古書を選ぼう
翌日向かった廃教会には、魔物が一匹もいなかった。廃教会の中だけではなく、外にも魔物の姿はなかった。二日前に来た時には、道すがら遭遇した強化個体も、今回はその形を潜めていた。
「――本当に、一匹もいませんね」
イェレミアスは、廃教会の通路を歩きながら、しみじみと呟いた。
割れた窓も、そこここに降り積もる雪や朽ちかけた家具もそのままなのに、魔物の気配だけが消え失せていた。
「セラが全滅させたからと言って、こんなにきれいに魔物がいなくなるなんて、あるんだろうか」
カイルが言うと、エーリヒが首を捻った。
「魔法陣がなくなったことと、関係があるのかな」
「逆ではないか? 魔法陣があったから、魔物が集まっていた。魔法陣がなくなったから、魔物が集まらなくなった」
アルベルトの意見に、セラフィナは渋い顔をした。あの魔法陣が、魔王城の入り口になっていたことは、もはや当事者のみが知ることだ。それについて言及するつもりはない。だが、あれがなくなったことで、魔王側がどう動くのかは、セラフィナは知らない。もしかしたら、この廃教会を調べに来るかもしれない。だから、そうなる前に、古書とやらを見ておきたかった。
「何にせよ、今は比較的安全に動けそうですね。さっさと古書を見繕いましょう」
イェレミアスは、そう言って足を速めた。
廃教会の図書室は、地下へと続く階段を通り過ぎた先にあった。ギイギイと鳴る重い扉の鍵は、もちろん意味をなさなくなっており、そこを開けると小さな部屋があった。朽ちかけた机と椅子が中央にあり、壁には人の背丈ほどの重厚な棚が置かれている。窓はなく、この部屋の壁は崩れてもいなかった。
棚には、分厚い本がいくつか置かれていた。イェレミアスは、無言で近づき、一冊を手にする。
「この教会の本は、全て羊皮氏ですので、捨て置かれても残っているのです。私は、時々こちらに来て、これらの本を回収していまして」
そう言って、幸せそうに本を見た。
セラフィナも、本棚に近づいた。一番上の棚は既に空になっているが、二段目、三段目にはまだ数冊の本が残っていた。
「古代語の本ということは、少なくとも八百年前のものということよね? その頃に、これだけの蔵書があるということは、ここは大きな教会だったのかしら」
古代、本は高級品とされていた。今のように、紙に簡単に印刷ができるわけではなく、羊皮紙に一文字一文字書いて写していたのだから、当然のことである。その本が、ここにあるだけでも十冊以上。イェレミアスの表情も、納得できる。
「きっと、そうでしょう。広い礼拝堂もありましたから。残念ながら、装飾品や聖具などの貴金属類は全くありませんでしたが」
「本が残っている以上、この教会を本意で捨てたわけではあるまい。盗難にあったのだろうな」
アルベルトは、言いながら本を一冊手に取った。分厚いその背表紙には古代語で「創世記」と書かれており、セラフィナもそれを覗き込む。
「創造神のお話? 現代にも、創世記はあるわよね」
「古代語で書かれたものは、現存しないと言われているな」
そう言って、アルベルトはページをめくった。
「創造神ノルヴァデォオンが無から有を作ることを思いついたところから始まっているな」
「現代では最初に海があるけれど、古代神話ではそもそも海すらなかったのね」
「古代神話と現代神話の違いですね。時が流れるにつれ、少しずつ形が変わったのでしょう」
イェレミアスも、その本を覗き込んだ。
「流石に、ところどころ染みているわね」
「めくれないページもあるようだ」
「修繕しないといけませんね」
「ねえ、これって『管理』よね?」
「どこですか? ……ええと、『神の箱庭』……『大きな水の――』? 単語が欠けていて、うまく読めませんね」
「『第一の災害』の項目に、『管理』という単語は、不釣り合いな気がするが」
「知らない単語も出てくるわね。私たちが読み解いているのは、古代語の一部なのかもしれないわね」
「ここは教会です。宗教的な単語も多いのかもしれません。持ち帰った本も、読めない単語が多くありました。戻ったら、現代の書物と比較して読み解きましょう」
「そうね。他の本はどうかしら」
顔を上げたセラフィナは、さらに本を取ろうと手を伸ばした。
「セラ」
「――え?」
伸ばした手は、横から伸びてきた手に捕まえられてしまった。手の主の顔が思ったよりも近くにあって、セラフィナははっと息を呑んだ。
「読書もいいんだけれどね。あまり長くここにいると、帰れなくなっちゃうよ?」
「…………あ」
「気が付いた?」
「今、何時頃?」
「もうお昼になるよ」
「じゃあ、少し休憩したら、戻らないといけないわね」
「そうだね」
セラフィナの返事に、エーリヒは優しく微笑んだ。
小部屋の外を見ると、リーゼが呆れ顔で、カイルが苦笑いして見ている。
「ほら、三人とも。あっちで休んだら戻るぞ。本なら、戻ってから読めばいい」
「そうですね。どの本を持ち帰りましょうか」
カイルに素直に従ったイェレミアスが本棚を見ると、アルベルトは呆れたように呟いた。
「全て持ち帰ればいいだろう」
「………………夢がないです」
「ここは現実だ」
イェレミアスは項垂れるが、アルベルトは冷たい。
「アルは、乙女心がわからないのよ」
「何の話だ?」
「本を選ぶ時間も、楽しみの一つよ」
「全て選ぶのであれば、同じだろう」
「本への期待でワクワクする気持は、大切よ」
「あれば読めばいい。時間の無駄だ」
「ほら、やっぱり、乙女心は理解できないわ。私たちとは違うわね、レヴィ」
「……私、男なのですが」
言い合いながらも、セラフィナは本を魔法拡張鞄に詰め込む手を止めない。イェレミアスは悲しそうな顔をしながら、何とか反論した。
六人は、廃教会で小休憩をとったあと、コクーン村に戻ったのだった。
イェレミアスの家に古書を持ち帰ったのは、日が暮れ始めた頃だった。
「やっぱり、創世記がいいのではないかしら。さっきも見たけれども、現代の神話との違いが面白いわ」
「いや、教会運営録がいいだろう。古代の文化や思想が反映されている」
「聖典にも、思想は反映されているわ」
「何冊もある聖典の一部をもらっても、他が欲しくなるだろう。祈祷書はどうだ」
「それだって、たくさんあるわ」
帰り道、セラフィナとアルベルトは、ずっと同じようなやりとりをしていて、周囲はげっそりとしていた。契約の報酬の一つである、一冊の古書を巡っての話し合いである。それが、イェレミアスの家についても繰り広げられていた。
「……お前たち、よく同じ話題で一時間話し続けられるな」
「同じ話で堂々巡りしているように見えるんだけど……」
カイルとエーリヒが、呆れた顔で二人を見た。セラフィナはきょとんとして二人を見返して、アルベルトと顔を見合わせた。
「だって、大切なことでしょう? 歴史的に価値のある古書を一冊いただけるのよ?」
首を傾げながら、同意を求めるが、二人揃って「そこじゃない」と返された。
「セラさん、アルさん。どちらにしても本は一冊です。さくっと決めてください」
リーゼも呆れた様子で言うが、二人は眉間に皺を寄せて吟味を再開してしまった。
「レヴィは、どうだ?」
アルベルトが、当然のようにイェレミアスに意見を求める。
「――えっ?」
「どれを選ぶ?」
「………………全部です」
「全部持っていってもいいの!?」
「ダメです」
「どれだ?」
「全部です」
「一冊よ」
「全部です」
「どれだ」
「全部ですよ」
埒があかない会話に、カイル、エーリヒ、リーゼが頭を抱えた。
「では、こうしましょう!」
イェレミアスが、パン、と両手を合わせて笑顔になった。
「セラとアルは、ここに残ればいいのです」
とても良いことを思いついた、というような清々しい表情だったが、エーリヒがそこににこやかに割り込んだ。
「イェレミアスさん。こちらで一冊選ぶので、ご心配なく」
「エーリヒさんも、いかがですか? 私、あなたとは話が合う気がします」
「俺には、ストレスしかない気がするよ。――二人も、真剣に悩まないでくれる? 俺、胃に穴が開きそうなんだけど」
エーリヒが、アルベルトとセラフィナを半目で睨む。アルベルトはそっと目を逸らしただけだったが、セラフィナは「え?」と不思議そうな顔をした。
「でもね、エーリヒ。古書が読み放題って――」
「ねえ、セラ」
セラフィナが言い募るのを遮ったエーリヒは、セラフィナの手をとって顔を覗き込む。その瞳の奥に緑が煌めき、セラフィナはついついそれに見入ってしまった。
「セラのやりたいことって、何?」
「――やりたいこと……」
「そう。何がしたくて飛び出したんだっけ?」
「世界を見て回ることと、強くなることよ」
「うん、それで? ここにいたら、できるの?」
「できないわ」
「そうだね。それが、答えだね」
「そうね。ここにはいられないわね」
セラフィナの答えに満足したエーリヒは、にっこりと微笑んで彼女の頭を軽く撫でた。そして、イェレミアスを振り返り、柔らかい声で言った。
「そういうことだから」
「――えっ? あ、はい……」
そのエーリヒの笑顔はとても美しく、イェレミアスですら、つい見惚れてしまうほどで、彼は何に返事をしたのか理解していなかった。
「エーリヒさんには、催眠術やら洗脳やらといった才能があるのでしょうか」
エーリヒとイェレミアス、セラフィナの様子を眺めていたリーゼが、呆れた声で呟いた。
「そういえば、城の女に絡まれた時も、あれで躱していたな」
「……あれをやるから、たまにセラが悩んでるのか」
「洗脳というより、魅了か何かでしょうか」
「躱した後に付き纏われることもあったが」
「諸刃の剣だな」
「セラさんが血迷った時には、駄犬を使うことにしましょう」
「――俺も、やってみるか」
「…………アル。やめてくれ」
カイルだけが、胃が痛くなるのだった。
翌日、日が登り始める頃に五人はコクーン村を出た。
イェレミアスには、「神名録」をもらった。彼は、五人をいたく気に入った様子で、またきて欲しい、と笑っていた。最初の頃とは随分雰囲気が違い、よく話をするようになったイェレミアスに、彼らも快く頷いた。
「山の天気は変わりやすいですからね。みなさん、無理をせず、十分気をつけてください」
そう言っていたイェレミアスの言葉が、今は懐かしいと全員が思っていた。そんな、絶賛吹雪に見舞われ中である。
「――参ったな。無理して進むと、遭難するな」
カイルは、前方を見つめて言った。
「だからと言って、引き返すのも距離がありますね」
リーゼは、来た道を振り返る。コクーン村を出てから、すでに数時間は経っている。吹雪になったのはここ数分のことなので、この天候で戻ろうとするとさらに時間を要するだろう。
「テントも危険だろうね。来た時にあった避難小屋に行くのがいいかな。ここからすぐだったよね」
「道沿いにあったな。行こう」
エーリヒの提案にカイルが頷き、五人は歩き出した。途中、何度か視界不良になったが、カイルやエーリヒが道を見失わなかったおかげで、無事に避難小屋に辿り着いた。カイルが小屋の扉を開けて、中に誰もいないことを確認した後、雪まみれの仲間を振り返った。
「セラ、リーゼ、先に……?」
女性を先に入れようとして、カイルは目を疑った。目に入った人数は三人。何度か瞬きをしても、三人だった。
「――セラ?」
カイルが、少し大きな声で名前を呼ぶが、返事がない。他の三人も、周りをキョロキョロと見渡した。
「……え、セラ? どこにいるの?」
エーリヒの呼びかけにも、強い風の音が返ってくるだけだった。
アルベルトが無言で歩き出そうとするのを、カイルが腕を掴んで止めた。
「待て。お前までいなくなるな」
「だが――っ!」
「落ち着け。ここでバラけたら、見つかるものも見つからない。絶対に、離れるな」
カイルの静かな声が、アルベルトに刺さる。眉間に皺を寄せたまま、下を向いた。
横では、エーリヒとリーゼが、声の限りセラフィナの名前を呼んでいる。
「最後に見たのは、いつだ?」
「避難小屋に向かおうと話していた時は、確かに隣にいました。その後も、隣を歩いていると思ったのですが……」
リーゼが悔しそうな表情で言った。カイルとエーリヒは、道を探して前を歩いていたために、後ろにまでは気を配っていなかった。
「……俺も、途中まで後ろにいたのはわかっていたが……」
アルベルトも、視界が悪くはっきりとしたことが言えなかった。
「っていうことは、そんなに離れているとは思えないが……」
カイルは腕を組んで考えた。
「この視界で探し回るのは、遭難者が増えるだけだ。探索魔法をかけてみたが、魔力が引っかからない」
「それは、範囲外にいるということか?」
「いや、セラは、もともと魔力操作が卓越しててな。探索魔法に引っかからないんだ」
カイルの言葉に、エーリヒが「得意が欠点に……」と頭を抱えた。
「どっかで魔法を使ったら引っ掛かるかもしれない。探索魔法をかけ続けるから、まずは小屋に入ろう。俺たちがダメになるわけにはいかない」
そう言って、リーゼから先に小屋へ入れる。エーリヒが動かないアルベルトの背を押して中に入り、カイルもそれに続いた。振り返ってみたものの、そこに人の影は現れない。そうしている間にも、小屋の中には雪が舞う。カイルは、焦る気持ちを押し殺して、避難小屋の扉をパタリと閉じた。
扉の向こうでは、吹雪が唸るような音を立てていた。




