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デート

エーリヒの暴走は続く

 人通りのない小道から出た二人は、比較的賑わっている道を歩いていた。セラフィナは、ずっと疑問に思っていることがある。

「……ねえ、どうして手は離してくれないの?」

 歩き出すと同時にようやくセラフィナを解放したエーリヒは、今度は自然な動作で彼女の手を取った。そのまま指を絡めて、今に至る。

「どっかに行っちゃいそうだからね」

 エーリヒはにこやかに答えて、握った手に力を込める。

「それに、デートだから」

 セラフィナの手を持ち上げて自分の頬に当て、蕩けるような瞳で見つめるエーリヒ。手袋をした手でさえ熱が伝わってくる気がして、セラフィナは自分の頭が爆発したのではないかと錯覚した。

「ほら、行こう? 絶対に忘れられない一日にしよう」

 キラキラした笑顔で言われて、セラフィナは何かを諦めた目でエーリヒを見返した。

「……お腹が空いたわ」

 たくさん走らされたから、と言外に告げると、エーリヒは嬉しそうな顔をした。

「じゃあ、まずは食べたことがないものをたくさん食べよう。それから街を歩いて、いろんなお店を見て回って、それから――」

 エーリヒは、セラフィナの手を優しく引いて、楽しそうに歩いている。

 ――絶対に、今日のエーリヒはおかしい。

 そう思いながらも、セラフィナの口元には笑みが溢れていた。


 冬の街の屋台には、暖かそうな湯気がたくさん上がっていた。冬の寒さは厳しくても、北国の住民は慣れっこだ。寒い寒いと言いながら、屋台通りを楽しげに歩いている。その屋台の間を、セラフィナは目を輝かせて歩いていた。

「ねえ、あれも食べてみたいわ!」

 セラフィナは、屋台の一つを指差した。串に刺された肉と、赤や黄色のカラフルな野菜が目に鮮やかだ。

 エーリヒと一本ずつ食べながら、また歩く。次に見つけたのは、肉団子の入った透明なスープ。冷えた身体が、内側から温まった。

 一口大に切った揚げ芋がいくつも入ったカップを持って、セラフィナがエーリヒに笑いかけた。

「これ、ホクホクしていて美味しいわよ」

 そう言って、串に刺した揚げ芋をエーリヒの口元に持っていく。嬉しそうに開けたエーリヒの口にそれを放り込んで、自分ももう一つ口に入れた。

 カップを空にすると、エーリヒに袖を引かれた。

「ねえ、あれも美味しそうだよ」

 彼が示す方を見ると、湯気を上げたリンゴが見えた。そのリンゴは、深い赤が少し焦げて縮み、ところどころに蜜が漏れている。上に乗っているのはバターだろうか。トロリと溶けて、流れている。

「美味しそうだけれど、全部食べれるかしら」

 目につくものを端から食べて、そろそろお腹が限界だ。セラフィナが困って眉を下げると、エーリヒが「二人で食べよう」と提案したので、それならばと了承した。

 切り分けられたリンゴを、エーリヒがセラフィナの口に入れる。口に広がるシナモンの香りと、それに続くりんごの酸味、最後に来るまろやかなバターの風味が、なんとも言えない幸せを運んでくる。

「おいしい?」

 エーリヒに問われたセラフィナは、頬を緩ませこくこくと頷いた。「そんなに?」とエーリヒもリンゴを口に入れ、驚いた顔でセラフィナを見返した。

「ね? これは幸せの味でしょう?」

「本当だね。見つけた俺を、褒めてよ」

「もう一つくれたら褒めてあげるわ」

 イタズラっぽく言って口を開けるセラフィナに、エーリヒは眩しそうに目を細めた。もう一つ、その口に焼きリンゴを持っていくと、パクリと口が閉じて、幸せそうな顔になった。

「その顔が、一番のご褒美だね」

 エーリヒが言うと、「何を言っているのよ」とセラフィナが反論し、右手をエーリヒの頭に伸ばした。

「私の護衛は、とても偉いわ」

 そう言って、エーリヒの頭を笑顔で撫でた。その手は、彼の前髪のあたりまでしか届かなかったが、とても心地よいものだった。すぐに離れていく手を絡め取り、とろりとした目をセラフィナに向ける。

「そこは、『護衛』じゃなくて、名前を言って欲しかったな」

「……言わないわよ」

 横を向いてしまったセラフィナの耳が赤くなっていたのは、寒さのせいか、それとも――。エーリヒはくすくす笑って、セラフィナの手を引いて歩き出した。

 

 二人は、高台から湾に広がる港を眺めていた。薄暗くなっていく空の下、多くの船が大急ぎで港へと入っていく。遠くに見える灯台の灯りは、だんだんと輝きを増しているように思える。

 エーリヒは、横に立つセラフィナを見ていた。冷たく吹く風に首をすくめ、握った手にも僅かに力が入っていることに、彼女は気づいているのだろうか。今日はギルドに行くだけだったためか、耳当てはしていない。頬も耳も赤く染まり、可愛いなと思う反面、申し訳ないとも思った。

「――次は、船に乗るのもいいわね」

 セラフィナが、遠くを見ながら呟いた。

「海の上は、どんなかしら。南の海は、海底が見えるほど透き通っているのですって」

 春になったら、一気に南下しようかしら、と言うセラフィナの目は、キラキラと輝いている。エーリヒは、そんなセラフィナの表情を見るのも楽しくて、思わず口から言葉が溢れ出た。

「――好きだなあ」

 言った本人が一番驚いたが、口から出てしまったものはしょうがない、とエーリヒは開き直った。横でセラフィナが半目でエーリヒを睨んでいる。

「あまり言い過ぎると、慣れるわよ?」

 セラフィナの頬が先ほどよりも赤いのは、言わないほうがいいのだろうか。エーリヒは、彼女を少し揶揄いたくなってしまった。

「俺は、『何が』好きとは言っていないよ?」

 にこやかに言うと、セラフィナは少し考えて、しまった、という顔をした。その表情の変化が面白くて、エーリヒは声を上げて笑った。ブスッとした彼女の顔を見てまた笑い、「怒った顔も好きだ」と言うと、顔を真っ赤にしてあちらを向いてしまった。これで自分のことを意識しているかわからない、と言うのだから、セラフィナはなんて悪女なのだろう、とエーリヒは悔しくなってしまった。

 さて、どんな意趣返しをしてやろうかなとエーリヒが考えていると、小さな声が聞こえた。

「――――わよ」

 よく聞こえなかった言葉を聞き直そうと、エーリヒは「ん?」とセラフィナの顔を覗き込んだ。目が合った途端に、氷青の瞳がすいっと逸らされる。「だから」と、イラついた声がセラフィナから聞こえた。

「楽しかったわよ」

 エーリヒは、目をパチパチと瞬いた。繋がれたままのセラフィナの手に、少しだけ力がこもる。

「ま……また、連れてきなさいよね」

 目を逸らしたまま、強めの口調で言うセラフィナを、エーリヒはじっと見つめるだけだった。何も言わないエーリヒに、セラフィナは落ち着かない様子で視線を動かす。何かないかと周囲を見渡すが、暗くなってきた高台には、残念ながら話題になりそうなものはなかった。話題を変えることができそうもなく、セラフィナは諦めて息を吐いた。

「――寒いわ。帰りましょう」

 そう言って、歩き出そうとするセラフィナの手を、エーリヒはくい、と引っ張った。バランスを崩したセラフィナは、そのままエーリヒの腕にすっぽりとはまる。急な展開に、セラフィナは思考が追いつかず、頭の中が真っ白になった。

 セラフィナを抱きしめるエーリヒの腕に、ぎゅっと力が入る。

「――もう少し、このまま……」

 低く、耳元で囁く声は、甘さと、ほんの少しの寂しさが滲んでいた。が、セラフィナはそれどころではない。ぎゅっとされているのは暖かいが、あまりに現実離れした行動に、頭も身体もうまく動かない。そして、エーリヒには、そんなセラフィナの様子を考える余裕は、どこにもなかった。

 セラフィナの背中に回していた手を、頭の方へそっと上げる。耳の後ろに両手を当てて、セラフィナの顔を上向かせた。エーリヒの指先に当たるのは、先ほど買った、髪飾り。セラフィナが一瞬目に止めた、店頭に並んだその髪飾りは、鈍く光る銀細工が、繊細で美しい曲線を描いていた。それが彼女の髪にある事実を確かめながら、エーリヒは氷青の瞳を見つめる。

 そして、ゆっくりと、唇を落とし――


「――で? それは、同意の上か?」

 二人の唇が触れる、その直前。低い、少し怒りのこもった声がした。エーリヒの動きはピタリと止まり、冷たい風が、その僅かな隙間を通り抜けた。

 ゆっくりと首を横に向けるエーリヒの視界に、腕を組んで立つアルベルトが映った。

「…………何で、いるわけ?」

 エーリヒの口から出たのは、地を這うような低い声。いつも穏やかな彼からは想像できないほどの鋭い視線で、アルベルトを睨みつける。それに、アルベルトは鼻で笑って答えた。

「俺がここにいてはいけない理由があるのか?」

 少し顎を上げて、見下げるように言うアルベルトに、エーリヒは、セラフィナを再び腕に抱き込み、口の端を吊り上げた。

「邪魔だよ」

 その冷たい声に、セラフィナの肩がビクリと震えた。

 けれど次の瞬間には、エーリヒがいつものように柔らかく笑ってセラフィナの顔を覗き込む。

 「どうしたの?」

 穏やかな声に、セラフィナは混乱した。今の声は、何なのか。

 まだ耳の奥では、自分の鼓動がうるさいほどに鳴っている。エーリヒの吐息も、視線の熱も、優しい声も、何もかもが近くにある。これは、現実。では、さっきの冷たい声は、幻聴だったのか。そうか。

 セラフィナは、よく考えた。そもそも、なぜ自分は、エーリヒの腕の中にいるのか――。

「…………っ!」

 ようやく現実を確認した時、セラフィナの思考は爆発した。

「あ、あ、あ、あなた! い、い……っ!」

 ん?と首を傾げるエーリヒの胸を、力一杯押してセラフィナは叫んだ。

「い、今! 私に、キスを……っ!?」

 ぐぐぐっと身体を離しながら、セラフィナはエーリヒに抗議する。しかし、彼は「バレたかー」と朗らかに笑っている。

「わ、笑い事では――」

 ない、とセラフィナが言い終わる前に、横からぐいっと腕を引かれた。そのままエーリヒの腕から抜けると、くるりと向きを変えられて広い背中が視界に広がった。

「笑い事ではない」

 静かな声が、明らかに怒気を孕んでいた。セラフィナが見上げるが、アルベルトの後ろ頭しか見えない。

「笑い事じゃないよ。俺は、ちゃんと本気だよ」

 顔は見えないが、エーリヒの声がふざけていないことは、セラフィナにも伝わる。

「でも、ちょっと不意打ちだったね。ごめん」

 姿は見えなくても、それは、しっかりとセラフィナに向けられた言葉だった。セラフィナは、彼に同じだけの想いを返せていない。それが、とても申し訳なく思えた。

「……あ、の――」

「ふざけるな!」

 何か言わなければ、とセラフィナが口を開くと、アルベルトの怒声がとんだ。

「セラは、俺の――!」

 言いかけて、アルベルトは言葉を切った。苦しそうに眉間に皺を寄せて、ぐっと息を飲み込むと、そのままくるりとセラフィナの方を向いた。

「お前も、油断しすぎだ。こいつに食われるぞ」

 言われて睨まれたセラフィナは、「くわ……?」と呑気に首を捻っている。それに苛立つアルベルトを見て、エーリヒが肩をすくめた。

「一人で戻るよ。アル、セラをお願いね」

 二人の返事を待つことなく、エーリヒは高台を降りていった。

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