廃教会
炎がおさまると、廃教会がはっきりと見えた。
石造りの建物は頑丈で、一部は崩れているものの、記録にないほど昔に捨てられたとは思えないほど限界をとどめていた。
「案外、近くにありましたね」
リーゼが、セラフィナの横に立って言った。
「ノクスへルンが作る霧は、方向感覚を失くさせるらしいからな。逸れなくてよかったよ」
そう言うカイルは、セラフィナが解いた結界の下を覗き込んでいる。その横にしゃがみ込んだエーリヒも、同じように下を覗き込んでいた。
「問題は、地面がべちゃべちゃのぐちゃぐちゃってところだよね」
セラフィナが結界を張っていた外側は、アルベルトの放った炎によって雪が溶かされてしまっている。一部だけが溶かされた結果、廃教会の前は泥の池のような状態になり、そこに焦げたノクスへルンが何体も浮いているという異様な光景が出来上がっていた。五人が立つ場所は、セラフィナの結界により溶けずに残っているが、結界を解いた今、水による侵食を受け始めていた。
セラフィナは、エーリヒの横にしゃがみ込んで、廃教会の玄関を眺めた。先ほどまで雪に埋もれていたであろう大きな扉が、今はしっかりと見えている。石段を上がった上にあるため、水に浸かってもいない。
「全部、凍らせちゃう?」
「転んで歩けない子が出てくると思うんだよね」
エーリヒの言葉に、セラフィナは「誰のこと?」と首を傾げた。後ろでは、リーゼとカイルが頷いている。
「――何にせよ、さっさとしないと、この足場も崩れるぞ?」
濁った水を覗き込みながら、アルベルトが言った。セラフィナの腕を引き上げて立たせた後、数歩後ろに下がらせる。エーリヒも立ち上がり、同じように一歩下がった。
「セラさん、実は飛べちゃったりしないですか?」
「空を飛べる人間は、未だかつて見たことがないわね」
「じゃあ、第一号になってみましょう」
「いいわよ。リーゼで試してからね」
「謹んで、遠慮いたします」
リーゼとセラフィナの会話を、カイルが苦笑いで止めた。
「とりあえず、この寒い中濡れると命取りだから、凍らせて渡る方向でいいよな。滑るなら、支えればいいだろ」
カイルが言うと、セラフィナは頷いて「ツルツルにしなければいいのよね」とスタッフを泥の池に向けた。
目の前の水をぐるぐると動かすと、地面の土が池全体に攪拌される。どうしたって落っこちたくないほどに濁った水を見て、セラフィナは頷いた。
「アル、手伝って。一気に凍らせましょう」
セラフィナが言うと、アルベルトは眉を顰めた。
「滑らないようにするのだろう? 凍らせるだけか?」
「凍らせるだけよ。均一にならなくていいから、とにかく一気に凍らせてね」
ふむ、と考えるようにしたアルベルトは、腰に帯びた剣をすらりと抜くと、剣先を泥水に向けた。
セラフィナのスタッフと、アルベルトの剣先が向いた泥水は、パキっという音を立てた。かと思うと、二方向から弧を描くように一気に液体から個体に変化する。それは決して美しい氷ではなく、バキバキとひび割れや隆起を繰り返している。
一瞬で廃教会までたどり着いた氷は、もう足元の雪を侵食していない。代わりに、冷気により一気に気温が下がったため、ふかふかだった雪が硬く凍りついている。
「――凍らせたのに、平坦じゃないんだね」
エーリヒが、不思議そうに言った。
「不純物が多いほど、水は綺麗に凍らないのよ。一気に凍らせたのも、凸凹の原因ね」
セラフィナの答えに、エーリヒが、へえ、と感心した声を出して、凍りついた泥水の上に降り立った。
「これなら滑らないね」
足元を確認してにこりとしたエーリヒは、セラフィナに左手を差し出した。セラフィナが反射的に出した右手は、横から伸びてきたリーゼの手によって方向を変えられる。
「転ぶと痛いので、私と行きますよ」
結果的にリーゼと手を繋いだセラフィナは、「転ばないわよ」と言いながら足場を降り、氷の上を歩いて行った。
やり場のなくなった左手を上げたまま二人を見ているエーリヒの横を、口の端を上げたアルベルトが、彼を見やって通り過ぎる。カイルがエーリヒの肩を軽く叩き、「リーゼの勝ちだな」と笑って歩いて行った。
「じゃあ、エーリヒさんは、私と行きましょう」
ずっと様子を眺めていたイェレミアスが、エーリヒの横に降り立った。エーリヒは、苦笑いしながら左手を降ろし、二人で並んで歩き出した。
廃教会の中にいたのは、黒い光の球体に、ひび割れたガラスのような翼を三対もつ魔物だった。人の頭ほどの大きさの、いくつもの黒い光は、建物の中をふわふわと漂い、時折お互いにぶつかってはガラスが擦れたような高い音を立てていた。
「…………何もしてこないな」
「逆に、不気味ね」
カイルの言葉に、セラフィナが頷いた。六人は、何の反応もない魔物の間を、静かに歩いて進んだ。
「図書室は、この通路の先なんですが……」
イェレミアスは、列の後ろを歩きながら、ふと地下へと降りる階段の前で足を止めた。
「どうしたの?」
横を歩いていたエーリヒが反応して、他の四人も振り向いた。
「こっちの階段、やけに魔物が多くないですか?」
その言葉で、皆で階段を覗き込む。そう広くはない階段の先は暗く、黒い光は、その闇に溶けてしまって見えない。ただ、ガラス様の翼が何かにぶつかる音が、時々闇の中から響いてきた。よくみると、彼らの周囲で意味もなくふわふわと漂っている黒い光も、一体、また一体とその地下への階段へと吸い込まれていっている。
皆がその状況に見入っていると、白金色の光がふらりと階段を降り始めた。
「――待て待て待て待て!」
カイルが慌てて地下へ降りるセラフィナの腕を掴んだ。気がつけば、リーゼ、アルベルト、エーリヒが、セラフィナの進行を妨げるように立っていた。
「セラさん、もう少し考えましょう」
「え? だって、絶対に何かあるじゃない。ちゃんと考えているわよ」
「考えた結果が、どうして降りるに繋がる」
「降りないと、何があるかわからないもの」
「わからないって思うなら、一人で降りて行ったらだめだよ」
「ええ? じゃあ、どうすれば……」
「せめて、行く前に声をかけてくれ」
途方に暮れた顔をしたセラフィナの頭に手を置いて、カイルが「心臓に悪いから」と苦笑いした。
「もう、俺、セラの手を離さないようにしようかな」
エーリヒが呟くと、リーゼがキッと彼を睨みつけた。
「エーリヒさん、最近、距離が近すぎます。お触りは禁止させていただきます」
「何で俺だけ!?」
「セラさんを拉致したこと、私は忘れておりませんよ」
「拉致って……」
「自業自得だ」
アルベルトの言葉が、エーリヒにグサリと刺さる。少ししょんぼりしたエーリヒは放っておいて、相談が始まった。
「とにかく、地下に降りるには、灯が必要だな」
カイルが言うと、リーゼが魔法拡張鞄をゴソゴソと探り出した。
「ランプなら、いくつか準備がございます。セラさんの鞄にも、入れてありますよ」
そうして出てきたオイルランプは三つ。リーゼの準備の良さに、皆が感心した。それに、セラフィナとアルベルトで分担して火を灯そうとして、セラフィナが「あら?」と声を出す。二人は首を捻って顔を見合わせた。
「着かないわね」
「着かないと言うか、吸われたな」
二人の言葉に、リーゼが「どう言うことですか?」と首を傾げる。
「火を着けようとした魔力を、吸われたのよ」
「吸われたって、何に吸われたの?」
エーリヒの問いには、「さあ」としか答えられない。アルベルトも、不思議そうに首を捻っている。
「魔力が吸われることなんて、あるのか?」
「強制的に吸われるのは、魔法具よね。どこかに、魔法具があるのかしら」
カイルに答えながら、セラフィナがもう一度ランプに指を添えようとすると、アルベルトにその手を取られた。
「吸われた魔力が、何に使われているかわからない。俺たちは、魔法を使わない方がいい」
セラフィナは、それもそうね、と手を下ろす。
そうすると、とセラフィナは考えた。剣が使えるアルベルトはともかく、セラフィナは完全に足手纏いだ。そう思うと、同類がいることを思い出す。その人物のいる方向へ顔を向け、一つ気になることを解消しておこうと思った。
降りかけていた階段をコツコツと上がると、イェレミアスの前に立つ。鞄から、飾り気のない黒いピンを数本取り出すと、イェレミアスの顔の半分を隠している前髪を、全てサイドに留めてしまった。邪魔くさい前髪を避けて出てきたのは、長いまつ毛に縁取られたアメジストの双眸を持つ、人形のように整った顔立ちだった。
「――!?」
驚いて一歩下がるイェレミアスに、セラフィナは満足したように頷いた。
「顔が見えない人って、会話がしにくいのよね」
「……え?」
「それに、顔を隠さなければいけない理由なんて、この場にあるの?」
「え……いえ、それは……」
「そう言うわけで、イェレミアスさん、何もできない者同士、仲良くしましょう」
「…………は?」
「魔法が使えないなら、私にできることはないもの」
「……はあ」
「そう言うわけで、役に立たない者同士、後ろで神話について語りましょう」
「………………」
「………………?」
黙り込んでしまったイェレミアスに、セラフィナは首を傾げる。
イェレミアスは、何度か瞬きをした。まるで、聞き間違いではないか確かめるように。
「……神話を?」
「ええ」
「私と?」
「……そう言ったでしょう?」
次の瞬間。
イェレミアスはセラフィナの両手を握った。
「――私のことは、レヴィとお呼びください」
「…………は?」
今の会話の流れで、どうしてそうなるのか、今度はセラフィナが理解に苦しむ番だった。
「ぜひ」
セラフィナの両手を握る手に、ぎゅっと力が入った。
「――仲良くしましょう」
キラキラと輝く瞳が、薄暗い建物の中でも眩しい。
「ぜひ」
「はあ……」
「ぜひ、レヴィ、と」
「…………レヴィ、さん」
「レヴィ、と」
「…………………………レヴィ……」
「はい、セラ。では、これからあちらの図書室で古書を――」
「「どうしてそうなるの」ですか」
エーリヒとリーゼの声が、見事に重なった。アルベルトが額を押さえ、カイルが天を仰いでいる。
「イェレミアスさん。目的は、魔物の排除ですよね?」
リーゼが、セラフィナとイェレミアスの間に割って入った。同時に、エーリヒがセラフィナの肩に手を置いて一歩下がらせ、下から顔を覗き込んだ。
「セラ。見境なく人をたらし込むのは、やめよう?」
「たらし込むって……」
「もう、閉じ込めちゃってもいいかな」
「………………怖いわよ」
エーリヒの褐色の瞳に緑が深くなり、昏い輝きを放ったのを、セラフィナは見逃さなかった。ただでさえ、エーリヒは重いのだ。危ない言動は、アルベルトだけで手一杯だ、と思ったセラフィナは、何か手はないかと周囲を見渡した。
リーゼはイェレミアスと睨み合っている。アルベルト……は、危ない。なぜかエーリヒを睨んでいる。視線をウロウロさせていると、カイルとパチリと目が合った。
『カイル、何とかして!』
『――これ、収拾つくかなぁ』
そんな会話が成り立ったのか、カイルが苦笑いしてランプを掲げた。
「ほら、火が着いたぞ。地下に行ってみるんだろ?」
そう言って、エーリヒにランプを一つ、手渡した。それで様子の戻ったエーリヒは、ぱちりと瞬きをしてランプを受け取る。
「――あれ? どうやって着けたの?」
「マッチくらい、あるさ」
カイルは、エーリヒの肩をとん、と叩き、横をすり抜けてリーゼにもランプを手渡した。
「セラは、リーゼから離れるなよ。エーリヒはイェレミアスさんと後ろに。アルは俺と、一番前だ」
そう指示されると、剣呑な雰囲気は霧散し、各々に行動し始めた。セラフィナがチラリとカイルを見ると、優しい視線と目が合った。それも一瞬のことで、彼はすぐにアルベルトの元へ向かった。




