吸収
ランプの灯りを頼りに、六人は地下に降りて行った。
地下の通路には、さらに多くの黒い光の魔物がいたが、やはり何をするわけでもなく、通路の先へ、先へと進んでゆく。魔物と一緒に進むのは、何やらおかしな状況だったが、一本道の通路はそちらへ進むしかなかった。
「それにしても、教会に魔物がいるのは、神秘的な感じがしますね」
イェレミアスが、黒い光を目で追いながら言った。
「そうね。創世神の神話で魔物が滅ぼされなかったことと、関係があるのかしら」
「あの、中途半端って言っていたやつ?」
エーリヒが聞くと、セラフィナが頷いた。
「もしかしたら、魔物は必要なものだったのかも」
それには、イェレミアスが首を傾げる。
「必要って、誰にですか?」
「もし、仮に創世神が――」
セラフィナは、そこまで言って言葉を切った。カイルとアルベルトが立ち止まったからだ。
下げていた視線を前に向けると、そこにはぽっかりと空いた空間があった。暗くて奥行きはよくわからないが、その中に黒い光の魔物がふわふわと吸い込まれていく。
カイルは、エーリヒに視線を送ってランプを掲げる。エーリヒも、後ろからカイルの方へ進み出て、ランプを高く掲げた。
三メートル程照らされた空間は、本当に何も置かれていなかった。ランプだけでは奥まで照らすことはできなかったが、そこまで広い空間ではなさそうだ。
「入ってみるか?」
カイルが後ろを振り返るが、イェレミアスが首を振った。
「だめです。床を見てください」
言われて、カイルとエーリヒはランプを下げる。黒い無数の線が、床を満たしていた。そして、黒い光の魔物は、その床に向かってゆっくりと降り立ち、すっと溶けて消えていく。溶ける瞬間、その黒い線がわずかに滲んで、すぐに元の線に戻っていった。
「……この床に、魔物が吸い込まれている?」
「俺には、喰われているように見えるな」
エーリヒの呟きに、アルベルトが低い声を出した。
「魔物が消えた後、黒い線が増えている」
え、と全員が床を見た。ちょうどそこに、黒い光がふわふわと沈み込む。床に吸い込まれるようにふっと消えた後、黒い線がわずかに滲み、また姿を現すと、確かにそこになかった線が一本増えている。まるで、魔物を喰らって形作られているかのように。
セラフィナは、これか、と思った。魔王城へと続く通路の、その出入り口。魔王は、これを通って魔物の軍団をフィヨルライン王国に送り込む。これを開けるためには、大きな魔力が必要だという。だとしたら、この黒い光の魔物は、まさしく床に“喰われて”いるのだ。魔力を吸収され、跡形も残らない。先ほどランプをつけるために使用した魔力も、この床に吸われたのだろう。そうすると、自分たちが迂闊にもこの空間に足を踏み入れたら――そこまで考えて、セラフィナは背筋が凍った。
「魔法陣か何かのようですね」
イェレミアスが、顎に手を当てて床を見下ろす。
「だが、こんな魔法陣は見たことがない」
アルベルトの疑問に、セラフィナは答えることができない。しかし、無視することもできない。この魔法陣が完成するのがどのタイミングかはわからないが、放置していると、この国は滅びるかもしれないのだ。ゲームではともかく、現実には寝覚が悪すぎる。
「なんだか不気味だから、壊しちゃいましょう」
言い訳も思いつかず、セラフィナはストレートに提案した。考えているうちにも、目の前で二本、三本と線が増えていき、黒い光を時折放つ様は、見ていて気持ちのいいものではない。
「だが、どうやって壊す? 迂闊に触れると、喰われるかもしれないぞ?」
アルベルトが眉間に皺を寄せた。カイルやエーリヒも、不安そうな表情でセラフィナを見ている。
「……リーゼ。どうして私の腕を掴むの?」
「何だか飛び出しそうだったので」
「しないわよ、そんなこと」
セラフィナは、じとっとした目でリーゼを睨むが、絶対に信じてもらえていない。なぜ、こうも信用がないのか、セラフィナまで不安になってきた。
とはいえ、具体的な策があるわけでもない。セラフィナは、ゲームでこのイベントをすっ飛ばしたのだ。恋愛要素を軽視するのも、いい加減にしてほしい、と記憶の中の自分に訴えたが、もちろん返事は返ってこない。無意味なことは早々に諦めて、セラフィナは腕を組んで考えた。
聖なる力を目覚めさせたヒロインなら、この魔法陣を浄化するとか、幻想的な図になるのだろう。しかし、セラフィナにそんな能力はない。さて、どうするか。
「――押してダメなら、引いてみろ、よね」
セラフィナは、反射的にスタッフを取り出そうとして、やめた。スタッフを取り出すのにも、微量の魔力を使うのだ。その魔力が魔法陣に使われ、かつスタッフも取り出せないのは、何となく癪だ。別に、スタッフがなくても魔法は使える。あった方が、魔力の出口や出力の方向がイメージしやすいだけのことだ。
「じゃあ――」
「ダメです」
「…………………………」
「…………………………」
セラフィナが口を開くと、即座にリーゼが禁止したので、二人はしばし睨み合った。
「……まだ何も言っていないわ」
「何だか飛び出しそうだったので」
「………………だから、しないわよ、そんなこと」
本当に信用がないわね、とセラフィナはため息をつくが、誰もフォローしてくれないことに少しだけ悲しくなる。もう一度、大きなため息をついてから、拗ねたように続けた。
「別に、変なことはしないわよ。闇の魔法で何とかできそうだから、この辺の魔物を魔法陣に近づけないでって、言いたかったのよ」
「でも、魔力は使えないんじゃないの?」
エーリヒが、不思議そうに聞き、アルベルトも同意する。
「魔力は吸われるだけだ。やめた方がいい」
「そうかもしれないけれど……ちょっと、試してみましょう?」
セラフィナは皆を見渡すが、一様に厳しい顔をしている。これは、説得されないやつだと考えたセラフィナは、さっさと行動してみようと魔法陣に向き直った。ダメならやめればいいのだ。
セラフィナは、練習でやったときのように、体内の魔力を極力封じ込め、周囲の魔力に集中した。そこここに、魔力を感じる。近くにある暖かい魔力は、仲間たちのもの。その周りにある、いくつもの無機質な魔力は、黒い光の魔物だろう。目を凝らして、目の前の魔法陣に集中すると、それが黒く浮き出て見えた。無機質でもない、冷たくもない、ただそこにあるだけの魔力だ。物に宿る魔力は、このようなものだという。魔王城を繋ぐ出入り口というから、どんなに禍々しいものかと思ったら、案外その辺の魔法具と同じだったことに、セラフィナは少し安心した。
自分の魔力を少しだけ魔法陣に注ぎ、それを媒介にして魔力を動かす。煙を静かにかき混ぜるようにすると、魔力がゆっくりと動いた。ぐるぐると動く魔力は、少し面白い。これを吸い込むイメージは、真空ポンプだ。まず、自分の魔力を動かして、足の先にぎゅうぎゅうと詰め込む。闇の魔法書を読んで気がついたのだが、魔力は雲のようなもので、普段は頭の先から足の先までを漂うように満たしているが、圧縮すれば体積はそれほどでもないのだ。
(――あ、なんだかクラクラする)
身体中の魔力が圧縮され、貧血のような感覚を覚えた。セラフィナは、ポンプのイメージがしやすいように両手のひらを魔法陣に向けて、空洞になった身体の中に、一気に魔力を流し込んだ。魔力は見えない。感じるだけだ。しかし、魔法陣の魔力は、確実にセラフィナに流れ込んでいる。流れ込んできた魔力は、次から次へと圧縮し、足の方から順に詰め込んでいく。
(はー、これはすごいわね。クラクラがどんどん解消されるわ)
これなら、魔法を使いすぎた時に、いろいろな物から少しずつもらうのもいいかもしれない。魔力をもつ人間は、その魔力が枯渇すると、最悪灰になってしまうのだ。そんなの、怖い。
そんなことを考えているうちに、セラフィナの中の魔力は腰あたりまで溜まってきた。少しずつ、魔力を吸い込む勢いが弱まっていく。
(もう少しかしら?)
なんとなく、そんな感じがした、その時。足元の魔法陣がピシリと鳴った。黒い線の一部がぼやけ、床に溶け出し、すっと消える。セラフィナに流れ込む魔力が、また細くなる。
暗い空間の中、すでに見える範囲に魔法陣は見えなかったが、何かが弾ける音だけが、ピシリ、パシリと響いていた。流れ込む魔力は、細めのロープ程になり、糸になり、フツリと途切れる。破裂音も、同時に収まった。
(――魔力は全て吸い取ったかしら。でも、少し……)
気持ちが悪い、そう思った時、ぐらりと視界が揺れた。体内で、何かが暴れている――いや、どう考えても、吸い取った魔力だ、とセラフィナはわかった。
ぐるん、ぐるん、と視界が回る。全身の感覚がなく、自分が立っているのかもわからなくなった。耳の奥で、ドクン、ドクン、と耳鳴りがして、外の音も聞こえなかった。吐きそうなのに、吐くものがない感覚。決して吐きたいわけではないが、吐けない苦しみがセラフィナを襲う。
(あ、これ、少し出さないと、ダメなやつ)
セラフィナは、咄嗟にそう思った。
どこに、どうやって。揺れる視界の中に、黒い光の魔物が映った。
(――あれだ)
この廃教会には、黒い光の魔物が無数にいる。
セラフィナは、無意識に手を床に置いた。手のひらから伝わる石の冷たさが、とても心地よかった。その手のひらからは、魔力が糸のように流れ出る。
(……魔法陣?)
なぜ、そんなものが作れるのかはわらない。魔力を糸のように操り描いた魔法陣は、黒い光の魔物――リュミラ――を狙撃するように設定した。
(――りゅみら? あの魔物の、名前?)
範囲は、廃教会の中。数は、全て。時間は、今。
(――この文字は、何?)
魔法陣が完成したと感じた。そこに魔力が吸い込まれると、一気に身体が楽になった。
(――あれは……金色……?)
セラフィナは、そのまま意識を手放した。
――パキン。
静寂の中に、小さな音が響いた。
――パキ……パチン……ッ!
続け様に鳴り響く音に、その場にいた者たちは、一斉に顔を上げた。
広い石造りの部屋。窓はあるのに、分厚い雲に阻まれているせいで、太陽の光は一向に入ってこない。薄暗い部屋の床に描かれた、巨大な黒い魔法陣。
その一角に刻まれていた黒い紋様が、硬い音を鳴らして弾け飛んだ。
「……あ……れ?」
誰かが呟く。
まるで割れた皿でも見つけたような、軽い声が響いた。
「あー……崩れちゃう」
それに、別の声が応じた。
「崩れていきますねえ」
「止まらないな」
他人事のような会話が続く。
その間にも、黒い模様は、一つ、一つ、と硬い音立てて弾け飛んだ。
「これ、どうにかならないのか?」
「えー。どうにかって言われても……むしろ、何でこうなっちゃうかなあ」
「誰かが何かをしているんでしょうねえ」
「誰かって、人間が? それこそ無理でしょ」
「でも、私たちの他に魔法を使えるのは、人間だけです」
「今の人間には、無理でしょー! 僕たちの中に裏切り者がいるって言われた方が、納得するけどね!」
軽い声が、ため息に変わった。
「――それにしても、あと一日もすれば完成したのに……また作り直し?」
「その前に、報告だな」
「………………僕、逃げてもいいかなあ」
「逃げる方が、恐ろしい結果を招くこともありますよ」
「そう思うなら、一緒に回避方法考えてよー!」
「どうにもならない。諦めるんだな」
「私も一緒に謝ってあげますから」
「連帯責任だよね!?」
「何のことだ?」
三人は、軽い口調で騒ぎながら、その部屋を出ていった。
薄暗い部屋の中に、パキリ、と硬い音が響き続けた。




