを前に掲げる。その横で、アルベルトも同じように剣先を真円に向けた。
二人の魔力が形を成し、幾重にも重なる壁を作る。
黒い真円が、ぎゅっと縮まったように見えた、次の瞬間。
――ドン……ッ!
三度、空気が弾けた。
真円を中心に空間にヒビが入り、一瞬で砕け散る。
――パリンッ!
ガラスが割れたような音が響き、次の瞬間には、また何もない空間に無数のヒビが走る。それもすぐに割れて砕け、またさらにヒビ割れが生まれ……
セラフィナとアルベルトは、不可視の障壁が壊れる速度で新たな障壁を作り出す。
何度結界を張ったのか、もう二人にもわからなかった。
鼻先で結界がヒビ割れたのを、セラフィナは確かに見た。
パリ……と欠けた結界の隙間から吹き出した衝撃で、セラフィナの横髪がさらりと揺れた。それと同時に、不可視の壁がパラパラとこぼれ落ちる。
アルベルトが、真円に切先を向けた。
黒い真円の周りに、炎が集まる。それは、古代魔法の魔力による擬似物質ではなく、現代魔法により酸素そのものを使った炎だ。
ごう、という音と共に激しい炎が真円を包み込むと、触手が真円を守るように取り囲む。触手に火が移り、メラメラと燃え上がるのを無視して、アルベルトは真円を炎ごと結界で封じた。炎が、真円の周りで区切られたように切り取られる。
アルベルトがセラフィナに視線をやると、今度はセラフィナがスタッフをとん、と石床に立てる。真円の方を見つめて集中した。
そのうちに、結界の中の火は弱まり、触手は勢いをつけて結界を殴打し始めた。
「セラ」
「わかっているわ」
薄く作り上げた結界に、触手の激しい殴打を受ける。
「アルは、結界を」
「問題ない」
アルベルトを見ずに言うセラフィナに、短い返事が返ってくる。
もう、炎は触手を僅かに焦がす程度で、何の役にもたっていない。炎による攻撃が止んだことで、黒い真円からは次々と触手が生まれる。それは、結界の中を乱暴に動き回り、ついには結界そのものにヒビが入り始めた。
――パキッ……
硬い音と共に、結界の一部が砕けた。その瞬間。
――轟……っ!
消えかけていた炎が一気に膨れ上がり、白い炎が結界もろとも粉々に吹き飛ばした。その勢いは止まらず、ガラスが割れるような音を立て続けに立てながら、一瞬で二人に元へと迫ってきた。
白い炎が視界いっぱいに広がるのを見た瞬間、セラフィナの視界が塞がれた。
「…………?」
背中を強く締め付ける力を感じて、セラフィナは、首を傾げた。
先ほどまで響いていた炎の轟音と、結界が割れる音が止んでいる。どうやら、爆風は最後の結界を破らなかったようだ。代わりに、耳元で微かに人の息遣いが聞こえる。
何が、と思って視線を上げると、この場にそぐわないほどに輝く金色が見えた。
「——アル?」
このままでは、黒い真円がどうなったのか、わからない。アルベルトの顔も、セラフィナからは見えない。何が、どうなっているのかわからず、セラフィナは、スタッフを持つ反対の手を挙げて、アルベルトの肩を叩いた。
「どうしたの?」
その声に、アルベルトは顔を上げ、セラフィナの瞳をじっと覗き込んだ。が、それも一瞬のことで、すぐに身体を少し離して黒い真円を見る。
「——成功か?」
セラフィナも、アルベルトの影からひょいっと顔を覗かせて、真円を確認した。
先ほどまで蠢いていた触手は一本もない。部屋の真ん中では、ヒビの入った黒い真円の物体が、小刻みに震えて浮いている。
パキ……パキ……と、ヒビ割れが進む。
「——!」
セラフィナは、すぐに手に持ったスタッフを掲げた。アルベルトも同じように、二人で数えきれないほどの結界を重ねがけする。
黒い真円のヒビから、光が溢れ落ちた。
光が闇を侵食するように、黒い真円は音もなく崩れ、やがて消滅した。
「…………終わり、かしら?」
「ああ。消滅したな」
二人は、どちらからともなく大きく息を吐き、直前に作った結界を全て解いた。
その瞬間。
――からん……
セラフィナの手から、スタッフがこぼれ落ちた。
寒くもないのに手が震え、身体の底からヒヤリとした感覚がせり上がってくる。にも関わらず、心臓の音がドクン、ドクン、と耳にうるさく、喉元だけが燃えるように熱い。
「どうした?」
アルベルトの心配そうな声が聞こえるが、セラフィナにもよくわからなかった。
「――セラ」
不意に聞こえた柔らかい声に顔を上げると、エーリヒの穏やかな瞳と視線が合った。
「怖かったね」
「――あ……」
そうか、とセラフィナは気がついた。
戦っていた時は、とにかく必死で何も考えられなかった。けれども、結界を破られて吹き飛ばされた時、エーリヒが怪我をした時、再びボス部屋に入った時、真円の衝撃が鼻先まできた時、最後に爆発を起こした時……思い返せば、この戦いの全てが怖かった。
セラフィナは、エーリヒの褐色の瞳をじっと見上げ、そのまま彼の胸にとん、と額をつけた。
「このメンバーで、よかったわ……」
そう呟くと、エーリヒがセラフィナの頭を優しく撫でた。
「うん。俺も、そう思うよ」
セラフィナは、そのまま大きく息を吐いた。頭に触れる手が、暖かくて心地よい、と思っていると、リーゼの鋭い声が降ってきた。
「セラフィナさん。駄犬に騙されてはいけません」
「——え? 急にどうしたの?」
パッと顔を上げると、エーリヒの手が離れていく。その彼は、くすくすと笑った。
「せっかく、セラを甘やかすチャンスだったのに」
残念だなあ、と笑うエーリヒに、パチリと瞬いたセラフィナは、はっと我に返ったように大いに慌てた。
(待って! 私は今、何をしたの!?)
男性の胸に、自分から頭を埋めるとは、なんてハレンチなことをしてしまったのだろう。
「ちが……っ! 違うの! これは、そうではなくて!」
「うん? "そう"って、どう?」
慌てるセラフィナの顔を、エーリヒがにこやかに覗き込む。それに答えられないでいると、さらに笑みを深めたエーリヒに「ん?」と聞き返され、セラフィナはだんだんと悔しくなってきた。
「そういうところよ!」
「どういうところ?」
「わざとでしょう!」
「もちろん」
「――っ!」
セラフィナが頬を膨らませる。
その横から、呆れた声が飛んできた。
「お前ら、ボスを倒した直後に何やってんだよ」
振り向くと、カイルが弓を肩に掛けながらこちらを見ていた。
「さっきまで死ぬかもしれない戦いしてたんだから、もう少し緊張感があってもいいんじゃないか?」
「私は、十分緊張していたわ」
「それは、知ってる」
カイルは苦笑すると、セラフィナが落としたスタッフを差し出した。
「ほら」
セラフィナは、スタッフとカイルの顔を交互に見て、それを受け取った。
「……ありがとう」
「ああ。お疲れさん」
そう言って笑うカイルの笑顔が眩しくて、セラフィナは目を細めて笑った。
いつの間にか震えも止まり、こわばっていた身体も元に戻っている。セラフィナは、心からほっと息を吐いた。
「カイルさん、そういうところです」
「本当だよ。どうして持っていっちゃうかなあ、この人は」
「え、何だ?」
リーゼとエーリヒから急に怒られたカイルは、戸惑ったように首を傾げた。
「セラフィナさんだから、何事もないのです。自覚してください」
「カイルは危険なんだよ。フィオレイドのギルドの女の子たちも、無自覚に落としてたでしょ」
「エーリヒさんよりは、マシだと思いますよ」
「……ブーメラン来た」
リーゼとエーリヒの会話についていけないカイルは、首を捻りながら口を開いた。
「なあ……それはいいんだが、せっかくボスを倒したんだし、ドロップアイテム見に行かないか?」
誰ともなく「あ……」と呟いて、五人はようやく動き始めた。
カイル、エーリヒ、リーゼに続いてセラフィナが歩き出すと、後ろから片手を軽く引かれた。振り向くと、アルベルトがじっとセラフィナを見下ろしている。
「――? アル、どうしたの? 何か不安なことでも?」
アルベルトの無表情の、どこが不安そうなのかと聞かれても、そう感じたとしか言いようがない。仲が悪くても長年幼馴染を続けていたセラフィナには、そう見えたのだった。そして、それは大抵の場合合っているし、今回も反論がないと言うことは、やはりそうなのだろう。
アルベルトは、ほんの僅かに瞳を揺らした後、セラフィナの右頬を指で触れた。
「……傷が」
「え?」
聞き返すセラフィナに、アルベルトは眉間に皺を寄せた。
「掠っただろう」
「そうだったかしら?」
「残るだろうか」
「掠っただけなのでしょう? 大丈夫よ」
「……すまない」
殊勝な雰囲気の(無表情な)アルベルトを見て、セラフィナは驚いた。未だかつて、こんなにしょんぼりしたことが、彼にあっただろうか。子供の時ならいざ知らず、この歳になってもこんな表情(無表情)ができるのかと、珍しいものを見た気がした。それで、セラフィナは、思ったことが、そのままポロリと口をついて出た。
「やけに素直ね。何か企んでいるの?」
「…………うるさい」
魔法の連携は取れるセラフィナとアルベルト。
ちょっと複雑な気持ちのエーリヒ。




