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喧嘩

保護者カイル回です。

 フィヨルライン王国の首都フィオレイドは、王宮を中心に広がる都市だった。街の中央、小高い丘の上に建つ白亜の王宮は、雪を纏いながらも威厳を失わず、まるで都を見下ろすように静かに佇んでいる。そこから放射状に大通りが伸び、街は緩やかな円を描くように広がっていた。王宮に近い区画ほど建物は重厚で整い、石造りの屋敷や行政施設が静かに並ぶ。外側に行くにつれ、商店や宿屋が増え、人の声と生活の気配が濃くなっていく。さらに外縁へと進めば、街はそのまま港へと繋がる。凍りつきかけた海に面した埠頭には、頑丈な船が並び、帆には雪が積もっている。荷を運ぶ掛け声や鎖の軋む音が、冷たい空気の中に低く響いていた。

 フィオレイドに到着したセラフィナは、疲れていた。

 昨日、ハルグレイムで昼食を摂った後、一人で本屋に行ったまでは良かった。好みの本を見つけてホクホクと宿へ歩いていると、若い男二人に声をかけられた。どうでも良い誘いよりも、買った本が優先だ。冷たい視線を投げていると金髪碧眼がやってきて、男性二人は悲鳴をあげて逃げていった。別にそれも、どうでもよかった。無表情の金髪碧眼が約束の魔法書を見せろと言うので、宿屋の食堂で見せたのだったが――

「……あなた、どうして元気なのよ」

 馬車を降りて大通りを歩きながら、セラフィナがアルベルトにため息を吐いた。

「お前は、体力がないな」

「何があったの?」

 セラフィナがアルベルトを睨み、アルベルトは斜め上を向いて呟いた。それにエーリヒが首を傾げる。

「昨日の夜に、アルが無理をさせるから、眠れなかったのよ……」

 セラフィナがため息を吐きながら言うと、エーリヒとリーゼ、カイルがギョッとしてアルベルトを見た。

「――はっ!? お前、何したの!?」

 今にも掴みかかりそうなエーリヒを制して、アルベルトがセラフィナを呆れた目でみやる。

「セラ、それは、わざとやっているのか?」

 セラフィナが「何がよ」とアルベルトを睨むが、彼はため息を吐いて続ける。

「初期ダンジョンの魔法書に書かれていた元素魔法の練習に、付き合わせただけだ」

 それを聞いて、カイルが「ああ、なるほど?」と言い、リーゼも「睡眠不足ですね」と納得した。エーリヒだけが、釈然としない。

「夜遅かったものだから、眠いし、寒いし……」

 セラフィナが言うと、アルベルトが言い返す。

「俺のコートも着ていただろう。完全に着膨れしていたぞ」

「寒いからよ!」

 また、二人の喧嘩が始まった、とカイルが呆れ顔で眺める。

「お二人は、原則喧嘩をしていますので、気にしないでください」

 リーゼがカイルに言い、エーリヒはアルベルトに苦言を呈する。

「アル。夜中に女性を連れ出して、何かあったらどうするの?」

 アルベルトを少し睨むように言うと、セラフィナが「そうよ、私は美少女なんだから」と言い出して、リーゼに「無自覚迷惑美少女です」と言われた。

 それらは無視して、アルベルトはエーリヒに返答した。

「何かあれば、守れば良いのだろう? 何が問題だ」

 エーリヒが言い返す前に、リーゼが口を開く。

「そういう問題ではありません。前にも言いましたが、セラフィナさんを連れ出す場合は、私に一言――」

「言えば、行かせなかっただろ」

 アルベルトがリーゼを遮った。

「こいつが行くと決めたんだ。ぐずぐず言っているが、嫌だとは言っていない」

 セラフィナが最初に断ったことなど、無かったかのようにアルベルトは言い切った。

 アルベルト、エーリヒ、リーゼが睨み合う。それを見て、セラフィナが「これは『私のために喧嘩はしないでー』とか言ったほうがいいのかしら」と呟き、アルベルトに睨まれた。

 五人の歩みは完全に止まり、不穏な空気が流れる。

「お前ら、落ち着け」

 カイルが手をパンっと合わせると、アルベルト、エーリヒ、リーゼの三人がはっとしてカイルを見た。セラフィナだけが、ぼんやりと首を傾げている。

「お前たちの言い分はわかった」

 カイルは言って、アルベルトを見る。

「アルは、セラを無理に連れていったわけではないんだよな」

 アルベルトが頷いたのを見て、今度はエーリヒを見る。

「エーリヒは、心配してるだけだよな」

 エーリヒが「当たり前だよ」と言う。次に、カイルはリーゼを見た。

「リーゼは、セラのことが大事なんだな」

 カイルが少し笑うと、リーゼは「セラフィナさんは、抜けていますから」とボソリと呟いた。

「で、セラは、何にでも首を突っ込みたい」

 カイルがセラフィナを見て言うと、彼女は「私だけ酷くない?」と頬を膨らませた。

 カイルはクスリと笑い、四人を見た。

「お互い、子供じゃないんだ。説明して、本人が同意したことは、明らかに危険でない限りは見守る、でいいんじゃないかな。過度な干渉は、束縛に繋がる。間違いがあれば、その時に全力で正せばいいよ」

 四人は、交互に目を合わせて、すぐに逸らした。その様子を見て、カイルが笑う。

「ほら、そろそろ今日の宿を決めよう。本当に、風邪を引くぞ」

 そう言って歩き出したカイルを、四人はもう一度顔を見合わせてから、誰からともなく追った。


「――俺さ、ずっと気になっていたんだけど」

 夕食を食べながら、エーリヒがふと口を開いた。

 フィオレイドに到着したのは夕方近くで、一人は歩きながら寝そうになっていたので、五人はギルドには行かずに早めの夕食を摂っていた。

「アル、本業は大丈夫なの?」

 アルベルトは、分厚い肉を音もなくきれいに切り分けながら首を傾げる。

「大丈夫か、とは、どういう意味だ?」

 いやいやいや、とエーリヒが言い返す。

「だって、君。家族ぐるみで半年かけて出奔したのとは、訳が違うでしょ。準備期間だって無かっただろうし、そもそも、セラを見つけたのだって偶然でしょ?」

 それには、セラフィナも同じことを思っていた。確かに、名前を変えたりはしていない。しかし、仮にも公爵令嬢が、一人で街をふらついてるなんて、誰も思わないだろうと思っていた。そもそも、アルベルトが探しているとも思っていなかったのだが。

 セラフィナも、鶏肉のソテーを食べながらアルベルトを見つめる。その彼から出た言葉は、返答ではなかった。

「お前はどうなんだ? 一族総出で消えるなど、前代未聞だぞ」

 サラリと出てきたとんでもない情報に、セラフィナとリーゼが目を丸くする。

「ちょっと待って。今、一族総出って言ったのは、聞き間違いではなくて?」

 セラフィナが、アルベルトに確認する。

「事実だ」

 短い返答に、セラフィナは今度はエーリヒを見た。

「え、だって。俺だけ消えたら、君、家族に詰め寄るでしょ?」

 エーリヒは、にこやかにアルベルトを見ている。

「どこに行ったかなんて、聞いても無駄だからね」

 こういう時のエーリヒは、どんなに問い正してものらりくらりとかわされてしまう。それを知っているセラフィナは、それ以上追求するのをやめてアルベルトを見た。

「それで、あなたは偶然、あの本屋さんにいたの?」

「当然、確信があって行ったのだが」

「……え」

「俺を誰だと思っている」

 セラフィナとアルベルトは、顔を見合わせて一瞬、言葉に詰まった。

「……あの、一応聞くけれど、市井で平民一人をどうやって探したの?」

「お前、ただの平民は探せないって、言っていなかったか?」

 アルベルトは、二人に涼しい顔を向けている。

「私情で部下を動かすわけにはいかないからな。使えるのは、俺の時間と足だけだろう」

 セラフィナが、どれだけ立場に忠実なのよ、と顔を引き攣らせながら、さらに確認する。

「……じゃあ、お仕事の間に探したってこと?」

「最初はな。だが、どうにも効率が悪くてな。エーリヒが消えて、その手があったか、と」

「どの手だよ……」

 エーリヒが、嫌そうな顔をして呟いたが、アルベルトは全く気にした様子がない。それどころか、眉間に皺を寄せてセラフィナを見た。

「お前が失踪して、俺がどのように言われたのか、知っているのか?」

 アルベルトに言われて、セラフィナは「あ……」と言ったきり黙り込んだ。

 婚約者が突然理由もなく失踪する。アルベルトには、理由を説明できない。直前まで仲が良いと噂されていただけに、醜聞として憶測が飛び交うのは、想像するに難くない。

 セラフィナは、そこまで思い至らなかった自分に気がついた。貴族たちの目に晒されるアルベルトを想像してしまい、申し訳なさに俯いた。

「今までにない、刺激的な経験だったな。哀れみに隠された嘲りや、これ幸いに取り入ろうとする者もいたな。お前を蔑むふりをして、その実俺を蹴落とそうとする輩もいたか」

 アルベルトは、何の表情もなく言ったが、目の奥には激しい怒りが見てとれる。それはセラフィナだけがわかる変化ではあったが、その怒りに思わず背筋が凍りついた。この王子は、自尊心を傷つけられると凶暴化する。その人たちの末路も、想像に難くない。

「そういうわけで、お前を連れ戻そうと必死だった」

 アルベルトはそう言って、肩をすくめて見せた。

「お前を型に嵌めようとして、まんまと仕返しされたわけだ」

 セラフィナは、怒りの矛先が他に向いて良かった、とホッとした。しかし、自分が出奔したことでアルベルトが誹謗中傷の中心になったことを、何でもないこととは思えなかった。セラフィナは、眉を下げて「ごめんなさい」と言ったが、アルベルトは首を振った。

「お互い様だ。気にするな」

 何がお互い様なのかわからず、セラフィナは首を傾げたが、アルベルトはそれ以上何も言わなかった。それを、アルベルトなりの優しさだと思い、セラフィナもこの話をやめることにした。


 いつの間にかテーブルを移っていたカイル、リーゼ、エーリヒは、二人を気にしながら額を突き合わせていた。

「結局、仕事をどうしたのか、聞けなかった」

 エーリヒが言うと、カイルが難しそうな顔をする。

「若いのに、替えの効かない仕事をしていたのか。お前たちの世界も、大変なんだな」

 同情するカイルを、リーゼは否定する。

「いえ、私やエーリヒさんは、普通ですよ。セラフィナさんとアルベルトさんが、特別なんです」

 カイルは、「そうなのか?」と首を傾げた。

「――なんにせよ、アルもこの短期間で変わったよね。あんな風に言うなんてさ」

 エーリヒが、酒を手にしみじみと言った。

「私は、セラフィナさんの言うアルベルトさんしか知りませんから。この中で一番、彼を知っているエーリヒさんが言うのなら、そうなのでしょうね」

 リーゼがエーリヒを見ると、彼は苦笑いで答えた。

「セラの目を通したアルは、酷そうだな」

 ただの無礼者でした、とリーゼが返答して、今度は可哀想な目でアルベルトを見るエーリヒだった。それを見て、カイルが「ははっ」と笑った。

「まあ、アルは最初に会った頃より、柔らかい表情になったよ。それは確かだ」

 カイルの言葉に、エーリヒが「そうだね」と頷き、リーゼが珍しく口の端を上げた。


 皆が寝た頃、カイルは食堂に降りてきた。

「――やっぱり、いたな」

 カウンターで一人酒を飲んでいるエーリヒの横に座る。自分も酒を頼み、口を付けた。

「どうしたんだ?」

 エーリヒの方を見ずに、カイルが彼に話しかけた。エーリヒは黙っているが、カイルは何も言わずに横で酒を飲んでいる。

 しばらくの沈黙の後、ようやくエーリヒが口を開いた。

「――やっぱり、あいつらは特別なんだよね」

 今度は、カイルが口を開けずに沈黙した。

「俺はさ、普通の人生を、普通に生きてきたんだよね。普通に結婚して安定した家庭を築いて、普通に生きていくんだって」

 エーリヒは、まるで、独り言のように続ける。

「でも、セラに会って――彼女が前を向いて生きているのを見て、衝撃を受けたんだ。妥協することなく、未来を見て生きる彼女を、尊敬しているんだ」

 手にした酒をじっと見つめる褐色の瞳は、優しさと、寂しさが混ざっていた。

「彼女の隣に立ちたいって、思ったんだけど……」

 グラスを持つ手に力が入っているのに気づいて、肩からふっと力を抜く。自然と口の端が少し上がった。

「俺は、セラの横に立つような、特別な何かを持っていない」

 エーリヒが言うと、再び沈黙が落ちた。

 カイルが酒を一口飲む。しかし、沈黙は続き、店員も、この空気を察したのか近づいてこない。

「………………何か言って」

 たまりかねたエーリヒが、情けない声でカイルに頼むと、カイルが酒を吹き出しそうになり、口を押さえて咳き込んだ。

「――ひどいやつだな」

 苦しそうに咳き込むカイルを睨みつけて、エーリヒは一気に酒を煽る。

 そこに空かさず店員が歩み寄り、酒を継ぎ足して素早く離れていった。

「――いや、いや、すまんっ!」

 笑いながらのカイルの謝罪は、エーリヒの鋭い視線を止めることができなかった。

「お前も若いなーと思ってさ! すまなかったって!」

 拝むようにエーリヒに手を合わせて、カイルは再度謝った。

「俺にしてみれば、お前も相当すごいやつなんだけどな! 好きな女を追うために安定の未来を捨てて、親兄弟?まで引越しさせたんだろ? しかも、上司を騙くらかして、これが妥協に見えるのかって」

 カイルは、いつの間にか継ぎ足されていた酒を飲んで、笑って言った。

「リーゼは、自分たちのことを普通って言ってたけどな、お前ら全員、バカみたいに行動力あって、常識の範囲外のことしてるからな。しかも、揃って家出してるんじゃ、もう笑うしかないって!」

 エーリヒは、笑うカイルに目を丸くした。何を言っているのか、半分も理解できない。そんなエーリヒの背中を、カイルがバシッと叩いて、エーリヒは思わず「いたっ」と声を上げた。

「俺、いっつもセラ中心なお前の考え方は好きだけどさ、お前は別格、セラは破格だからな。比べる基準が間違ってる」

 よくわからない説明に、エーリヒはぽかんとした。が、すぐに笑みが溢れていた。

「……なんか、よくわからないけど、ありがとう」

 どういたしまして、とカイルがコップを少し上げてニッと笑った。その明るい表情を見て、エーリヒは悩んでいたことがどうでもよくなった気がした。

(つまり、俺は俺、セラはセラってことかな)

 そう考えて、エーリヒは残りの酒を一気に飲み干した。

「じゃあ、明日からは、もう少しセラに意識されるように頑張るかな」

 エーリヒの言葉に、カイルが笑う。

「ほどほどにしておけよ。お前がセラに絡むと、アルが怖いんだ」

「嫌だよ。アルのことは、カイルに任せた。俺は、リーゼをいなすので精一杯なの」

「俺を巻き込むなよ」

「もう巻き込まれているよ」

 皆が寝静まった後の夜の食堂に、笑い声が響いていた。

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