ラディ
暗いシーンで短めです
大陸の南に位置する、軍事国家ウランディア。その南に聳える山岳地帯を超えた場所には、魔王城がある。魔王軍は、千年前から人類を脅かしてきたとされるが、ここ二百年はこの山岳地帯より北へ進んでいないという。それは、ウランディアを始めとした周辺諸国が同盟を組み、魔王軍の侵攻を防いできた功績であった。
山岳地帯を北に抜けた場所にあるこの砦は、魔王軍と人間の戦いの最前線である。とは言っても、両者の勢いは拮抗しており、ここ数年は人間側に大きな被害は出ていない。魔物の群れが襲ってくることは日常茶飯事ではあったが、人間側の武器や魔法も進化していて、そう簡単に死人も出ていなかった。
若い士官ラディは、砦の壁にもたれながら、どんよりと厚い雲のかかる空を見上げた。
「なあ」
隣で槍を磨いている同期のエドガーが顔を上げる。
「なんだ?」
「あと、半年だな」
「そうだな」
エドガーは、短く返事をして槍に目を戻した。
二人は同時期に出兵を志願して、同じような経過を辿りここに来た。あと半年で、五年という契約期間が終わる。
「お前、帰るんだよな」
エドガーが、槍を磨く手を止めずに言い、ラディは大きく頷いた。
「お前は?」
「俺も、一旦帰る。母さんが、身体が辛いって言っててな。畑仕事が難しいんだと」
言いながら、エドガーはまたラディを見た。
「お前は、彼女だったか?」
エドガーの茶色い瞳が、楽しそうに細められ、ラディは照れ臭そうに頭を掻いた。
「あー……まあな。手紙のやり取りはしてたんだけどな。五年帰ってないからなー」
一度下を向いて息を吐いたラディは、すぐに、まっすぐ前を見つめた。
「——俺、帰ったら、あいつに結婚を申し込むんだ」
「五年も待たせておいて、か」
エドガーが、揶揄うように笑い、ラディも明るい笑顔で返した。
「もし砕けたら、お前んとこ行くからな。再起できるように、慰めてくれよ」
「男を慰めるなんざ、絶対嫌だね」
「おいおい、お前、冷たいやつだな!」
「砕けなきゃいいだろ?」
「簡単に言うなよなー」
ラディが肩を落とし、エドガーが笑った時、カン、カン、カン、と甲高い金属音が鳴り響いた。
「敵襲ー! 敵襲ー!」
見張り兵の声が響き、警報が鳴り続ける。
エドガーが眉を顰めて言った。
「またか……今度はどんな魔物が来るんだろうな」
「何匹倒したか、数えとけよ」
「晩飯の肉を掛けるか?」
ラディが笑い、エドガーがニヤリとした。
エドガーが立ち上がり、二人で拳をコツンと合わせる。
「後でな」
「おうよ」
そう言うと、お互いの持ち場へと急いだ。
何が起こっているのか、ラディはわからなかった。いや、わかっている。わかってはいるが、理解したくはなかった。
戦場のど真ん中に座り込んだラディの目の前に転がっているのは、先ほどまで肩を並べて剣を振っていた男。彼は、故郷に子供が三人いると言っていた。下の子は、今年七歳になるそうだ。その男の上に覆い被さる魔法使いの男は、身体の弱った両親に仕送りをしているのだったか。少し抜けたところのある彼がいると、戦場でも空気が緩んだ。
この砦に来て三年弱。その間に見知った人たちが、そこここに転がっていた。中には小刻みに身体を震わすものもいたし、小さな呻き声をあげている者もいたが、多くの者たちの未来は、もう描くことすら叶わないのだろう。
警報が鳴って、いつも通り持ち場についた。迫ってくる魔物の集団は、いつも通り数十匹程度で、これなら晩飯には間に合うな、と出撃した。全員で協力してもうすぐ殲滅、というところで、仲間たちの一角から悲鳴が上がった。そちらを見ると、明らかに様子の違う魔物たちが、仲間たちの中に突っ込んでくるのが見えた。
魔物の数は、よくわからない。
最初は、何を焦っているのかと思った。
戦ってみて、驚いた。
一体一体の能力が違う。妙に統率の取れた動き。次々と仲間たちが怪我を負っていく。
それでも、異変に気づいた砦が援護を出してくれたおかげで、死人も出ず後少しのところまで追い込んだ。
追い込んだのに——。
ラディの目の前に佇む男は、この場にそぐわない笑顔を浮かべている。茶色い癖毛が生臭い風に揺れる。二十八歳のラディより、幾つも年下に見える。彼は、すぐ近くに座り込むラディのことなど、まるで存在していないかのように気にも留めない。戦場に来るには軽装すぎる男が、愉快そうに口を開いた。
「この数百年で、人間も強くなったんだねえ」
全く緊張感のない口調で、ヘラヘラと笑う。その男は、どこからともなく現れたと思ったら、周りの兵士の首が跳んでいた。
その後のことは、ラディはあまり覚えていない。気がつけば、彼らが守っていた砦は、完全に沈黙していた。この辺りに、生きている人はいるのだろうか。もう、小さな呻き声すら、ラディには聞こえなかった。
「でも、おかしいなあ。北はこいつらが一匹出ただけでも、大騒ぎだったんだけど……」
うーん、と首を捻る姿は、まるでわがままを言う子供に困っている兄のようだ。
「魔法は、むしろ退化してたし……でも北の入り口は壊されたし……んんー? なーんかちぐはぐだなあ」
ぶつぶつと独り言を言う男の声が、ラディ耳にぼんやりと響いた。
不意に、男の視線がラディを捉えた。
「お前は、何か知ってる?」
じっと見つめる茶色い目の奥に金色の光がちらりと見え、ラディは故郷に置いてきた彼女の髪の色を思い出した。
収穫間際の稲畑のように、豊かに揺蕩う金の髪。笑った時に片頬にだけできる笑窪が、ラディのお気に入りだった。
(ああ……会いたいなあ……)
ラディの瞳は、虚空を見つめた。視界はもう何も映していないのに、彼の瞳には金の光が揺れて見えた。




