出航
フィヨルライン王国は、南から徐々に春の風が入ってきた。
この頃になると、フィオレイドの地面を覆っていた雪も溶け始め、石で覆われた道が姿を現してきた。王都の道は全て石が引かれていて、濡れても滑りにくい加工がされていることがわかった。反対に、小さな村では土が剥き出しであり、この時期は実に歩きずらい。王都やそれなりの規模の町ぼ周辺の道は舗装されていたが、村にまでなるとそれもない。
「セラフィナさん、何を書いているのですか?」
ダイニングで手紙を書くセラフィナに、リーゼが問いかけた。
「お手紙よ。レヴィに」
セラフィナが言うと、リーゼは嫌そうな顔をして「律儀ですね」と言った。
イェレミアスの家には、あのあと二回ほど訪れた。雪の中を行くのは大変だったが、アルベルトと三人、古書の話で徹夜したのは楽しかった。リーゼに散々怒られたが。それも、雪解けで道がぐちゃぐちゃになってしまったので、最近ら足が遠のいてしまった。その代わり、手紙のやり取りが続いていた。
『——居住先が落ち着いたら、またお手紙を出します』
セラフィナは、手紙の最後にそう綴り、封をした。これを出せば、移動の準備は終了だ。
セラフィナは、家具だけになった家を見渡した。
約四ヶ月。短い間だったが、仲間たちと生活するのは、新鮮で楽しかった。雪の中の移動は大変だったが、出向いた先の人たちは、とても暖かかった。ギルドの職員はとても親切で、美味しいお菓子があるお店だけではなく、ギルドの蔵書の情報や、フィヨルライン王国内の図書館、質の良い本屋の情報も教えてくれた。興味を惹かれる依頼も多く、フィヨルライン各地を回ることができた。エーリヒが現実に引き戻してくれなければ、フィヨルライン王国に定住すると言い出していただろう。
「セラ、行くよ」
玄関からエーリヒがひょいと顔を出している。セラフィナは、にこりと笑って立ち上がり、そちらへ向かった。玄関を出て、管理人に挨拶を終えた後、一度家を振り返った。
「――楽しかったわね」
セラフィナが呟くと、横でカイルが頷いた。
「楽しかったな。フィヨルラインの人たちも、いい人たちばっかりだったしな」
「ギルドの様子が、おかしかったですけどね」
リーゼが、やや遠い目をしているのは、イーダにフィヨルライン王国を出ることを伝えた直後、ギルドの多くの女性職員にブリザードが吹き荒れたためだ。それでも彼らはプロだった。顔を引き攣らせながら通常業務をするギルド職員の姿を、イーダは「気にしないでください」と微笑んで見ていた。
「ねえ、やっぱり、もう少し早くに言った方が良かったのではない?」
セラフィナはエーリヒを見ると、にこりと笑顔が返ってきた。
「いや、昨日が正解だったと思うよ」
「でも……」
「むしろ、今日でも良かったよ。ね、カイル」
「ん? あ、ああ。特別仲がいいとかでなければ、挨拶もしていかないからな」
カイルの答えに、エーリヒは「ね?」とセラフィナに微笑むが、横からアルベルトが苦言を呈した。
「お前、何を知っている?」
「うん? 何のこと?」
エーリヒは、眉間に皺を寄せるアルベルトをさらりと流した。
「ほら、船に乗り遅れたら面倒だよ。みんな、行こう」
セラフィナの背中に回した手を、リーゼにペイッと剥がされながら、エーリヒは皆をにこやかに港へと促した。
フィオレイドは湾に面していて、その湾には大きな港がある。季節を問わず外界に開かれた港によって、フィオレイドだけではなくフィヨルライン王国全体の冬の食糧難を支えているのだった。しかし、ここ数年は冬の気温が低く、特に真冬は氷によって船が出られなくなることが増えてきているようで、フィオレイドから離れた地域になるほど、食糧事情は厳しかったようだ。
その港も、春になって多くの船で賑わいを見せている。
「なあ、あれって……?」
乗船券を購入して待合に入ると、カイルが何かに気づいてそちらを示す。その先を見ると、イーダを始め、数人のギルド職員がこちらを見ていた。パッと笑顔になった彼女らは、すぐに五人に駆け寄ってきた。
「皆さん、間に合って良かったです」
にこりと微笑むイーダに、カイルが眉を下げて答えた。
「どうしたんですか? 俺たち、何か忘れてるとか?」
「いえいえ。私たちが、勝手に来たんです。お見送りです」
「え?」
カイルは、驚いてイーダを見たあと、後ろのギルド職員の女性三人を見た。一冒険者をギルド職員が見送りに来るなんて、前代未聞だろう。
「とは言っても、私は見守りでして。本命は、こちらの三人です」
イーダが言うと、後ろにいた三人が一歩前に出た。
「急な出発で、驚きました」
「本当は、みんなで来たかったんですけど……」
「こちら、よければ皆さんで召し上がってください」
順に口を開く三人は、ひどく悲しげだ。一人が紙包を目の前に立つアルベルトに差し出した。差し出されたアルベルトは、チラリとカイルを伺うと、無表情でそれを受け取った。
「………………」
「戸惑っているなら、首くらい傾げなさいよ」
「…………うるさい」
セラフィナの茶々に、アルベルトが眉を顰めると、イーダがくすくすと笑った。対照的に、三人はシクシクと泣いている。
「カイルさん、いい人なのはわかるけど、沼っちゃダメですよ。早く気づいてくださいね」
「何に?」
「アルベルトさん、セラフィナさん以外にもお友達ができるといいですね。案外、見られてますよ」
「………………は?」
「セラフィナさん、"ツン"はほどほどに。ストーカーが増えます」
「え、もういるの?」
「リーゼさん、かっこいい。お姉様と呼ばせてください」
「喜んで」
「エーリヒさん……は、手遅れでした」
「前から思ってたんだけど、俺だけ雑だよね」
三人は交互にコメントし、後ろではイーダが口を押さえて肩を震わせている。そのイーダに、エーリヒが冷たい視線を送ると、彼女は笑いを収めてセラフィナの前に立った。そっとセラフィナの手を取り、目を合わせる。空色の瞳に見つめられたセラフィナは、頬を赤くしてふにゃりと笑った。
「セラフィナさん、また、その笑顔を見せに来てくださいね」
「もちろんよ。私、フィオレイドに来たら、真っ先にイーダさんに会いに来るわ」
二人でふふふ、と笑い合う。
横では、リーゼがエーリヒに話しかけていた。
「エーリヒさん、この二人が手を取り合っていると、イケナイ世界に見えますね」
「リーゼは、どうして俺にそれを言うのかな?」
「さて、どうしてでしょうか」
「………………」
黙り込んだエーリヒに、今度はイーダが話しかける。
「もちろん、エーリヒさんも来てくださいね。セラフィナさんの"仲間"ですもんね」
にこりと微笑まれ、エーリヒも同じように微笑み返した。
「もちろん、俺はセラといつも一緒だからね」
「エーリヒさんだけではないですけれどね」
空かさずリーゼが口を挟み、セラフィナがころころと笑った。
「また、みんなで来ましょうね」
シクシクと泣いているギルド職員を慰めながら、五人が船に向かおうとした、その時——。
「待って! そこのお嬢さん、待って!!」
急に、大きな声が後ろでした。何かあったのか、と全員で振り向くと、真っ白いローブを着た男女が、勢いよくこちらに向かってきているところだった。
ただならぬ雰囲気を感じ、セラフィナはリーゼと同時に回れ右をして早足で船に向かう。それを見たアルベルトがさっさとセラフィナの横に並び、カイルとエーリヒは首を傾げながら周りを見渡した。
「セラフィナさん、面倒ごとな気がします」
「私もそう思うのよ。知らない人たちだけど、目が合った気がしたわ」
「お前、また何かしたのか?」
「していないわよ。アルこそ、お迎えじゃないの?」
「知らん。あれは、フィヨルラインの魔法使いだろ」
「だったら、私も知らないわ」
三人は、言いながら船へ急ぐ。後ろでは「離せ!」だの「避けろ!」だの声が聞こえているが、無視した。
「あなた方、雪狐の人たちよね!」
もう少しで乗船、というところで三人はピタリと足を止めた。それが必死な声だったからではない。
「雪狐? ギルドの?」
白いローブの女性が、カイルとセラフィナを交互に見ながら声を上げる。
「少し前に、妖精院の裏で、雪狐を連れて行った人たちよね?」
エーリヒに止められながら、セラフィナに向かって身を乗り出した。
セラフィナは、カイルと目を合わせ、二人で首を傾げる。カイルが、横にいた女性に声をかけた。
「あの、確かに雪狐を連れていきましたけど、何か問題でもありましたか?」
カイルが抑えていた男性も、セラフィナたちが止まったことで無理に突破することをやめ、カイルから一歩身を引いた。
「――申し遅れました。私たちは、妖精院の者です。私はレイル、こっちがミラです」
二人は、真剣な顔をして会釈し、男性が説明を始める。
「雪狐については、何も問題はありません。問題は、そちらの女性で。今日、フィヨルラインを出ると聞いて来てみたら、まさかこんなことになっているなんて……」
レイルとミラは、顔面蒼白になってセラフィナを見たが、セラフィナたち五人も、イーダたち四人も、何のことだかわからない。
「彼女が問題とは、どういうことですか?」
イーダが、強い言葉で問い返すと、ミラがセラフィナを睨みつけた。
「どういうって、あなた、妖精たちをごっそり連れて、どこに行こうとしているんですか!?」
ビシッとセラフィナを指差して、まるで親の仇のように睨まれたセラフィナは、キョトンとして首を傾げた。
「妖精? ごっそり? 何のこと?」
「惚けないでください! 先日は妖精たちに雪狐を眠らせるわ、あんな立派なカゴを持って来させるわ、散々こき使って、その上魔力をあげないだなんて、あなたどれだけ身勝手なんですか!」
「…………ええと?」
「妖精院に来て、責任をとりなさいよ!」
興奮するミラの肩を、レイルが「落ち着け」と肩を叩く。レイル以外は、ポカンとしてミラを見ていたが、セラフィナがハッとしたように口を開いた。ここは、勢いに負けてはいけない、と気合を入れる。
「意味がわからないわ。順を追って説明しなさい。感情だけでものを言うのは、子供のやることよ」
背筋をピッと伸ばして顎を上げ、目を細めて言い放った。怒っているのではない。セラフィナとしては、「冷静になってね」と言っているだけなのだが、妖精院の二人とギルドの三人(イーダは「かっこいい」と頬を染めている)は、急に冷たい雰囲気になったセラフィナに「ヒッ」と背筋を伸ばした。
「あ……申し訳、ありません……その……」
さっきまでの勢いはどこかに消え、ミラはしゅんとしてしまった。セラフィナは、別に謝ることではないのに、と思い、彼女に声をかけた。
「謝らなくてもいいわ。説明してちょうだい」
ピシャリと言うと、ミラが俯いて口篭ってしまった。それで、セラフィナはつい、とレイルを見やった。
「あなたが説明して」
セラフィナが言うと、レイルはピシッと背筋を伸ばした。
「は、はい! 先日、お嬢様と若様が妖精院の裏で雪狐を連れていくのを、たくさんの妖精たちが手伝っていたのです。それを、このミラが見ていました」
“若様”と変換されたカイルが、変な顔をしたが、それには気づかずレイルは続ける。
「妖精院に報告したところ、お嬢様と若様をお連れするように、と。それで、お探ししていたのですが、お嬢様がたくさんの妖精を連れて乗船しようとしていたので、ミラも焦ったのです」
レイルの話が終わると、全員がセラフィナを見た。
「セラフィナさんは、本当にトラブルのお手本ですね」
横でリーゼがため息をつき、セラフィナはそれを睨みつけた。
「私が、いつ、トラブルを起こしたのよ」
「今ですね」
「不可抗力よ。そもそも、妖精さんも見えないのに、どうして連れて行くっていう結論になるのよ」
「この方たちが、言っています」
「あなたの優先順位は、どうなっているのよ」
セラフィナはため息をついたが、言い合いをしている場合ではない、とアルベルトが止めた。
「そろそろ船が出る。さっさと行くぞ」
「だ、ダメです! あなたはここに残って……っ」
「でも、私は世界を……」
ミラの叫びに、セラフィナは眉を下げる。久しぶりに気を張ったら疲れてしまった。顔の筋肉を緩めると、イーダが「あら、ギャップ萌え」とニコニコした。それをエーリヒが睨みつけ、二人の間に火花が散ったが、いつものように全員がそれを無視した。そうしている間にも、「まもなく出航!」という声が響く。
アルベルトとリーゼはセラフィナを急かし、追いかけようとするレイルとミラを、カイルとエーリヒが止める。ごたついた場を鎮めたのは、イーダだった。
「——セラフィナさんが、妖精たちに残るようにお願いすれば済む話では?」
指を顎に当てて首を傾げるイーダに、全員が注目した。
「レイルさんとミラさんは、妖精たちに残って欲しい。セラフィナさんは、出発したいんですよね? そうすればいいと思います」
「——それもそうね」
セラフィナは、納得して頷いたが、レイルが焦った声をあげた。
「そ、それもそうですが! お嬢様も妖精院に——っ!」
その言葉を無視して、セラフィナは何もいない空間に向かって眉を下げた。
「見えなくてごめんなさい。みんながいないと困るのですって。また遊びに来るから、フィヨルラインに残ってくれる?」
それから、と続けて微笑んだ。
「もしかして、雪狐だけではなくて、カイルが怪我をした時に水を出してくれたり、アルと逸れた時に案内もしてくれた光、あれも、あなたたち? ほかにも、何かしてくれていたかしら。全部、どうもありがとう」
言い終えて、これでいい?とレイルとミラに視線を向ける。
「さ、行きましょう」
二人の反応は待たずに、セラフィナは船に乗り込んだ。それにリーゼが続き、イーダたちギルド職員をチラリと見たアルベルトが後を追う。
エーリヒは、ミラから手を離し、イーダたちに「たまね」と微笑んだ後に三人に続いた。それを見送ったカイルは、レイルに視線を送った。
「妖精たちは、セラから離れたのか?」
「――あ……? あ、はい。船には乗り込んで行っていないようです」
急な問いかけに驚いたレイルは、一瞬言葉に詰まったが、すぐに周囲を確認して答えた。カイルは、それに「そうか」と答えただけで、すぐに船に乗り込んでいった。
出航までギリギリの時間だったようだ。五人が乗り込んだ後、すぐに船は出航した。イーダたちギルド職員は離岸する船を見ていたが、すぐに明るく喋りながら港から離れていった。
ゆっくりと港から出ていく船を見ながら、レイルが呆然と呟いた。
「……行ってしまったな」
「…………行っちゃダメじゃないですか! お嬢様を連れて行かないと、怒られますよ!」
ミラが、我に返ってレイルに掴みかかる。
「どうするんですか!? 院長に何て言い訳をすれば……」
「まあ……追いついた時には船が出ていた、妖精は彼女について行かなかったようだ、でいいんじゃないか? 半分本当だし」
「院長、納得してくれますかね……」
「しないだろうな」
「ですよねえ……」
二人は揃って肩を落とした。
ゆっくりと遠ざかる船は、春の陽射しを受けてキラキラと輝く水面に運ばれて行った。
フィヨルライン編終了です。
次の国に行きます




