聖都ハルグレイム
翌日の夕方前、聖都ハルグレイムに到着した。途中、野盗には遭遇したが、カイルとエーリヒが難なく返り討ちにした。北で魔物が増えている影響で、こういった連中が南に下ってきているのだろう、というのが、アウル談だった。
荷馬車に揺られながら、セラフィナは悩んでいた。アルベルトとは、お世辞にも仲が良かったとは思えない。セラフィナは、彼女の努力を見ようともせず、できて当たり前だと思っているアルベルトに興味がなかった。そしてアルベルトも、自分に興味を持たないセラフィナが嫌いだったはずだ。だから、いくら仲が良いように取り繕っていても、会話はギスギスしていて、作り物めいていた。日常の会話はもちろんのこと、喧嘩さえも成立しなかった。
それが、昨日の夕食では普通に言葉を交わせていた。決して楽しい話をしていたわけではない。しかし、自然な会話ができていた。それはどうしてなのか。
セラフィナは、荷馬車に揺られながら、ハルグレイムに着くまで腕を組んで考えた。途中、チラリと見たアルベルトと目が合い、咄嗟に逸らしてしまって、少し気まずい思いをした。
それも、ハルグレイムに着いた途端に吹き飛んだ。
聖都ハルグレイムは、穏やかな空気に包まれていた。
灰色の石で舗装された通りの両側には、低くどっしりとした建物が並んでいる。太い丸太と石で作られた壁に、急な三角屋根。窓からは暖かな灯りがこぼれ、人々は笑顔で通りを歩く。
街の中央には、広い石の広場があり、その奥には白い神殿が堂々と建っている。いくつもの尖塔が澄んだ空へ伸び、夕方へと進む空の柔らかい光を受けて輝いていた。
「……すごいわね」
思わずセラフィナが呟く。
茶色と赤と緑の街の中、白く大きな神殿が厳かに鎮座する様に、不思議な安心感を覚える。先ほどまで頭を抱えていた問題も、どこか小さなことのような気がして、セラフィナは、ほっと息を吐いた。
「アウルさん、あれは何?」
エーリヒが、街灯に灯る光を指差した。つられて皆もそちらを向く。
そこには、鉄柱の先に吊るされたガラス灯のようなものに向かい合う、一人の男性がいた。二十代に見える男性は、右手に持ったワンドをガラス灯にかざし、口を動かす。すると、ワンドからオレンジ色の暖かな光が放たれ、するすると上へと登っていく。ガラス灯にたどり着いた光は、まるで毛糸玉が作られていくかのように、その中でクルクルと集まっていく。仄かなオレンジ色の灯火は、その周囲を明るく照らし出した。
「あれって……」
アストレア王国とは明らかに異なる魔法に、セラフィナの瞳が輝いた。氷青の瞳は、次のガラス灯に向かう男性を目で追っている。
「ああ、あれは魔法灯ですよ」
アウルが、何でもないように言う。
「フィヨルラインでは、魔法を使える人はごく限られていますからね。魔法灯があるのは、聖都と王都、あとは港のあるノーヴィクくらいですよ」
「フィヨルラインの魔法ね!」
いうや否や、セラフィナは灯りのついた魔法灯の下に駆け寄る。右へ行ったり左へ行ったり、忙しなく下から覗き込んだ。
「セラフィナさん。落ち着いてください。右から見ても、左から見ても、同じです」
リーゼのツッコミは、セラフィナに届いていない。苦笑したエーリヒがセラフィナに近づき、彼女の肩に手を置いて動きを止める。そのまま、回れ右させてゆっくりと戻ってきた。
「アウル。フィヨルラインで魔法使いが少ないのは、それだけ適性がある者が少ないということか?」
アルベルトが、歩いて戻ってくる二人を眺めながらアウルに尋ねた。彼は頷いて答える。
「そうです。フィヨルラインでは妖精の力を借りて魔法を使います。その力を借りられる人は、一万人に一人と言われています」
「アウレリアの魔法使いの十分の一か。少ないな」
アルベルトの言葉に、アウルは肩をすくめた。
「ええ。しかも、その特性は血縁によりません。妖精の気が進まないこともできない。アウレリア王国の魔法とは、全く別のものですね」
「火を使わずに灯りを灯すなんて、すごい魔法ね。アウレリアの魔法使いにはできないわ」
セラフィナが、興奮気味に戻ってきて言った。
「エーリヒ、よくセラを連れ戻したな。あのまま夜まで待つのかと思ったよ」
カイルが笑いながら言い、エーリヒを労った。それを見たセラフィナがカイルをジロリと睨みつけるが、リーゼに「その通りです」とため息をつかれた。
その時、アウルが手を叩いた。
「さて、皆さん。立ち話も何ですし、まずはギルドへ依頼終了の報告に行きましょう」
アウルがそう言い、カイルが赤くなり始めた空を見上げた。
「そうですね。――日が暮れる前に、ギルドと宿探しを終えてしまおう」
カイルの決定に全員が賛成して、一行はギルドへと向かう。
離れる前に、セラフィナはもう一度オレンジ色の灯りを振り返った。
「――んん?」
セラフィナは、首を捻って魔法灯を凝視する。先ほどと変わらないオレンジ色の球体が、柔らかな光を発している。
(今、灯りが揺れたような気がしたけれど……)
もう少しよく見ようと、セラフィナが魔法灯に一歩近づいた時、くん、と袖が引かれた。
「――どうしたの?」
エーリヒが、優しい目でセラフィナを見ている。
セラフィナは、「今……」と魔法灯を見るが、やはり変わらず灯りが灯るだけだ。エーリヒも同じようにそれを見て、首を傾げた。
「何か気になるの?」
穏やかに問われ、セラフィナは少し考えた。確かに、先ほど灯りが揺れたように見えたが、妖精の魔法はそんなものなのかもしれない。そうだとすれば、皆を待たせておくわけにはいかない。
「何でもないわ。待たせてごめんなさい」
セラフィナが笑顔で言うと、エーリヒは「そう?」と少し探るような目を向けた。それでも、今度はセラフィナがエーリヒの袖を引っ張って歩き出すと、「しょうがないな」と優しい視線をセラフィナに向けた。
ギルドに依頼終了の報告をして、アウルに宿屋を紹介してもらった後、五人はアウルに礼を言い、宿へと入っていった。
「――これは、すごいね」
翌朝、宿を出てからの第一声は、エーリヒの感嘆の声だった。
昨夜から降り続いた雪は、街の姿を一夜で変えてしまっていた。
昨日まで見えていた石畳も屋根も、すべてが雪に覆われている。今も、空からは白い大粒の雪が降り続き、白い神殿の尖塔が、白い空に溶けている。
「宿屋の女将は、一度溶けると言ってたけど、一夜でこれは、すごいな」
旅に慣れているカイルも、驚いている。
「カイルは、フィヨルラインに来たことがあるのではないの?」
セラフィナが、ぎゅっ、ぎゅっと音を立てながら、一歩ずつ丁寧に雪の上を歩いた。片手はリーゼのコートの腰あたりを掴んでいる。
「あるけど、雪がない季節にな。冬は初めてだ」
返事をするカイルの息が白い。
エーリヒは、恐る恐る歩く女性二人を振り返った。二人とも、頭には耳当て、顔は鼻までマフラーで覆い、毛糸の手袋に革製のブーツと、防寒は完璧だ。
「カイル。女性陣を見習って、俺たちもマフラーやら何やら、小物を揃えた方がいいんじゃないかな。特に、靴が滑る」
「……足が冷たい」
エーリヒが、雪の上でバランスをとりながら言い、アルベルトもぼそっと呟く。カイルは、真剣な顔で頷いた。
「主戦力が使い物にならないと、危険だな。今日は買い物をしてからギルド営業所だ。王都に行くのは、明日、天気を見ながらで」
カイルの意見に反対するメンバーは、誰もいなかった。
「あの店員、口は軽そうでしたがアドバイスは的確でしたね」
リーゼが、セラフィナを振り返って言ったのに、セラフィナは大きく頷いた。
「特に、暖か靴下を勧めてくれたのは、素晴らしい提案だったわ。やるわね」
二人は、男性陣の後を追いながら、フィエルヴィクで出会った女性店員を褒めちぎった。
店に入ると、ほんわりと暖かい空気に、全員の固まった背筋が解された。ほっと息を吐き、セラフィナとリーゼは耳当てを取る。店の中は、コートを着ていてちょうど良いくらいに調整されていた。
男性陣は、さっそく店員の男性と防寒具の相談をしている。
「ねえ、これ、エーリヒに似合うのでない?」
セラフィナが、ニヤニヤしながらエーリヒの頭に毛糸の帽子を被せ、直後に後悔した。猫の耳が付いた白い帽子は、もともと爽やかで柔和な顔立ちをした彼の雰囲気を、可愛らしく引き立たせてしまっている。その上、帽子から覗く少し長い焦茶の襟足が、妙に色気を出している。
ふと横を見ると、棚を整理していた店員の女性が、エーリヒを見て頬を染めている。
「……まずいわ。エーリヒがモテる理由を、忘れていたわ」
セラフィナはスッと視線を逸らして、エーリヒからそっと帽子を奪った。
「……俺、今ならセラを落とせるんじゃないかと思う」
「自重してください」
帽子を棚にそっと戻すセラフィナを見ながら、エーリヒは真剣な声で呟いたが、即座にリーゼが止めに入った。
確かに、流れも雰囲気も、今ではないと判断したエーリヒは、セラフィナが戻した帽子を手にとって、そのまま彼女の頭にひょい、と被せた。
「セラの方が、似合うよ」
エーリヒは、蕩けるような瞳でセラフィナを見た。
「……私には、少し大きいわ」
目元まで下がってきた帽子を両手で押さえながら、セラフィナは目だけでエーリヒを見上げた。少し拗ねたような視線を受け、エーリヒは口元を片手で押さえ、視線を逸らした。
「……この破壊力……」
エーリヒが小さく呟く。言葉の意味がわからず、セラフィナは帽子をもう一度棚に戻しながら「は?」と怪訝そうな顔をした。
横で見ていたリーゼが「自爆二人組」と冷静に評価を下し、エーリヒは「ごめん……」と項垂れた。
「……お前ら、真面目に選べよ」
カイルが呆れ顔で言って、アルベルトを指差した。
「アルだってちゃんと選んで……ないな」
アルベルトがイライラした表情でエーリヒを睨んでいるのを見て、カイルがため息をつく。
「ほら、店の迷惑になるから、さっさと選ぶぞ」
呆れ声のカイルの言葉で、防寒具選びは再開したのだった。




