噂話
「――あれは、何かを思いついたな」
急に横から声をかけられて、アルベルトは飛び上がるほど驚いた。
いつからそこにいたのか、隣にはカイルが三人を苦笑いで見ながら立っていた。
「セラがニヤけてるときは、大体変なことを考えてるよな。リーゼはそれを止める気がないし、エーリヒはついて行こうとするし」
カイルの声は呆れながらも、どこか楽しげだ。アルベルトは、カイルを見て首を傾げた。
「あいつは、あんな顔をよくするのか?」
口元を緩めて見たことのない顔をしたセラフィナを指して、アルベルトはカイルに聞くと、カイルは「はは」と笑った。
「美味いものを食ってる時とか、新しい魔法書を手に入れた時とか? 感情がダダ漏れだ。前は違ったのか?」
カイルの問いに、アルベルトは考えた。
セラフィナは、感情を顔に出さない。公爵令嬢として、王子の婚約者として、素直な感情は邪魔になることが多い。
「俺の横に立つのであれば、感情も完璧にコントロールできて当然だ。常に冷静で、感情も表に出さない。それが普通だ」
「そうか……セラは、努力したんだな」
カイルの言葉に、アルベルトは「は?」と顔を上げた。不思議な言葉を聞いたかのような視線を、カイルに投げる。
「おかしなことを言う。あれは、完璧であることが当然の立場の人間だ。当たり前のことを当たり前にする、それの何が努力だ?」
カイルは、アルベルトをじっと見つめ、次にセラフィナに目をやる。もう一度アルベルトに視線を戻した時、深い緑の瞳には優しさがあった。
「お前も、ものすごい努力をしたんだな」
その言葉に、アルベルトは驚いたように目を見開く。
「――なぜ、そう思う?」
「俺は、お前たちの世界のことはよくわからないけどさ」
と、前置きしてからカイルは続けた。
「最初から完璧なやつなんて、いないだろ。お前たちの努力があるから、その『立場』ってやつに立てたんだろ?」
『立場』は先にあるのではない、人の努力に付随して『立場』が確立するのだ、とカイルは言った。
そんなものだろうか、とアルベルトは首を捻る。自分はずっと王子だったし、王子として敬われて当然だと思っていた。それが、自分が努力した結果だったということか。
「努力が先にあるのであれば、努力しなければ認められないと言うことか?」
アルベルトが問い、今度はカイルが「うーん」と首を捻る。
「努力を認めるか、その先の結果を認めるかは人それぞれだと思うが……」
一度言葉を切って考え、アルベルトにニカっと笑う。
「俺は、努力してるやつは、褒められるべきだと思うぞ」
「――そんなものか?」
「そんなもんだ」
そんな話をしているうちに、スカルヴァルグの解体と回収を終えた三人が、意気揚々と戻ってきた。
セラフィナは何かを嬉しそうに話し、リーゼが同意して、エーリヒが呆れた顔で小言を言っている。そこにカイルが合流して、四人は自然に依頼主の元へ向かう。
その光景を見ながら、アルベルトも馬車へと向かった。
街と街との距離が長い道では、途中に旅人が泊まれる程度の小さな宿場村が設置されていることがある。フィヨルライン王国に入ってすぐ、森を抜けたところにあるのが、宿場町ベルンである。
一行は、1軒しかない宿屋の食堂で、先ほど確保したスカルヴァルグの肉を調理してもらった。
「本当に美味しいわ。柔らかいのに、味がしっかりしているのね」
セラフィナは、お行儀よく肉を口に入れながら、幸せそうな表情で言った。
「そうでしょうとも」
満足げに話すのは、依頼主のアウルだ。四十代も半ばの商人は、魔物との戦闘の時とは打って変わって、落ち着いた雰囲気だ。
「スカルヴァルグの肉は、その辺の家畜よりも質が良い。息子も大好きなんですよ」
「息子さんは、おいくつですか?」
エーリヒが問うと、アウルは恥ずかしそうに頭を掻く。
「皆さんと、そう変わりはないですよ。いや、そう思うと、私は息子ほどの年頃の方達に助けられたのですね。歳をとったものです」
「息子さんは、何をしているんです?」
カイルが興味深げに聞いた。
「嬉しいことに、私の仕事を継ぐと言ってくれて。今は北の地方を任せています」
「へえ。それはすごい! 良い仕事をされているんですね」
カイルの言葉に、アウルは嬉しそうに笑顔になった。
「そうであれば、ありがたい話です」
「ここに、親の仕事から逃げた人が一人いますね」
静かに言うリーゼを、セラフィナが睨んだ。
「間違えないで。逃げたのではないわ。戦略的撤退よ」
「テオドール様をご自分の後任に推薦されたのも、セラフィナさんでしたね」
「もちろんよ。飛ぶ鳥跡を濁さず、よ」
「そこに、濁されて追いかけてきた人たちがいますよ」
「うるさいわね」
リーゼとセラフィナが、いつも通り言い合いを始めた横で、エーリヒが首を傾げた。
「セラは、たまに面白い言い回しをするよね。的を得ているけれど、聞いたことがない」
セラフィナは、中途半端に前世の記憶があるものだから、咄嗟にあちらの言葉が出てくることがある。こちらとでは使われない言葉も多く、さてどう説明しようかと首を捻った。
その姿を見て、エーリヒの表情が緩む。
「不思議なところも、また魅力なんだよね」
「――え、なんて?」
セラフィナが聞き返すと、「だから」とエーリヒが蕩けた視線を送る。
「君が好きだってこと」
「え? 好きって……えっ?」
セラフィナは、エーリヒの急な展開についていけない。手にしていたフォークをポロリと落とした。
その横では、アルベルトがガタリと音をさせて立ち上がり、エーリヒを睨みつける。
「おい、エーリヒ。お前、何を言っているのか、わかっているのか」
「今に始まったことじゃないよ。ね、リーゼ」
「そうですね。でも、なぜ今ここで言ったのですか? この後の混乱が目に浮かびます」
話を振られたリーゼは、主人と違って冷静だ。
「え、だって。今言う流れだったでしょ?」
全く悪びれないエーリヒの様子に、今度はカイルがため息をつく。
「わかった、わかった。とにかく、アルも座れよ。落ち着け」
そう言って、今にも噛みつきそうな視線でエーリヒを睨んでいるアルベルトの腕を掴んで座らせた。そして、状況が把握できずに固まっているセラフィナに声をかけた。
「セラ。今のは忘れていいからな」
セラフィナは、ハッと顔をあげてカイルを見て、「そ、そうよね」と言った。
「好きって、あれよね。仲間だし、当然よね。急に言うから、びっくりしたわ」
自分に言い聞かせるように、顎に指を置いてぶつぶつと呟いた。
「あーあ、ひどいなあ。せっかく可愛い顔が見れたのに」
エーリヒは、セラフィナを見てくすくすと笑い、アルベルトがそんなエーリヒを睨み続ける。ため息をついてから、チラリとセラフィナを伺い見たカイルを見て、リーゼが僅かに目を見開いた。
そんな五人の様子を見ていたアウルは、「若いですなあ」と楽しそうに笑いながら、杯を傾けた。
「息子も、旅先でこうやって、仲間と騒いでいるのかもしれませんね」
「北の地方を任せていると、言っていましたよね」
カイルが思い出したように言うと、アウルが「ええ」と頷いた。
「ちょうど先日、息子から手紙が届きましてね。その忠告に従って、護衛を雇ったわけです」
「忠告、ですか」
カイルが聞き返す。
「ええ。北の方で、魔物が増えているとか。範囲が広がっているようだから、気をつけろと」
アウルの話に、エーリヒが眉を寄せた。
「魔物が増えているって……本当ですか?」
さて、とアウルは答える。
「私は、これから北に帰るところですのでね。けれども、息子の話では、最北の森から出てくる魔物が、明らかに多いと。商人が襲われることも増えているようです。ダンジョンも、危険で閉じてしまったところがあるとか」
テーブルが、重い空気に包まれた。
セラフィナは、思い出していた。そういえば、魔王は健在だった、と。魔王軍――つまり魔物の軍勢は、刻一刻と人の居住地を脅かしているはずだ。悪役令嬢の断罪撃はゲームの中盤。無事攻略対象たちを仲間にした主人公は、恋あり試練ありの旅の末に、大陸の東側に陣取った魔王を倒すはずだが――
(今、ゲームでいえば、どの辺りの時期かしら?)
断罪が終わってから魔王を倒すまで、どのくらいの期間があったのか、セラフィナはわからない。村や町を回ったり、ダンジョンに潜ったりしてレベル上げをしたのは覚えているが、時間経過は曖昧だったはずだ。
「なんでも、その原因が――」
セラフィナが考えている間にも、アウルは話し続ける。
「魔王の仕業じゃないかっていうのが、専らの噂だとか」
一行のテーブルだけが、シン、と静まり返った。周りの客の話し声が、嫌に大きく聞こえてくる。いつもは場を混ぜ返すリーゼでさえ、この場では真剣な表情で何かを考えていた。
だが、セラフィナの頭の中だけは、全く別の方向へ全力で回転していた。
主人公の攻略失敗が、ここに来て影を落としている。魔王を倒すグループ、物語的に言うならば勇者一行が、集まっていないのだ。主人公は畑を耕しているだろうし、王子は全く関係のない冒険者グループに紛れている。魔法使いも騎士志望も、アストレア王国で絶賛勤務中。隣国の王太子に至っては、誰それ状態。
(――何やってるのよ、主人公!?)
セラフィナは、頭を抱えた。魔王を倒す役が見つからない。やはり、主人公を探し出すべきか、と真剣に悩んでいた。
夜、セラフィナは珍しく外で月を眺めていた。
いつもは、リーゼと共に早々に部屋に引っ込んで、たぶんリーゼよりも早く寝る。夜更かしをするのは、大抵の場合、ベッドの中で読書が止まらない時だ。
そっと宿を抜け出したセラフィナは、宿屋の裏にあったベンチに座った。
千年もの間、人類と魔王の関係は変わらない。しかし、ここに来て魔王の勢力がじわじわと人類の生活圏を脅かし始めている。だから、人類の存続のために、主人公が必要だったはずだ。しかし、主人公は、いない。
(――これって、人類詰んだってやつよねえ)
セラフィナは、ため息をついた。吐く息が、白く夜空に消えていく様を見ながら考えた。
そもそも、魔王だとか人類だとかは、個人がなんとかできることではない。自分たちは、旅を続け、そこに魔物がいれば倒すだけだ。
(お父様に、お手紙くらいは書いておこうかしら)
そう考えて、改めて月を見た。
恐ろしく澄んだ空に、三日月が淡く輝いている。空に散らばる無数の星も、アストレア王国で見た時よりも数が多いように思える。
「――きれいねえ……」
そう呟いたとき、吐いた息の向こうで月の光が反射した。




