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【番外編】側近は見た

側から見たアルベルトのお話

 ――アルベルト殿下が、おかしい。

 これは、王城で働く者たちの最近の噂だ。

 アルベルトの側近の一人ディクセンは、今日も主のいない執務室に入り、持ってきた書類の山をデスクに置いてため息をついた。

 彼の主は、最近おかしい。

 もともとアルベルトは、主としては満点の人間だった。仕事も指示も、早くて的確。学園の生徒会会長業務も兼任しているのに、愚痴の一言もない。やや表情に乏しいこともあるが、概ね柔らかい表情で人と接し、声を荒げることもない。身分や出自で差別することもなく、自身が王子であるということを理解している人物だった。

 ——婚約者の前以外では。

「——なあ、殿下は最近どこに行ってるんだろうな」

 同僚のマルセルも、ため息をつきながら持ってきた書類をデスクに置いた。ディクセンは、そんなのこっちが聞きたいよ、よしかめ面をした。アルベルトは、ここ最近朝から不在にしている。かと思えば夕方には戻ってきて、日中の仕事を夜中までかけて片付けるという生活が続いていた。誰にも何も言わずに続ける行動は、これまでのアルベルトの行動とはかけ離れており、その生活の変化も心配になる。

「婚約者殿がいなくなったせいで、殿下もいい迷惑だよな。もともと、殿下は婚約者殿が嫌いだったろ? 彼女のせいで質問攻めにあってるし、婚約者に逃げられた王子って言われて苦しい立場になるし。なのに、嫌な顔一つしないでさ」

 マルセルは、道場のこもった眼差しでアルベルトのデスクを見つめて続けた。

「殿下も、よくあの性格のきっついご令嬢を婚約破棄しなかったよな。いっつも殿下の周りのご令嬢を威嚇してさ。今回のことも、どうせいつものわがままだろ? 大方、殿下の気を引きたいとか、そんなんじゃないの? 俺だったら、どんなに身分が高くてもご遠慮いただきたいよ」

「まあ、いなくなった理由はわからないし、お二人の関係が傍目に見て良いとは思えなかったけど、婚約者のいる殿下にすり寄るご令嬢方も、どうかと思うけどな」

 ディクセンは、なんとなく最近の二人の様子を思い浮かべ、それに、と続けた。

「最近は、仲の良い婚約者同士として評判になっていたじゃないか。殿下も、セラフィナ様に護衛までつけて」

「婚約者殿が、変なことをしないように、監視だろ? それに、仲が良さそうに見えたのだって、殿下の気遣いじゃないか。それなのに、あの婚約者殿は……」

「俺たちは、殿下に近いところにいるから、殿下の視点しか見えないんだよ。セラフィナ様だって、色々とお考えのことなんだろ」

 マルセルがアルベルトの肩を持つのはいつものことだが、あまりにも不平等な物言いに、ディクセンはつい口を挟んだ。

「何? お前、婚約者殿を庇うのか?」

 マルセルは、驚いた顔でディクセンを見た。庇っているわけではないが、そういう見方もある、ということだ。そうディクセンが言うと、マルセルはニヤリと笑った。

「はー。お前、ああいうのが好みか」

「……は?」

「確かに、セラフィナ様、顔は可愛いよなー。スタイルも抜群だし。ああいうのを、傾国の美女って言うんだよなー」

「マルセル、失礼だぞ」

「いや、でもさ。まだ学生だったから無事だったけどさ。実際のところ、卒業してから殿下と仲良しの噂がなかったら、王弟陛下が掻っ攫ってたんじゃないかって話。お前、知らない?」

 マルセルの話に、ディクセンの眉間に皺が寄る。さすがのマルセルも、声を潜めた。

「夜会で、よく王弟陛下が婚約者殿に声をかけてたの、見てないか? 何でも、外に連れ出そうとしたこともあるらしいぞ。しかし、あの氷の婚約者殿は、眉一つ動かさなかったとか!」

 言いながら楽しくなったのか、マルセルは最後には笑っている。

「さっすが、キツいよねー。やっぱり、俺は彼女は無理だー」

 そう言って、マルセルは手を振って執務室を出て行った。

 何だか、すごいことを聞いてしまった、とディクセンはため息をついた。高位貴族のあれこれは、聞いていて気持ちの良いものではない。大体、王弟陛下は四十も目の前だろう、と呆れ返った。

 ディクセンはマルセルに反論したが、実際、多くの者が彼と同じ意見である。アルベルトが、慈悲の心で冷たいセラフィナの隣にいる。それが、一般的な認識だ。

 しかし、とディクセンは思う。

 セラフィナのことが嫌いなら、どうして彼女の行動を把握しているのか。ずっと向こうの回廊を歩く彼女を見つけ、用事もないのにわざわざセラフィナに文句をつけに行く理由は? 王妃とお茶をしていると聞けば、終わる時間を見計らって庭園に近づくのは、なぜか。本当にちっさいことで喧嘩を売りに行き、その後の執務がやたらと捗るのはなぜか。

 確かに、セラフィナの前ではアルベルトに笑顔がない。いつも、眉間に皺が寄っている。だが、普段あまり喋らないアルベルトが、内容はともかく、セラフィナの前だとよく喋る。

 ディクセンは、アルベルトが単にセラフィナを嫌って取っている行動とは、どうにも思えなかった。アルベルトの視線が追うのも、彼が大した用事もなく自ら足を向けるのも、ディクセンはセラフィナ以外に見たことがない。

「…………殿下って、子供なんだな」

 アルベルトが幼いという考えが、自然と腑に落ちた。

 そう言えば、彼はまだ十七歳だ。セラフィナが急にいなくなって、自覚がないままに右往左往しているのだろう。

 そう思うと、ディクセンは、主のいない椅子を、かわいそうな視線で眺めた。

「これ、セラフィナ様が戻らなかったら、殿下どうするんだろうな……」

 ディクセンの呟きは、誰もいない執務室に寂しく消えた。

 

 セラフィナが出奔して三ヶ月。城は平常運転だが、アルベルトだけがおかしかった。

 最近は、外出する頻度も増えている。一日戻らないことも多い。国王や王妃が嗜めても、その行動は一向に変わらなかった。それなのに、執務が滞っていないため、周囲も強く諌めることができていない。彼が姿を見せなくても、問題なく業務が回っている。一番タチが悪い案件だった。

 今日もディクセンは、一人アルベルトの執務室に出勤した。昨日一昨日と休みをもらっていたから、二日ぶりの出勤だ。扉を開けて、主がいないことを確認する。

 深くため息をついて中に入り、違和感を覚えた。ものすごく大きな違和感だ。

「――?」

 何か、物が違うのだろうか。入ってすぐの応接セットは、いつも通り整えられている。壁際にある重厚な本棚には、資料や記録がぎっしりと詰まっている。壁にかかった絵画、曇り一つない大きな窓。窓の外には、寒そうな空が広がっている。主がいない執務机の上はスッキリと整っており、唯一置かれたペンとインクに一つの乱れもない。

「…………スッキリと?」

 ディクセンは、首を捻った。未だかつて、朝出勤した時にこんな机を見たことがあっただろうか。

 ――いや、ない。

 いつも、アルベルトの執務後にも書類が持ち込まれ、朝には山積みになっているのだ。

 それが、今日に限って一枚もないのは、不自然だ。

 ディクセンは、執務机に近づいた。上には何もないことを確認して、引き出しを開く。アルベルトは、いつもここに、重要度別に書類をしまっている。手前から重要案件順に並んでいた書類には、彼の真面目さが現れていた。

「…………ない」

 一つもない。主が担当していた案件が、綺麗さっぱりなくなっていた。

「どういうことだ?」

 ディクセンは、落ち着かないまま執務室を出て、福祉課に向かう。

「僻地の孤児院の案件でしたら、アルベルト殿下から任せていただきました。ちょうど、大事の収集がついたところでしたので」

 福祉課長が、ディクセンに答えた。王族案件が片付いたところで、本来の担当に戻したようだ。では、と次に足を向ける。

「貧民救済でしたら、課長が担当です。お呼びしますか?」

「奨学金制度は、私が担当しております。アルベルト殿下が、私の原案を見て、担当にしてくださったんです!」

「教育改定ですか? それでしたら――」

 アルベルトが抱えていた案件は、一時が万事、こんな感じで、ディクセンは頭を抱えた。ちょうどそこを、マルセルが通りかかると、不思議そうに彼を見た。

「どうした、ディクセン。顔色が悪いぞ?」

「……お前、殿下をお見かけしたか?」

 そう聞くと、マルセルは首を傾げて斜め上を見た。

「アルベルト殿下を? あー、最後に見たの、いつだったかな。最近は、あんまり日中見かけないからな」

 すでに、アルベルトがいないことが普通になっていることに、ディクセンは寒気を覚えた。

 マルセルは、「そういえば」と何かを思い出したようだ。

「メイドのジェシカちゃんが、一昨日の殿下の執務室の掃除が、ものすごく楽だったって言ってたな。書類の山を崩さないように注意しないといけないんだけど、それがなかったって。珍しいこともあるもんだな」

 ディクセンは、目を見開いた。一昨日の朝には、アルベルトはすでに仕事を“終わらせて”いた。

 この数ヶ月、確実に仕事をこなしながらも外出の頻度が少しずつ増え、それが自然になっていく。いつの間にか業務は他の者に振られていて、もはやアルベルトがいなくても滞りなく仕事が終わるようになっていた。だから、いつものように彼がいなくても、誰も、何も思わない。

 ディクセンは、ゾッとした。これは、まずい。非常に、まずい。

「――すぐに、陛下に謁見を……いや、これは内密に……」

「ん? どうした?」

 マルセルが不思議そうな顔をしているが、かまってなんていられない。

 一国の王子が失踪し、側近も、誰も気が付かないなんてことが、あるのだろうか。まさしく、確信犯だ。計画的犯行だ。才能の無駄遣いも、程々にしてほしい。

 ディクセンは、真っ青な顔でマルセルを睨みつけた。

「――マルセル。俺たち側近は、覚悟が必要だぞ」

「は? 何の?」

 マルセルは、本当に訳がわからない、と首を傾げるが、ディクセンは答えなかった。

(とにかく、陛下に報告を。判断するのは、陛下だ)

 真っ青な顔をあげて、ディクセンは国王の執務室へと向かおうとして、ふと足を止めた。

 ――そうか。

 ディクセンは、廊下の窓から外を見た。相変わらずどんよりとした空は、冷たい風が吹いていることが一目でわかる。

(戻ってこないから、殿下は行かれたのか)

 そう考えると、急に嬉しくなった。どんなに美しい令嬢に声をかけられても、どんなに功績を讃えられても、全く同じ笑顔を浮かべていたアルベルトが、セラフィナの行動により己を変えた。完璧な王子でいるよりも、気持ちで突っ走る十七歳の方が、よほど健全ではないか。

(これは、目一杯殿下をフォローしなきゃいけないな)

 先ほどの顔色から一転。ディクセンは、決意を込めた眼差しで前を向き、落ち着いた足取りで一歩踏み出した。

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