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変だけど

思考迷子のアルベルト

 次の日も、セラフィナは混乱を脱せなかった。

 とりあえず、アルベルトの視線がうるさい。カイルは、彼を心配そうに見ているし、リーゼは常に怪訝そうな顔だ。そして、エーリヒは、フィエルヴィクへの馬車の中で、頭を抱えている。

 あまりにも不自然なので、セラフィナは思い切って口を開いた。

「……ねえ、アル。私、今、あなたの考えがさっぱりわからないのだけれど」

 馬車の中が、シンとなった。誰もが答えを待つように、アルベルトをじっと見た。が、その答えは、期待をしっかり裏切るものだった。

「……俺も、わからない」

「………………そう。大変ね」

 四人は、ガックリと肩を落とした。

 その中で一人だけ、アルベルトはわずかに視線を落とし、何かを考え込むように顎に手を当てていた。

 

 フィエルヴィクに着く頃には、本格的な雪になっていた。視界も悪く、風もある。

「お客さんたち、運が良かったね。これ以上天気が悪くなると、馬も走れなくなっちまうからな」

 早く宿を決めた方がいい、と御者は言いながら、客を馬車から下ろした後、馬車小屋へと馬を急がせた。

 言われた通りに宿へ急いだが、着いた頃には横殴りの雪で視界が真っ白になっていた。五人は、身体中に着いた雪を払い合った。

「セラ、待って」

 宿へ入ろうとするセラフィナを、エーリヒが呼び止める。何かと足を止めて振り向くと、彼の手がセラフィナの髪に伸びた。少し乱れた前髪をそっと整えて、「はい、いいよ」と微笑みかける。セラフィナは、少し目線を上に上げ、指先で前髪に触れた。

「乱れていたかしら? ありがとう」

 公爵令嬢は、世話をされることに慣れている。自然な流れで礼を言い、エーリヒを伴って宿に入った。

 カイルが手続きを終え、各々部屋に荷物を置いてから夕食のために食堂に集まった。食堂には、吹雪のためフィルヴェイクに足止めをされている旅人も多く集まっていて、多くのテーブルでは天気の話で盛り上がっていた。

「明日も吹雪くようなら、足止めかな。最悪、宿屋からも出れないんじゃないかって話だ」

 カイルが残念そうに言うが、エーリヒは反対に楽しそうだ。

「いいんじゃない? 最近移動しっぱなしだったし、たまにはゆっくりしようよ」

 その言葉に、セラフィナも大きく頷く。

「そうね。たまに、一日中部屋に篭って、本を読む日があってもいいわね」

「セラフィナさん、それはダメです。お家の小部屋で寝食を忘れて本を読み耽って、発見されるまで丸一日かかったことを忘れていませんか?」

 リーゼが披露するセラフィナの失敗は、大概他の人がしないような結末になる。この失敗談も、行方不明として捜索が始まるか否かのところまでに至っている。なぜそこにいたのか、本人も覚えていないのだが、普段は使わない小部屋の隅で本を読み耽り、誰も彼女を見つけることができなかった。夜になって、なおも続く捜索の中、庭にいた侍女がふと見上げたその小窓に、小さな灯りが灯っているのを見つけなかったら、公爵家の騎士団による捜索が開始していたことだろう。セラフィナ六歳の夏のことだった。

「本があんなに面白いものだと、あの時初めて知ったわね」

 対するセラフィナの返事は、まったく見当はずれで、リーゼは呆れてため息を吐いた。

「篭って読むなら鍵はかけないでください。鍵をかけたら、壊しますよ」

「それは、器物破損と言うのよ」

 ああ言えばこう言うセラフィナに、珍しくカイルが硬い声を出す。

「セラ。リーゼは心配して言ってるんじゃないのか?」

 セラフィナは、目を大きく見開いてカイルを見た。彼は、少し目元を和らげて、セラフィナを諭すように続けた。

「セラのこと、よく見てくれてるじゃないか。たまには、素直になった方がいいぞ」

 カイルの顔をじっと見ていたセラフィナは、少し考えるように下を向いた後、リーゼに向き直った。

「わかったわ。篭るのはやめる。ごめんなさい」

 セラフィナがリーゼを真っ直ぐに見て謝り、リーゼは何でもないように「いえ。お願いします」と返事をする。カイルが、ぽん、とセラフィナの頭に手を置いて笑いかけ、すぐに食事に戻るのを見て、セラフィナも少しだけ笑った。

「ね、セラ。明日吹雪になったら、俺にも何か本を貸してくれる?」

 エーリヒが明るい声で言うと、その場がいつもの空気に自然に戻った。

「いいわよ。私のお勧めにする?」

「セラフィナさん。お勧めって、どこかの国のコアな歴史の本とかですよね?」

 空かさずリーゼが待ったをかける。

「あれ、古文書レベルに難解じゃないですか」

 眉間に皺を寄せる様子は、どうやらリーゼが勧められた本であるようだ。

「え? “ギソルディア帝国滅亡までの軌跡”のこと? あれは貴重な歴史書で――」

「待って、セラ。歴史書はいいけれど、古文書レベルはやめよう?」

 エーリヒがセラフィナを遮ると、彼女は拗ねた顔をして「面白いのに……」とボソリと呟いた。

 そんな様子を、アルベルトは黙って眺めていた。

 食事が終わって、五人は部屋に引き上げた。セラフィナは、リーゼに髪を解いてもらった後、部屋で本を読んでいた。意識して集中しすぎなければ、読み耽ることもない。喉が渇く感覚もわかる。セラフィナは、食堂に降りて水を貰い、部屋の前まで来ると、後ろから名前を呼ばれた。びくりとして振り返ると、廊下にアルベルトが立っていた。

「――アル?」

 知った顔に、少し緊張を解いてセラフィナは聞いた。

 薄暗い廊下に佇むアルベルトの表情は、よく見えない。だが、声からは少しの戸惑いが伺えた。

「驚いたわ。どこかに行っていたの?」

 いや、と答えたアルベルトは、セラフィナに歩み寄ってきた。目の前でぴたりと立ち止まると、無表情でじっと彼女を見つめる。

「……何?」

 セラフィナが聞くが、アルベルトは答えない。代わりに右手をポン、と彼女の頭に乗せた。そのまま、左右に動かし――つまり、頭を撫でた。

「………………」

「………………」

 二人は、無言のまま見つめ合う。そこには、気恥ずかしさや照れなどといった、可愛らしい雰囲気はない。あるのは、どうしていいのか分からない空気感だけだった。

「……………………何を、しているの?」

 おかしな雰囲気に耐えかねて、セラフィナがようやく口を開く。頭は相変わらず撫でられているが、乱暴ではない。

「いや、別に」

 無感情とも思えるほどのトーンで言ったアルベルトは、手の動きを止めてボソリと問う。

「――嫌か?」

 少し首を傾げる王子を、捨て犬のようね、と思ったが、なんとなく悔しくて、セラフィナは言うのをやめた。その代わり、素直に返事をすることにした。

「まあ――嫌というわけでは、ないけれど……」

 セラフィナは、基本的に甘やかされて育った。成果を見せると、父や母に頭を撫でてもらえた。だから、頭を撫でられる行為自体は、嫌いではない。ただ、タイミングがおかしい、と思うのだ。それを言おうと口を開いた時、セラフィナは目を見張った。

 目の前の男が、笑ったように見えた。

 笑顔を見せるのは、社交だけ。自分と二人の時は、常に無表情か怒っている、この男が、笑った――かもしれない。

 疑いを持つほどに僅かな変化は、すぐに消えてしまった。

「――そうか」

 そう言ってセラフィナの頭から手を離すと、アルベルトはくるりと後ろを向いて歩き出す。

「おやすみ」

 自分の部屋の扉を開けながら、彼はセラフィナの方を向いた。離れたところから、じっとセラフィナの目を見つめる。まるで、返事を待っているかのように。

「――おやすみ、なさい……」

 なんとか言葉を形にしたセラフィナに満足したのか、アルベルトは部屋に入っていった。

 廊下に残されたセラフィナは、しばらく彼が消えた扉を見つめていたが、そういえば、昔からよくわからない人だったわ、と思い出し、深く考えることをやめた。

(明日もお寝坊したら、またカイルに笑われるわね)

 と考え、急いで部屋に戻ってベッドに潜り込んだのだった。

 

 翌日は、予想通り吹雪になった。多くの旅人は、フィエルヴィクに足止めとなり、セラフィナたちが泊まっている宿でも、滞在を延長する客がほとんどだった。

 セラフィナは、雪は好きだが吹雪は好きではない。顔にバチバチと容赦なく当たる冷たい雪は、暖かい室内に入った途端に溶けて、途端に頬が痒くなるからだ。頬を引っ掻くとリーゼに怒られるし、それなのに痒さは止まらないし、そうこうしている間にエーリヒに手を拘束されるし、昨日は散々な思いをした。

 それで、今日は一日中宿屋に篭ることにした。

 食事の時間ではない宿屋の食堂は、簡易の談話室のような雰囲気になっていた。赤々と燃える暖炉の火は、遠目にも暖かさを感じて落ち着ける。それでも寒がりなセラフィナは、暖炉の近くの席に陣取っていた。

 周りでは、暇を持て余した旅人たちが談笑したり、テーブルゲームをしたり、一人でぼうっとしている人もいた。そうした中で、本を読むセラフィナの周囲だけが、異様に静かな雰囲気を醸し出していた。横では、リーゼが同じく本を読みながら、時折セラフィナの様子を伺っている。その様子も気にせずに、セラフィナは、分厚い本のページを捲る。

 ――ふと、視界の端に違和感を覚える。

 右横には、最初と同じリーゼの姿。落ち着く。

 左横には――

「…………っ!?」

 思わず本をバタンと閉じた。

 すぐ横で、アルベルトが当たり前のように本を読んでいる。

「い、い、いつ……」

「……?」

 セラフィナが言葉にならない言葉を発していると、アルベルトがゆっくりと顔を上げた。碧い瞳と目が合って、セラフィナは落ち着こうと一度息を吸って、ゆっくりと吐いた。

「――いつから、いたの?」

「さっきからだ」

「さっきって、いつよ」

 セラフィナが、ジトっとした目で問い詰めると、アルベルトは少し考えるように斜め下を見た。

「そうだな……セラが三章を読み始めたあたりか」

「……具体的ね」

 セラフィナはため息を吐いた。今読んでいたのが六章なので、かなり前からいたようだ。リーゼに目を向けると、彼女は気がついていたようで、気にせず読書を続けている。アルベルトに目を戻すと、セラフィナをじっと見つめている。

(……まあ、変なのは、今に始まったことではないわね)

 セラフィナは、一人で納得して読書に戻った。それを見て、アルベルトも読んでいた本に視線を戻す。

 三人のテーブルは、結界か何かが張られたように、近づく者は誰もいなかった。


  ページを捲りながら、アルベルトはふと視線を横に向けた。

 静かに本を読むセラフィナの横顔。

 声をかけられるでもなく、追い払われるでもなく、ただ隣にいる。

(……こんなものか)

 思い返すのは、自分の行い。彼女が隣にいる時に、自分は何をしていたのか。その時の、彼女の反応は――。

(……今まで、俺は)

 そこまで考え、思考を止める。この時間を、味わいたい。

 アルベルトは、そっと息をつき、ゆっくりと視線を本に戻した。

いつも読んでいただきありがとうございます!

また3日後に投稿予定です。

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