真円の本領
ボス部屋の黒い球は、セラフィナが考えている間にいくつも破壊されていたが、それでもまだ数えるのが嫌になるくらいには飛び回っている。
カイルの魔力矢が飛び、エーリヒの魔力を込めた剣が煌めく。黒い光がカイルに向かい、セラフィナの結界に阻まれたかと思うと、アルベルトの剣が纏った炎によって、その光源も灰になった。それに腹を立てたかのように、両手でも全く足りない数の黒い球が、一斉に黒い光をアルベルトに向けた。逃げ場のない黒い閃光の中に、アルベルトの姿が掻き消える。
エーリヒの魔力が、アルベルトを取り囲んだ黒い球の集団の一部を薙ぎ払い、カイルの魔力矢が連続して放たれる。セラフィナのスタッフの先からは、水の蔓がいくつも伸びる。触手の間を器用にすり抜けながら無数の黒い球を絡め取った。それは、黒い球に触れた途端に一瞬で凍りついたかと思うと、ガラスが割れるような音を立てて、黒い球もろとも砕け散った。
的を外れた黒い光が抉った床の埃の中に人影を認め、三人はまた、自由に飛び回る黒い球を追う。
自らの周囲を覆った結界を解いたアルベルトは、何事もなかったかのように、三人に続いた。
「ねえ、これ、いつ終わるかな?」
エーリヒが、たまらず声を上げた。
これだけやって、ようやく半分を切ったくらいか。しかし、数が減った分だけまとめて倒すのが困難だ。黒い球は、散り散りに飛び回って黒い光を四人に向けた。部屋の中央では触手がうねり、四人に向かって容赦なく叩きつけられる。
「数が多すぎる! 一度になんとかならないのか!?」
カイルの魔力矢が、黒い球を二つ、連続して貫いた。
「うーん……触手を巻き込まないように、地道に倒すしかないわよねえ」
氷の刃が、黒い球を貫いた。
「なんだ、やけに現実的なことを言うのだな」
ドゴンっ! と音を立てて、カイルを取り逃した触手が床の石を抉る。
「私は、いつだって現実を直視しているわ」
エーリヒを狙った黒い光が、結界に反射して他の黒い球を攻撃した。
「どの口が言うのか」
セラフィナに体当たりするように飛び出した黒い球を、アルベルトの炎が焼き払う。
「この口よ」
壁に寄った数個の黒い球は、セラフィナが放った無数の氷の矢に射抜かれた。
「……お前ら、この状況でも言い合いするのか?」
触手を避けたカイルが、呆れた顔で二人を見た。天井に上がった黒い球を、魔力を飛ばして切断したエーリヒも、苦笑いを見せた。
「まあ、苦しい戦いよりはいいけどね。――それより、だいぶ減ったかな?」
ひゅん、と襲う触手を屈んで避けて、アルベルトは壁の隅を見る。
「あとは、あれか?」
見る限り、最後の一つだった。
カイルの放った魔力矢が、逃げ場を失った黒い球を正確に射抜く。
パリン――。
乾いた音を立て、黒い球は砕け散った。
ボス部屋の壁や床を抉り、凶暴に蠢いていた触手の動きが、ぴたりと止まる。かと思うと、そのままするすると部屋の中央に漂う黒い真円に吸い込まれて行った。
「……なんだ?」
セラフィナの隣に移動してきたカイルが、黒い真円に目を向けたまま、緊張した声を出す。
少し離れた位置にいるアルベルトとエーリヒもまた、それから目を離さない。
黒い真円が部屋の中央でゆらゆらと揺れ、ズズ、ズズ、と黒を凝縮させていく。
(これ……)
セラフィナは、黒い真円を凝視した。
これがゲームなら、こういう時どうなるのか——
(——そんなの、決まってる!)
「結界っ!」
セラフィナが叫んだのと、ほぼ同時だった。
——ドン……っ!
空気が、破裂した。
捲れ上がった床石が、一気に迫り来る。
セラフィナにより張られた結界は、一瞬細かに振動した。何も見えない空間に、蔦が這うように、無数のヒビが入る。
あ、と思う間もなかった。
反射的に目を閉じたセラフィナの身体が、何かに強く引かれた。
背中に激しい衝撃を受けて、一瞬息が詰まる。
「ぐ……っ!」
カイルの苦しげな声で目を開けたセラフィナは、彼に抱えられて床に転がっているのを認識した。
「セラフィナさん!」
遠くで、ボス部屋の外にいたはずのリーゼの声がした。
カイルの腕の中から声の方向を振り向くと、黒い真円から飛び出した無数の触手に一人向かうリーゼが見えた。
「——リーゼ!」
「皆さんを復活させてください!」
セラフィナは、はっとした。無数の触手を、リーゼ一人で止めているのだ。加勢しなければいけないが、苦しそうな顔をしているカイルも気になる。
身体を少し起こしたセラフィナは、カイルの肩に手を置いて顔を覗き込む。
「カイル! 意識はある?」
ああ、と顔を歪ませながらも目を開けたカイルに、セラフィナはホッと息を吐く。
「動けそう? 無理なら外に——」
「大丈夫だ。身体を打っただけだ。あいつらは?」
身体を起こして確認しながら、セラフィナの言葉を遮ったカイルは、急いで視線を巡らせた。
セラフィナも、触手が蠢くボス部屋の中をぐるりと見渡す。対角の壁際に倒れた二人が起きあがろうとしているのを見て、息をひゅっと吸う。
「エーリヒ!」
額を抑えて起き上がるエーリヒの、その指の間から血が垂れるのが見えた。
「セラ、二人を頼む。俺はリーゼに加勢する!」
カイルが立ち上がり、弓を番えるのを見て頷くと、セラフィナはエーリヒとアルベルトのもとへ走った。
ボスにも攻撃が届くようになったらしい。やはり、黒い球が攻撃を邪魔していたようだ。リーゼが剣を振るう度に、触手は一本、一本と消滅する。それでも無数にある触手はリーゼ一人の手に負えず、走り出したセラフィナを追うように伸びる。
五本は、セラフィナが氷漬けにした。残りは、セラフィナに向かうこともできずに消滅する。
セラフィナがたどり着く頃には、アルベルトは立ち上がり、エーリヒは片膝をついて起き上がっていた。
「——はぁ……エーリ……っ! ア……っ! はぁ……け……が……っ!」
辿り着いてすぐに、セラフィナは結界を張った。何本もの触手が当たる鈍い音が響く。息が切れて形にならない言葉に、アルベルトが反応する。
「俺は、かすり傷だ。エーリヒが……」
アルベルトが、エーリヒを見て顔を歪める。
「飛んできた石が、掠ったんだ。それほど酷くないよ」
そう言ってにこりとするエーリヒだが、片目は瞑ったままだ。
セラフィナが不安そうに見上げると、エーリヒが「ちょっと、血が目に入っただけだよ」と困ったように笑う。セラフィナが慌ててハンカチを傷に強く当てると、彼は僅かに顔を顰めた。
「フォローする。セラ、そいつを部屋の外に出せ」
アルベルトが、部屋の入り口を顎で示し、セラフィナは頷いた。移動するには結界を解かなければならず、解けば必ず攻撃がある。片目で戦い続けられるほど甘い敵ではないことを、エーリヒも承知していた。「悔しいけど、よろしくね」と言い、少し肩をすくめた。
「アル、頼んだわよ」
セラフィナは言って、結界を解く。途端に触手が勢いを増して向かってくる。それに構わず、エーリヒと共に部屋の外へ走った。
セラフィナの速度に合わせるため、移動はそれほど速くはない。それを申し訳なく思いながら、セラフィナは全力で走った。
前から向かってくる触手はセラフィナが凍らせてエーリヒが叩き割る。後ろでは、炎が唸りを上げていた。それを無視して走り切り、扉の外に滑り出る。途端に、触手は二人に興味を失くす。その全てが一斉にアルベルトに向かっい、姿が見えなくなる。
「――アル!」
セラフィナが悲鳴のような声を上げた瞬間、触手が燃え上がる炎に包まれた。炎の中から現れたアルベルトは、振り返りもしない。
「問題ない。さっさとそいつを復帰させろ」
そう言って、アルベルトは部屋の中心へ走っていった。
それを見送り、セラフィナはすぐに魔法拡張鞄を漁り、薬箱を取り出した。
「エーリヒ、傷を見せて」
血がついたエーリヒの前髪を掻き上げてハンカチをずらすと、五センチ程度の傷が現れた。それもすぐにじわりと滲む血によって隠れてしまう。
セラフィナが顔を顰めると、エーリヒが苦笑した。
「切った場所が悪かったね。傷を見ても平気?」
「これくらい、平気よ。目は?」
「頼もしいね。目は洗えば大丈夫」
にこりと笑うエーリヒに、セラフィナはさらに顔を顰める。何を言っても朗らかに返されるだけだと分かり、セラフィナは黙って薬箱を開いた。
ずらりと並ぶ小瓶を手に取る前に、蓋の裏に書かれたメモを読む。
「ええと……切り傷は……『一、水で傷を洗う、ニ、止血軟膏を——』」
「リーゼは、保護者かな?」
「失礼ね。私だって、これくらい……」
「それって、リーゼのメモだよね?」
「………………」
セラフィナは、くすくす笑うエーリヒを無視して、水筒を取り出した。薬箱に入っていた新しい布を額に当てて、傷を水で洗い流す。少し眉を寄せたエーリヒに「痛い?」と聞くが、「冷たくてびっくりした」と返されてしまう。
水筒の水は、温い。嘘つきな人だ、とセラフィナはため息をついた後、そう、とだけ返した。
リーゼのメモの通りに、「止血」と書かれた瓶の軟膏を塗り、新しい布を当てて包帯で留めたところで、ボス部屋から仲間たちが飛び出してきた。
「大丈夫か?」
カイルが、エーリヒの包帯を見て眉を顰める。それに、目を洗いながらエーリヒが「戻れるよ」と返した。
「もともと、アルが結界を張ってくれていたんだ。だから、そんなにダメージはないよ。切れたところが額だったから、大袈裟に見えただけ。それより、どうしたの?」
言ったところで、ボス部屋から「ドンッ」という衝撃音がし、地面が小刻みに揺れた。
驚いて降り向くセラフィナに、リーゼが冷静に答える。
「一撃目のときも、こんな感じでした。ボス部屋の外には、衝撃は来ないようです」
ああ、だから、とセラフィナは納得した。ボス部屋の中で攻撃を受けて動けなくなったセラフィナたちだったが、リーゼだけは部屋の外にいた。それで、すぐに反撃できたと言うわけだ。
「だが、どうする? 正直、埒が空かないぞ」
カイルが疲れたように言い、ボス部屋の中に目をやる。そこには、また黒い真円から生える無数の触手が、うねうねと蠢いているのが見えた。
「黒い球が復活するかもしれん。さっさと片付けたいが、触手の数が多すぎる」
アルベルトもまた、げんなりと言った直後に、セラフィナの明るい声が響いた。
「だったら、さっさとやっつけてしまいましょう」
は?、と全員がセラフィナを見る。見られた本人は、スタッフを取り出し、やる気だ。一瞬の間の後、エーリヒがくすくすと笑う声が響いた。
「いいね。セラ、みんなは疲れているみたいだから、二人でやってしまおうか」
立ち上がるエーリヒに、セラフィナが、そうね、と言う前に、リーゼがぐいっと割り込んできた。
「では、セラフィナさんは後ろで爆発でも起こしてください。私が切り込みましょう」
「炎なら、俺の方が得意だ」
さらに割り込むアルベルトに、セラフィナがムッとして言い返す。
「爆発なら、私の方が得意よ」
「暴発だろ」
「失礼ね。計算よ」
「おーい。黒い球が復活してるぞ?」
カイルの言葉で、全員がボス部屋の方に視線を戻す。
黒い球は、まだ両手で足りるほどの数しかないが、眺めている間にも一つ、一つと黒い真円から生まれている。
五人は顔を見合わせて笑い合ってから、リーゼだけを残して部屋の中へ入っていった。




