神名録?
ルミエラ公国は、三百年前までアストレア王国の一部だった。
かつて、アストレア王国には、二人の優秀な王族がいた。姉である王女は非常に優秀で、政治、外交、軍略、経済、何一つ欠けることのない才女だった。弟である王子は、姉ほど優秀ではないにしろ、同年代では飛び抜けて優秀で、何につけてもそつなくこなした。そして、何より男である。
当時の王国では、「王は男が継ぐもの」という伝統が強く残っていた。貴族は、真っ二つに割れた。国政は乱れ、やがて民衆までも巻き込み、内乱へと発展した。
姉と弟は気がついた。「このままでは、国が滅ぶ」と。そこで、二人は誰にも相談せずに、密かに会談をする。そして、その場で決断した。王女は、当時恋仲だった公爵へ降嫁する。そして、南方領を独立させて、ルミエラ公国を建国する。内乱で荒れたアストレア王国は、王子が残り立て直す。
兄弟は、最後に約束を交わした。
「どちらかの国が滅びそうになれば、必ず助ける」
これが、三百年経った今でも、この二つの国が友好国である証である。
そのルミエラ公国で、セラフィナたちは船を降りた。建国の経緯から、二つの国はよく似ている。人々の服装や顔立ち、街並みも、アストレア王国と大差がない。
「――なんだか不思議ね。アストレアと同じようなのに、別の国なのね」
セラフィナが、宿屋の食堂で一息つきながら、しみじみと呟いた。
「本当だよね。元は同じ国だと言っても、三百年も経っているとは思えないよね」
エーリヒも頷いて窓の外を見た。港街らしく、街には活気があふれ、通りを行き交う人は多い。
五人がそんな話をしていると、食事を運んできた店員の女性が、元気よく声をかけてきた。
「随分と綺麗な冒険者さんたちだね! どこから来たんだい?」
「元々は、アストレア王国の出身だね。そういえば、カイルは?」
店員の「綺麗だ」という言葉は否定せずに、にこりと微笑むあたりが、エーリヒらしいところであるし、誰もそれに違和感を感じないのがこのグループでもある。カイルは、苦笑いしながら答えた。
「俺も、多分アストレアだな」
「おやまあ、弟国の皆さんかい! 来週はうちの建国祭だよ。いいときに来たね!」
店員は、満面の笑みで食事を置いていく。
アストレア王国とルミエラ公国は、建国の経緯から“弟国”と“姉国”と呼び合っている。そう呼ぶのは、両国の親密さの証だ。互いに守り合い、敬意を持って接しよう、という意味も込めて、誰ともなくそう呼び始めたのだと言う。
「ああ、通りで、公国旗が溢れていると思ったら」
カイルが、窓の外に目を向けた。外には、白百合と月の紋章を持つ公国旗が、そこここに掲げられている。
「今年は、雪が多くて大変だったからね。待ちに待った春の建国祭で、みんな張り切ってるよ」
「そんなに多かったのか?」
店員の言葉に、カイルが聞き返した。
「そんなにだよ! 朝起きたら人の背丈ぐらい雪がつもってて、家から出れないなんてしょっちゅうでさ。潰れた家もあったって」
ルミエラ公国は、アストレア王国の南に位置する。アストレア王国でさえ、そこまでの雪は降らない。
「しかも、暖かくなるのも早かったね。おかげで、建国祭はこの通りできそうだけどね!」
どうしたんだろうねえ、と首を捻る店員は、多少不安げな顔をしているが、それ以上に建国祭が楽しみな様子だ。
「大変なのね。アストレアは、大丈夫だったのかしら」
心配するセラフィナに、店員は笑う。
「あんたたち、家族は弟国かい? 手紙でも書いてやりなよ」
そうね、と答え、セラフィナも笑った。
「それで、健国際を楽しんでおくれよ!」
「来週よね? その頃には王都に着く?」
「あんたたち、これから公都に行くのかい?」
五人が肯定すると、店員は呆れた顔で見返してきた。
「この時期に、公都で宿なんてとれないよ。予約でもしてないとね」
「そうなのか。困ったな。ここでしばらく滞在してもいいが、どうする?」
カイルが皆の顔を見渡して眉を下げたが、セラフィナは笑って見返した。
「私は、いいわよ。この近くにダンジョンがあるでしょう? そこに行きたいのよ」
「セラフィナさん、よく知っていますね」
「私だって、情報収集するのよ」
リーゼに言われて、もちろん嘘をついた。セラフィナは、ルミエラ公国に唯一あるダンジョンが、この港街エストベルから南に行ったあたりにあるのを、ゲーム知識で知っていた。そして、ここではヒロインが新たな魔法属性を習得するのだ。
セラフィナは、ここまで古代魔法を、ダンジョンで得た魔法書で覚えた。一方、ゲームのヒロインは、ダンジョン攻略後に決まって新たな属性を獲得する。しかし、現実のヒロインは攻略失敗、つまり、ストーリーを進めていない。
だから、ヒロインが新たな属性を習得したダンジョンには、必ず古代魔法書があるはずだ。……曲がり間違ってヒロインが攻略していなければ。そういえば、ヒロインは今頃、どこで何をしているのだろう。卒業記念パーティーにいなかっただけで、学園は卒業したらしい。しかし、いつの間にか社交界から姿を消していた。そもそも、攻略失敗の場合は、悪役令嬢、つまりセラフィナに嵌められて平民落ちの生活苦に陥るはずだが、セラフィナは何もしていない。すでにいなかったから。だとすると、どこかでセラフィナのように冒険者になって、何かの拍子に聖なる力を目覚めさせ、ストーリー通りに魔王を浄化してもおかしくはない。
そんなことを考えていると、エーリヒが顔を覗き込んできた。
「何を考えているの?」
「——何も?」
内心でぎくりとしながら返すと、エーリヒは「ふうん」と表面上の納得は見せた。
「まあ、いいけどね。みんなで行ってみる?」
「セラが行くなら、俺も行く」
「アルも? じゃあ、決まりね」
セラフィナの提案に全員が同意して、カイルは笑った。
「よし。なら、明日ギルドに行ってダンジョンだな。それで、気分よく建国祭だ」
五人の会話に、店員は大いに笑った。「ゆっくりしていっておくれよ!」と言って、たくさんの食事を置いて戻っていった。
その翌々日、五人はダンジョンの前に立っていた。
「ダンジョンなのに賑わっているわね」
セラフィナは、ダンジョンの入り口に立って、そう感想を言った。
ルミエラ公国唯一の港街エストベルから南へ歩いて一日かかる場所に、そのダンジョンはあった。『幻の教会』と呼ばれるそこは、ダンジョンとは思えない佇まいの入り口で、少なくない数の冒険者を迎えている。
「未踏破のダンジョンだからな。初攻略したい冒険者なんて、山ほどいるさ」
「そんなものか?」
アルベルトが首を傾げると、カイルが振り返って笑った。
「ダンジョンを攻略すると、ギルドから報奨金が出るからな。それに、攻略者として名が載る」
「初めて攻略したとして、それは証明できるのか?」
「未踏破のダンジョンにいるボスは、そこにしかいないからな。その素材を持ち帰るんだ。鑑定士に見せたら、一発らしいぞ」
カイルの説明を聞いて、アルベルトは「なるほどな」と納得した。その横では、セラフィナとエーリヒとリーゼが、ダンジョンの入り口を見上げていた。
「ねえ、あれって、神々の像かしら?」
セラフィナは、入り口を飾るいくつかの像を指差した。崩れかけているが、大きな入り口の両サイドに二体ずつ、人の形をした像が見える。
「神は、創造神ではないですか? 四人は、おかしいでしょう。歴代の王か何かでは?」
リーゼが、訝しむように言ったのは、この世界の神は唯一創造神ノルヴァデォオンだからである。しかし、セラフィナは、このダンジョンにゲームのイメージを重ねている。ゲームでダンジョンを攻略した時は、内装がまさに教会だった。教会は、神事を執り行う場所である。そこに、国王の像など建てた時には、確実に喧嘩を売っている。
セラフィナは、納得がいかないように、腕を組んで首を捻った。
「セラ、イェレミアスさんから、『神名録』をもらっていなかった? あれで何かわかるんじゃない?」
エーリヒが、思いついたように言うが、セラフィナは首を振った。
「あれには、絵姿はないのよ……あ、でも」
セラフィナは、魔法拡張鞄をごそごそと探り、目的の本を見つけて取り出した。古代語で書かれた表紙は、リーゼとエーリヒには読めなかったが、話の流れから『神名録』であることは間違いない。
「私たちは創造神ノルヴァデォオンを唯一の神としているけれど、古代の人たちは、たくさんの神を信仰していたみたいなの」
セラフィナは、パラパラとページをめくった。
「これによると、アストリッド様、という神が一番偉いのですって」
「偉いって……」
「だって、書いてあるのだもの。アストリッド様は、滅多に人前には出てこないけれども、割と自由な方だから気をつけてって。ご機嫌だけは損ねちゃダメって」
「ええ……それ、本当に神名録?」
エーリヒに眉を顰められ、セラフィナはうーん、と首を捻る。
「他には、どんなことが書かれているのですか?」
リーゼに聞かれて、セラフィナは本のページをめくった。
「あとは——リュクサリオ様は、研究者の中でも変なやつが担当すべし」
はあ、と首を傾げるエーリヒに、アルベルトが後ろから声をかけた。
「事実、そう書いてあるのだ。俺も、呆れたがな」
「それから、エリシアン様は、遅刻厳禁」
エーリヒが、また変な顔をした。
「神に、遅刻?」
「遅刻厳禁よ」
「神だよ?」
「そうね」
セラフィナは、言うと本に視線を戻した。
「オルディアス様の担当は、綺麗な人限定で」
「女好きですか」
「綺麗なものが好きなんですって」
「…………何が違うんです?」
「さあ?」
リーゼの言葉に首を傾げてから、セラフィナは続けた。
「オルフェザーラ様は、相談に乗ってくれるそうよ」
「神に何を相談するんだ?」
カイルが言うと、エーリヒが面白そうに続けた。
「人生相談とか?」
アルベルトが首を振った。
「いや、愛だの恋だのだけだそうだ」
「仕事のこととか」
「いや」
「元上司が、俺の好きな子に絡んで困る、とか」
言って、エーリヒはアルベルトをチラリと見た。
「誰の話だ?」
「さあ?」
「…………お前な」
「例えば、こんな相談?」
エーリヒは、睨みつけるアルベルトを無視して、今度は本を開くセラフィナをにこやかに見た。
「そういうのは、相談に乗ってくれるみたいよ」
「セラフィナさん、そういう時は『喧嘩はやめてー』って言うべきです」
「……どうして私が、そう言わなければいけないのよ」
「原因が、セラフィナさんだからです」
「どうしてよ。エーリヒがアルを揶揄っているだけでしょう?」
セラフィナがため息をついて言い、エーリヒがくすりと笑った。
「まあ、それはいいとして。その本、ほんとに『神名録』なの? ただの取扱説明書に聞こえるんだけど」
エーリヒの言葉に、セラフィナも同感だ。
セラフィナは、かなり省略して説明したが、この『神名録』には数多の神々の性格や趣向、人間関係(神様関係?)までもが幅広く記載されていた。セラフィナなどは、「これって神の攻略本ね」と感想を述べて、アルベルトに妙な顔をされたのだ。
「どちらにせよ、『神名録』に書かれた名が全て神の名だとすると、古代は神が我々人間と共にあったということになる」
「アルの言う通りよね。今では創造神ノルヴァディオンすら、その姿を見る者はいないもの。もし、本当に神が存在したとして、この『神名録』はどこからどこまでが本当のことなのかしら」
「神の定義が、そもそも現代と違う、ということはないか?」
「そう考えると、ここに書かれているのは、現代でいうところの『神』ではなくて――」
「それで? 何で『神名録』の話になったんだ?」
アルベルトとセラフィナが、『神名録』を間に議論を始めたところで、カイルが二人の話をぶった斬った。顔を上げた二人は、仲間たちの呆れ顔を見て、セラフィナは首を傾げ、アルベルトはセラフィナを見た。
視線を集めたセラフィナは、何だったかしらとさらに首を傾げ、「あ……」と間の抜けた声を出した。それを、エーリヒがくすくすと笑って見つめるので、セラフィナはつい彼を睨んでしまったが、エーリヒは意に介さないように言った。
「確か、入り口の像の話をしていたんだよね?」
「……そうよ」
セラフィナは、決まり悪そうに続けた。
「この『神名録』に書かれた主たる神のうち、四方を担う神、東方エリシアン、西方オルフェザーラ、南方リュクサリオ、北方オルディアス。この四神が、この像なのではないかしらと思ったの」
五人は、一斉に『幻の教会』の入り口を見上げた。崩れかけてはいるが、形の違う四体の石像。数だけは、一致している。
「だとすると、『教会』というより『神殿』と呼ぶほうがいいのかな」
「ダンジョンの呼び名は、後世の人間がつけているからな。もともと、ここが何だったのかも、わかっていないんじゃないか」
「ここが『神殿』だったとして、魔物の跋扈するダンジョンになるとは、因果なものだな」
「古代の記録だとか、残っていないかしら」
「暴走だけは、しないでください」
五人それぞれの会話をしながら、一行はようやくダンジョンへと足を踏み入れた。




