黒い触手
セラフィナは、スタッフを真っ直ぐ前に向けた。依然として跳ね回っている黒い球を、ピンポイントで攻撃するのは不可能だ。だから、狙うのは——
「アル。しっかり守ってね」
「——は?」
セラフィナの持つスタッフの先から、黄色い炎が音もなく流れ出たかと思うと、ダンゴムシの集団ごと黒い球を覆う。ダンゴムシは一瞬で燃えてなくなり、黒い球も動きを止めた。宙でカタカタと小刻みに震え、ジュウ、と音を立てて黒い灰になって崩れ落ちた。
「うまくいったわね!」
「「「「………………」」」」
「…………みんな、どうしたの?」
セラフィナが振り返るが、四人の反応はない。じとっとした目でセラフィナを睨むアルベルトを無視しようとしたが、彼の方が先に口を開いた。
「お前な。守れと言うなら、何をするのか言え」
「あら。問題はなかったでしょう?」
「全方位に最大強度で結界を張ったからな」
「だったら——」
「炎を使うとわかっていたら、熱だけを遮断した」
「でも——」
「まだダンジョンは序盤なんだ。魔力を温存できるなら、すべきだ」
「………………」
セラフィナは言い返そうとして、言葉を見つけられずに口を閉じた。二人のやり取りを見ていたカイルが、間に入る。
「まあ、今回はセラの負けだ」
そう言って、苦笑いでセラフィナの頭をポンポンと叩いた。
「で。黒い球は消えたが、何も起きないな」
カイルは、あたりを見渡しながら言い、リーゼも首を傾げた。
「何か起きるかと期待していましたが、これだけ待ってもダメなら、黒い球がカギではなかったのでしょうか」
セラフィナは、にこりとした。もちろん、黒い球が先へ進むカギだ。だが、それが一つであるとは限らない。このダンジョンには、黒い球と遭遇する場所がいくつかある。詳細は忘れたが、それほど面倒ではなかったはずだ。
「もう少し、黒い球を探して壊しましょう? 一つとは限らないでしょう?」
「拘りますね。何か、理由が?」
リーゼに鋭く聞かれ、セラフィナは一瞬言葉に詰まった。しかし、すぐににっこり笑って「勘よ」とだけ答える。そして、皆を促してダンジョン攻略を再開した。
揃って先に進む仲間の後を、エーリヒは黙って着いて行った。
もう一つ出現した黒い球は、見つけてすぐにカイルが魔力矢で破壊した。一緒に出てきた大量のダンゴムシは、アルベルトの風によって切り裂かれ、他のメンバーは出る幕がなかった。
小一時間ほど歩いて、さらに一つ、黒い球が出現し、エーリヒが周りにいた黄色い傘のキノコたちごと、魔力の刃で一閃した。
黒い球が空中で真っ二つに割れて、サラサラと砂になって崩れ落ちた、その時。
五人の視界が真っ白になった。
眩しくはない。天井も床もなく、ただ白いだけの空間に放り込まれたかのような、周りに仲間がいたはずなのに、それすらも見えなくなってしまった、そんな空間だった。
しかし、それも一瞬のことで、瞬いた次の瞬間には、五人は大きな石の扉の前に立っているのを自覚した。
「――みんな、いるな」
カイルが、周囲を見渡し、全員が揃っているのを確認した。
「今のは、いったいなんだったのでしょうか」
「お前たちも、白い空間を見たのか?」
リーゼの疑問に、アルベルトが質問で返す。他の四人は、一様に頷き返したが、その意味はセラフィナだけが違っていた。
なるほど、とセラフィナは思った。ゲームでは画面がグルン、と渦巻く表現が、現実ではこうなるのか、と。この扉の先にボスがいるのは、ゲームの知識がなくてもわかる。皆もわかっているのだろう、場の緊張が高まるのを感じた。
ふと、セラフィナはエーリヒを見た。
最初に黒い球を壊してから、彼の声を聞いていないのが気になった。
「……エーリヒ?」
セラフィナが、エーリヒの顔を覗き込むと、いつも通りの笑顔が返ってきた。優しく、少しだけ甘さを孕んだ視線に、セラフィナは、気のせいだったかしら、と首を傾げた。何かを考えているような、少し寂しそうな雰囲気を感じたのだが、セラフィナよりも大人の彼だ。心配のしすぎなのかもしれない。
そんなことを考えていたら、声をかけておいて黙って見つめ合う構図が出来上がっていたようだ。今度は、エーリヒが首を傾げた。
「――セラ? どうしたの?」
「えっ? ええと……静かだったから。何かあった?」
「そうだった?」
セラフィナが聞くと、彼は少し困ったように笑い、その後すぐに、華やかな笑顔に戻った。
「もしかして、セラは俺にもっと構ってほしかった?」
「へあっ!?」
思ってもみない言葉に、セラフィナの口からは変な声が出た。
「なんだ。言ってくれれば、いくらだって構うのに」
エーリヒが、キラキラした笑顔で一歩近づく。
その笑顔に恐れをなしたセラフィナは、思わず一歩下がる。背中にとん、と何かが当たり、それがカイルの腕だと認識した瞬間に、さっとカイルの後ろに移動した。カイルが「ん?」とセラフィナを振り返るが、気にせず彼の背中に隠れた。
「き、気のせいよ!」
強い口調でエーリヒに言うと、彼は軽く肩をすくめた。
「そう? 残念だなあ」
本当に残念そうに笑われて、セラフィナはますます強くカイルの服を握る。
そこに、「おい」とイラついた声が割って入る。
声の方を見ると、アルベルトが石の扉の前に立ち、こちらを睨みつけていた。
「何を遊んでいる。行かないのか?」
怒っている風もあるアルベルトに、エーリヒがクスリと笑った。
「遊んでないよ。アルは、小舅みたいだねえ」
「お前な……」
「そう言うエーリヒさんは、いつも不真面目ですね」
「リーゼは、本当に俺には辛口だよね……」
「お前には、それくらいがちょうどいいのではないか?」
「あれ? アルも、俺に構ってほしかったの?」
「……お前の耳は、飾りか?」
「まあまあ。とにかく、ボス部屋だろ?」
アルベルトを茶化すエーリヒに、エーリヒを貶すリーゼ、話を戻すカイルと、皆の緊張が少しほぐれ、セラフィナはくすくすと笑った。
キリキリとした雰囲気では疲れる。多少の緊張は必要だが、やっぱりこのグループは少し締まりがないくらいがいいわね、とセラフィナは頬を緩める。
「じゃあ、早速扉を開けてみましょう」
セラフィナが勢いよく石扉に両手をかけた。
「待て待て待て!」
カイルが、慌ててセラフィナの腕を掴む。
「だからと言って、ボス部屋を勢いよく開けるやつがあるか!」
「ええ? だって、開けないと始まらないじゃない?」
セラフィナが首を捻ると、アルベルトは呆れた視線を投げた。
「お前、緊張のかけらもないのだな」
「こう言う時は、ゆっくりと開けるものです」
アルベルトに続いて、リーゼもため息をつく。
エーリヒだけが、笑って言う。
「まあ、開けないと始まらないよね。セラのことは、俺が守るから、安心してね」
その笑顔に何か悪い予感を覚えて、セラフィナはあげていた両手を下げた。
「カイル、開けてくれる? ――慎重にね」
大きな石扉を開くと、そこにいたのは黒い巨大な何かだった。
石でできた広い空間に、ぽっかりと浮かんだ黒い何か。真円のそれの輪郭は、同じく黒くぼやけている。ゆらり、ゆらりと浮かぶそれの周りには、いくつもの黒い球――ディストープが宙に漂っている。
ダンジョンのボスは、最初は動かない。しかし、ボス部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、侵入者を敵と認識して襲いかかってくる。それは、ゲームと全く同じだった。
やはり、このダンジョンだけは変わらない。
果たして、ゲームがこの世界を元に作られたのか。それとも、自分がゲームの世界へ迷い込んだのか。ヒロインも、悪役令嬢も、攻略対象たちも、物語とは違う道を歩んでいるのに、この場所だけはゲームそのままだ。なら、このボスも、攻略法があるはずだ。
――どうやって倒したのだったかしら?
セラフィナは眉を寄せる。
新たな属性魔法を手に入れるダンジョンだから、攻略した記憶はある。しかし、一度しか遊んでいないゲームだ。肝心のボス戦だけが、いまだに思い出せない。
(……戦えば、思い出すかしら)
スタッフを握り直し、セラフィナは静かに一歩を踏み出した。
その、瞬間。
――ズズズ……
黒い真円の表面がゆらゆらと波打つ。かと思うと、何十本もの触手が表面からそそり立ち、ウネウネと周囲を蠢き出した。
「うわ……」
「……気持ち悪……」
珍しくカイルが声を上げ、エーリヒがものすごく嫌そうな声を出した。リーゼとアルベルトは、扉の前で引いた目をしている。
やはり、画面で見るのと現実では、気持ちの悪さが段違いだ、とセラフィナは思った。もしかしたら、ゲーム作成にあたって、表現が抑えられたのかもしれない。セラフィナは、思わず遠い目になった。
五人のそんな反応は無視して、ボス部屋の魔物たちは一斉に動き出した。
黒い触手の前に、いくつものディストープが躍り出る。次の瞬間、無数の黒い光が五人に向かって放たれた。
それは、五人に到達することなく、セラフィナの結界によって霧散する。同時にセラフィナ以外の四人が散った。
黒い球は、ダンジョンの通路で見たものと同じだ。しかし、明らかな意思を持って素早く飛び回っているために攻撃が当たりにくい。
絶え間なく飛び交う黒い光は、仲間に当たる寸前でセラフィナの結界によって阻まれた。四人は、飛び回る黒い球を無視してそれぞれの方向から黒い触手へと攻撃を開始した。カイルの魔力矢が飛び、アルベルトの剣が触手を狙う――が、しかし。
触手の中心を狙ったはずの魔力矢は、急激に方向を変えてリーゼに向かう。アルベルトの剣撃も、最も遠くにいたセラフィナの頬を掠った。それを視界の端に捉えたアルベルトの動作が一瞬遅れる。触手が彼の頭上に振り下ろされる瞬間、エーリヒがアルベルトの腕を掴んで放り投げた。自身も大きく飛び退いて触手から距離を取る。
リーゼに向かったカイルの矢は、セラフィナの魔法によって方向を変えられ、そこにいた黒い球に当たってもろともに砕け散った。
その間も、黒い光の攻撃は続き、五人がひと所に集まることを許さない。
「どういうことだ!?」
向かってきた触手を避けながら、カイルが声を上げた。
「カイルの矢は、無理やり捻じ曲げられたみたいだったよ!」
エーリヒが、動き回る黒い球に、器用に魔力を当てた。その球は脆く崩れていったが、別の球が放つ黒い光を避けなければならなかった。
「アルベルトさんの攻撃は、あたったように見えたのですが」
ひょいと光を避けたリーゼは、水晶柱を取り出した。
「やっぱり、これで殴りますか?」
「それは最終手段にしてほしいな」
間を置かずにエーリヒが返答したため、リーゼは残念そうにそれを鞄にしまった。向かってきた触手は、セラフィナの結界により阻まれる。
「みんな、ちょっと考えるから、自分たちで避けていてくれる?」
セラフィナは、そう言うと、自分の周りに結界を張り、顎に手を当てて考え込んだ。
触手は覚えている。通常攻撃も魔法攻撃も効かない相手だが、ゲームでは倒せたのだから、絶対に何かあるはずだ。この部屋にギミックがあるのか、それともヒロインの魔法でないと効かないのか。ヒロインしか使えない、といえば“聖なる魔法”だ。あれは治癒と浄化に特化した魔法だった。物理耐性は低く、補助魔法ばかり覚えて攻撃魔法は皆無だったヒロインが役に立ったのは、アンデット戦と魔王戦だ。他のメンバーのレベルを上げていたから、最終的に治癒するほどのダメージを受けなかった。それにしても、魔王とアンデットが同列って設定上どうかしら、とセラフィナはどうでも良いことに首を捻った。
周りでは、黒い光が壁に当たってバチバチと音を立てたり、触手が床や天井を抉り石が砕ける音が響き続けている。
(それにしても、黒い球、随分と多いわね。こんなだったかしら?)
目の前で、アルベルトの剣が黒い球を両断した。別方向から向かってくる触手を避けたかと思うと、進行方向にいた黒い球をさらに切り落とした。
黒い球――そうだ、とセラフィナは視線を上げた。
ボス部屋には、まだ多くの黒い球が勢いよく動き続けている。ゲームはここまで多くはなかったが、先に黒い球を全て片付けた記憶がある。最後に残ったボスを、余裕を持って攻撃した――倒したのだ。
「――みんな! まず、黒い球を殲滅しましょう!」
セラフィナが、スタッフを掲げて頭上に迫る黒い球を氷漬けにした。パリン、という小気味良い音と共に、黒い球は木っ端微塵に砕け散った。
「簡単に言うが、かなり多いぞ?」
「そうね。あ、まだあの気持ち悪いボスに、攻撃を当てないでね」
カイルの反論は、さらりと流した。今、ボスを狙っても、さっきのようになるだけだ。それがわかっているのか、今度は誰からも反論がない。
「では、魔力が使えない私は役立たずですので、隅っこで休んでいますね。頑張ってください」
ダンジョンとは不思議なところで、ボスとそれに付随するものは、ボス部屋以外のものを無視する習性がある。リーゼはひょいっとボス部屋から飛び出して行った。
アルベルトは言葉が足りないけど、セラフィナも意外と説明不足。




