失くしもの
「――それって、私たちが避難小屋に行く意味ありました?」
リーゼが、呆れたように聞き返した。
その後雲は過ぎ去り、青く冷たい空が広がっている。遮るものがなくなった空からは、太陽の光が降り注いでいるが、周囲は雪で真っ白く輝いていて、一向に暖かさは感じなかった。
「だって、あの時は避難小屋があると言うから、思いつかなかったのよ」
かまくらで一夜を明かした話をすると、全員がリーゼと同じく呆れた顔をした。
どうやら、セラフィナが皆と逸れて進んだ方向は、ちょうど山と山の間の窪地のようになっていたところだったようだ。そのため、風が吹き溜まり、他よりも多くの雪が降り積もることになった。今進んでいる道には、雪はあるものの膝下程度であり、魔法でかき分けて進んだ朝よりも格段に歩きやすい。
「でも、よく雪で家を作ろうと思ったね。そういう発想は、セラらしいよ」
エーリヒが、隣で優しく微笑んだ。再会してからずっと、彼はセラフィナの隣を歩いている。どうにも心配をかけたようで、申し訳なかったと思う反面、キラキラした笑顔が精神安定上よろしくないので、そろそろ離れてくれないかしら、とセラフィナは思うのだった。
「あの吹雪の中で、一番に建物を作ったのは、正解だったな」
一番前を歩くカイルが、笑顔で振り返った。
「俺たちも、早く探しに行けなくてすまなかったな」
「いいえ。あの吹雪だもの。逸れてしまってごめんなさい」
真っ直ぐな性格のカイルには、セラフィナも素直に謝ることができる。後ろで、アルベルトが「まったくだ」とため息を吐いているが、セラフィナは聞こえないことにしておいた。
「あと、リーゼが鞄に入れて置いてくれた物が、とても役に立ったわ」
「当然です。私は、優秀ですから」
「絨毯は、何を想定していたの?」
「テントが寒いと駄々をこねるセラフィナさんを」
「………………そう」
「そこは否定しておけ?」
納得するセラフィナに、カイルが呆れて言った。しかし、わがままは言わないが、「寒い」の一言くらいは、この旅路で言ったかもしれない。そう思ったセラフィナは、完全に否定することができなかった。
他愛もない会話をしながら歩き、もうすぐ次の町が見えてくる頃、カイルがふと「そう言えば」と思い出したように切り出した。
「アルとセラは、どうしてイェレミアスに名前を言わなかったんだ?」
カイルに聞かれて、セラフィナは首を傾げた。アルベルトはセラフィナを見ている。
「お前が名乗らなかったから、俺もそうしただけだ」
「あなたは気がつきなさいよ」
セラフィナは、半目でアルベルトを見た。
「ってことは、イェレミアスも貴族なのか?」
カイルが聞くと、セラフィナは曖昧に頷いた。
「面識はないわ。確か、グランと言えば、アストレアのグラン伯爵に、出奔したご令息がいたはずよ」
「よく知っているな」
「あなたは知っていなさいよ」
セラフィナの視線に、アルベルトは動じなかった。
「出奔したなどと、触れ回る家族もいないだろ。公の場に出てきていないのであれば、顔も知らない」
「一時期、ご令嬢の噂になっていたのよ」
「いつの話だ」
「ええと……私たちは十歳にはなっていない頃ね」
「それこそ知らん」
興味なさげにあちらを向いてしまったアルベルトに、セラフィナは「まあ、いいのだけれど」とため息を吐いた。
「私とアルの名前をセットで出すと、気がつく人は気がつくわ」
自国の第二王子とその婚約者の名前くらい、大抵の貴族は知っている。どちらか一方だけであれば、同じ名前だな、で済むのだが、同時に聞けば普通は気がつくだろう。セラフィナがそう言うと、リーゼが「そういえば、片方は王子でしたね」と呟いた。本当に忘れていたらしいリーゼの性格に呆れながら、セラフィナはカイルに向き直った。
「だから、愛称にしておいたの。説明もなしに、ごめんなさい」
「いや、いつもの呼び方だったし、問題はなかったよ」
カイルが笑うので、セラフィナはほっとした。
「言われてみると、確かに彼がそうかもね」
エーリヒがセラフィナに同意した。
「グラン伯爵家の三男が、色々あって家を出たことは知っていたけど、まさか王国すら出ていたとはね」
「色々って、何ですか? やはり、嫌がらせとかそういった?」
リーゼが、嫌そうな顔をして聞くと、セラフィナが首を傾げた。
「そういうのではなかったような気がするわ。あの時噂になっていたのは……何だったかしら。子供の時だから、あまり覚えていないのよね」
「まだ理解できなかったんだと思うよ」
エーリヒが、セラフィナに苦笑いを向けた。
「俺も子供だったからね。あの時は意味がわからなかったけど、今になってみればねえ」
遠い目をして空を見上げたエーリヒには、同情の色が見える。
「何があった? 不正なら許されないことだが」
アルベルトが、眉間に皺を寄せると、エーリヒが困った顔で右手を振った。
「不正ならよかったんだけどね。彼、綺麗でしょ? 男女問わず人気があったんだって。それがヒートアップして――」
そこからは、セラフィナには聞こえなかった。エーリヒが、少し遠い目をして説明し、アルベルトとカイルが明らかに引いた顔をして聞いているが、セラフィナにはエーリヒの口が動いているのしか見えない。
ぱちぱちと目を瞬いているうちに、話が終わったらしい。急に音が戻ってきた。
「――だから、エーリヒにすぐに打ち解けてたんだな」
「仲間意識というやつか」
カイルとアルベルトの言葉に、エーリヒが「そんな仲間、いらないんだけど……」と肩を落としている。
その様子を見ながら、セラフィナはリーゼを振り返った。
「……それで、リーゼはどうして私の耳を塞いだの? 聞こえなかったじゃない」
「聞かなくても良い内容と判断しました」
「知りたいわ」
「もう少し、大人になってからがよろしいでしょう」
「…………納得いかないわ」
ムスッとしてリーゼを睨みつけるが、涼しい顔で流された。
次の町でとった宿で、二日ぶりに温かい食事を摂り、五人はようやく人心地ついた。セラフィナの遭難事件もあって疲れていた彼らは、夕食を摂った後は部屋に戻っていった。
宿の部屋で、セラフィナの髪を解こうとしたリーゼの手が止まった。
「セラフィナさん。髪飾りが一つありませんが、心当たりはありますか?」
「えっ!?」
リーゼの言葉に、セラフィナは焦って左の前髪を止めた髪留めを確認した。そこに硬い感触を確かめて、大きく安堵の息を吐いた。
「ええと、どの髪飾り?」
「後ろに挿していた、ヘアスティックですね」
リーゼは、いつもセラフィナの髪に、様々なアクセサリーをつける。冒険者には必要ないとセラフィナは思うが、楽しんでいるようなリーゼに、強くは言えないのだった。
「二本挿していたのですが、シルバーの物が一本足りません。小さなエメラルドがついた物です」
「かまくらの中では帽子を脱いでいたから、引っかかって落としてしまったのかもしれないわね」
フィヨルラインでは、外に出る時は帽子を被っていることが多い。脱ぐ時は気をつけているが、たまに引っかかってしまうこともあった。今回は、それに気が付かずに落ちてしまったのだろう。
「それにしては、もう一本はしっかりと挿さっていますが……」
「形は違うのでしょう? 引っかかり方も違うわよ」
「そうでしょうか」
セラフィナは、自身の説に納得しているが、リーゼはそうではないようだ。しきりに首を捻っている。
「どちらにしても、失くしてしまってごめんなさい。次からは気をつけるわ」
「お願いします。——それで、セラフィナさん」
リーゼが急に雰囲気を変えたので、セラフィナはびくりとした。
「その髪留めは、どなたの貢物ですか?」
「言い方……」
確かに貰い物だが、貢がれてはいない、とセラフィナは反論した。しかし、リーゼは、それはどうでもいい、と首を振った。
「とても大切なようですが、カイルさんとエーリヒさん、どちらからですか? それとも、アルベルトさん……は、ないですね」
「どうしてよ」
アルベルトは、仮にも元婚約者だ。贈り物くらいするだろう、とセラフィナはリーゼを見るが、彼女は「ないです」と言い切った。
「……あなたの中で、アルの評価ってどうなっているのよ」
「落ちた評価は、中々上がらないものです」
「人間関係って、難しいわね」
リーゼの厳しい答えに、セラフィナはため息を吐き、彼女に評価を下げられないよう、努力しようと思うのだった。
「それはさておき。結局、そちらの髪留めは、どなたからですか?」
「ああ。エーリヒよ。お店に並んでいたのを見ていたら買ってくれたのよ」
セラフィナは、髪から鈍く光る髪留めを外して、大切そうに目の前に翳した。
「少し気になって見ていただけだけれど、こうして貰うと、とても素敵なものに思えてくるわね」
「セラフィナさん。私は、カイルさんをお勧めしますよ」
「…………何の話をしているのよ」
セラフィナは、呆れた顔でリーゼを見た。なぜ、途中で話が噛み合わなくなるのか、お互いによくわからない。
こうなったら放っておこう、という意見だけは一致して、リーゼはセラフィナの髪を梳いてまとめ、セラフィナは大人しく前を向いた。
その町からフィオレイドまで、行きと同じく二日かけて戻った。
馬橇が走っているため、誰かが遭難するとか、崖から落ちるとかいったトラブルもなく、落ち着いた帰路になった。
二週間ほど空けていた拠点の家は、それほど長く住んでいるわけではないのに、戻ってみればひどく落ち着いた。
いつもは遅くまで起きているカイルも、この日ばかりは早々にベッドに潜り、朝までぐっすり寝たのだった。
「——なあ、今日のギルド、変じゃなかったか?」
「視線が痛かった……」
依頼完了の報告を終え、ギルドから出たカイルは困惑顔をして言い、エーリヒは若干憔悴していた。
「エーリヒさんが見つめていた受付の女性、鼻を押さえて奥へ逃げましたね」
「見つめてないってば……」
リーゼの言葉に、エーリヒが項垂れた。
五人は、いつも通りにギルドに行ったのだが、実地部門に足を踏み入れた瞬間、空気がざわりと揺れ、少なからぬ視線が突き刺さった。五人は不思議に思いながらも、ちょうど空いていたマリナに依頼完了の報告をしたのだが、エーリヒが右を見れば右の窓口が、カイルが左を見れば左の窓口が機能停止に追い込まれた。アルベルトは、よそ見をしていないので何も起こらなかった。
「マリナさんは、欠乏症から来る過剰摂取だと言っていたけれど、意味がわからなかったわ」
「少なくとも、セラフィナさんが気になさることではないでしょう」
セラフィナは首を捻っているが、リーゼの言葉に「そう?」と考えるのやめた。
彼らが二週間ほどギルドに顔を出さなかったことで、カイル、エーリヒ、アルベルトを心の栄養にしていた実地部門の女性たちが、一斉に栄養失調を起こしてしまい、突然現れた三人に過剰に反応したのだった。もともと各ギルドで密かに人気のあったカイルだが、エーリヒとアルベルトといることによって、益々目立ってしまっていることに気がついていない。カイルは首を捻って悩み、アルベルトは注目されることに慣れているので気にしていない。エーリヒだけが、ギルドの様子を察して深いため息を吐いた。




