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お休みの日

 セラフィナは、ルーヴェンの一角を一人で歩いていた。

 ボノの村の依頼を終了し、他にもいくつか軽い依頼を受けたら、ランクがDにあがった。ルーヴェンに来て、かれこれ三ヶ月。そろそろ場所を移動しようかしら、と思いながら、寒さに早歩きになる。

 向かった先は、セラフィナがまだ行ったことがない、小さな本屋だった。

 ガラスのドアを開けると、カラン、とドアベルが鳴る。奥に座る白髪の男性が、セラフィナに少し目をやり、すぐに机の上の分厚い本に視線を戻した。

 店には他に誰もいない。セラフィナは構わず入り、本棚を見て回った。

 セラフィナは、紙の匂いが好きだった。いつか、本に埋もれて一年くらい生活してみたいと思っている。

 本棚の一冊が目に入り、開いてみた。とても興味深い内容に、つい夢中になったセラフィナは、ドアベルが鳴ったことにも気が付かなかった。

 キリの良いところまで読んで、セラフィナはハッとした。この本は、まだ買っていない。

 とりあえず、読んでいた本を閉じて、別の本棚に目をやると、そこにも気になるタイトルがあり、セラフィナは手を伸ばす。

 残念ながら、セラフィナの身長では、本の下端に指先がかかるだけだった。

 足踏み台を持ってくるのも面倒で、セラフィナは精一杯背伸びをした。

(――もうとょっと……なんだけどっ)

 本が指に引っかかり、コトン、コトンと手前にズレる。

 何度目かの努力で出てきた本を取り出そうとしたが、セラフィナの手をすり抜けて落下する。

「――あ……っ!」

 反射的に受け止めようとして、勢いよく手を伸ばした瞬間。

 ――ゴツッ!

 目の前にチカチカと光が舞い、尻餅をついた。

「――いにゃーい……っ」

 あまりの痛さに、舌がもつれてよくわからない単語が出た。セラフィナは、目に涙を溜めて両手で額を押さえた。

 クラクラする頭で、何とか落とした本を目で探すと、誰かの手の中にあるのが見えてほっとした。視界は変わらず滲んでいるが、薄暗い本屋の中で金の光が眩しかった。

 本が無事なことを確認したセラフィナは、今度は何が起こったのかを考えた。

 落っことした本を受け止めようとしたら、額に激しい衝撃があって、尻餅をついた。現在、本屋の床で座り込み中だ。

(……私は、何にぶつかったの?)

 潤んだ氷青の瞳を上に上げると、見事な碧眼と目が合った。その碧眼は大きく見開かれ、整った顔には困惑の色が明らかだった。セラフィナは、この顔を知っている。

「……え……殿下?」

 そこには、片手で額を押さえてしゃがみ込んでいる元婚約者がいた。

「……お前、何をしている」

 不機嫌なアルベルトの声に、痛む額をさすりながらセラフィナは考えた。

 ――これは、逃げるべきか、と。

 王子を騙して婚約を無かったことにし、貴族社会を出奔して、今、偶然とはいえ頭突きをしたのだ。普通に考えて犯罪者。ここで、セラフィナの心は決まった。

 何も言わずにすっくと立ち上がり、手に持った本を購入した。店員のお爺さんは、何も見ていないように普通に会計をしてくれた。よし、店を出よう、とドアに向かう。

 ――腕を掴まれた。アルベルトに。

「……どこへ行く」

 さらに不機嫌な声がした。

 腕を掴まれては、さすがに逃げられない。セラフィナは、仕方なくアルベルトの方を向いた。

「………………どなたかは存じませんが――」

「知っているだろう」

 誤魔化せなかった。

「………………頭を打って、記憶が――」

「先ほど、認識していなかったか?」

 やはりダメだった。

 セラフィナは、諦めてため息をついた。

「……お店のご迷惑になります。場所を変えましょう」

 その提案で、二人は小さな本屋を後にした。


 細い路地に逸れて、二人は向かい合った。

 人の気配が遠い。

 セラフィナは魔法使い、アルベルトは品のいいお金持ちといった格好で、側から見ると身分違いの密会のように見えるが、雰囲気はそれではない。アルベルトはセラフィナを睨み、セラフィナは無表情で相手を見つめている。

「戻るんだ。今すぐに」

 アルベルトが強く、静かに言った。

「どこに、ですか?」

 セラフィナも、静かに問い返す。

「アーヴァイン公爵家に、だ。お前は、俺の婚約者だ」

 その言葉に、セラフィナはクスリと笑った。

「おかしなことを。私は、平民ですよ。婚約者のはずがありません」

 公爵令嬢の顔をしたセラフィナには、先ほどの本屋の時のような隙がない。アルベルトは、ぎりっと奥歯を鳴らし、セラフィナの右腕を掴んだ。

「命令だ。お前は、俺と一緒に戻るんだ」

 強い力で腕を掴まれ、セラフィナは少しだけ表情を変えるが、すぐに涼しい顔に戻った。

「私は平民です。貴族ならともかく、平民に殿下の命令を聞く義務はございません」

「――何だと?」

 キッパリと言い放った言葉に、アルベルトに怒気が滲む。

「王族や貴族は、平民に平和と安全を約束する立場です。本人の意思を無視した命令を下す権限を持ちません」

 アルベルトの手に力が入る。セラフィナは、腕の痛みを気にせず、はっきりと言い切った。

「殿下、お引き取りください。私は、関係ありません」

 言い終わると同時に、セラフィナはアルベルトに腕を引かれた。力に負けて一歩、アルベルトに近づく。二人の顔の距離が縮まり、お互いに鋭い視線で睨み合った。

「――お前は、俺と結婚する」

「あなたは、私のことをお嫌いでしょう」

「お前は、俺のものだ」

「それで? あなたに惹かれない私に、当てつけをしますか?」

「俺は王族だ」

「それが、何ですか」

「お前は、俺を王族として敬い、羨望すべきだ」

 セラフィナは、会話に疲れたと言うように、ため息をついた。

「誰を敬い、誰を羨望するかは、その人次第です。それは、他者評価でしかありません。王族であるならばこうである、といった一定の評価は、ございませんよ」

 セラフィナは、一歩、アルベルトから離れた。いまだに離されない腕のために、この距離が精一杯だ。

「――では、どうすれば、お前は俺を見るのだ」

 アルベルトは、苦しそうな表情で言った。セラフィナは、それを意外そうに見た。自分が何を言ったとしても、自尊心の塊のこの王子には、届かないと思っていたのだ。

「俺は、――」

「――セラ? どうしたんだ?」

 セラフィナが振り向くと、大通りの方からカイルが歩いてくるところだった。

「あら、カイル。お買い物は、終わったの?」

 カイルが笑顔で近づいてくるので、セラフィナも自然に笑顔になった。

 横では、アルベルトが彼女の腕を掴んだまま、驚いた表情になる。

「いや、まだ見て回ってるところ。誰? 知り合い?」

 セラフィナは、カイルに「昔のね」と返事をして、アルベルトに向かい直った。

「もういいですか? 私、今日は、やりたいことがあるのです」

 アルベルトに向ける顔は、公爵令嬢そのものだった。アルベルトは、複雑そうな表情をして一瞬迷った後、セラフィナの右腕を離す。セラフィナは、また一歩、アルベルトから距離を置いた。

「それから、その本。よければ買います。勢いで買っていらっしゃったでしょう?」

 先ほどの本屋を出る時に、セラフィナが落とした本を、アルベルトが購入したのだ。きっと、手に持っていた勢いだと思い、セラフィナは購入を申し出た。

 すると、アルベルトは、少し困った顔をした。

「いや、これは、お前が必死でとっていたから、欲しいのかと……」

 そう言って、本を差し出した。

「お前にやる」

「は……でも……」

 セラフィナは、もちろんその本が欲しかったが、受け取るのを躊躇った。破滅の未来を憂えて逃げてきた相手から贈り物を受け取るのには、気が引ける。

 考えていると、カイルが近づいてきた。

「そう言ってるんだし、礼を言って受け取ればいいんじゃないか?」

 カイルがそう言うと、セラフィナは困った顔でカイルを見たが、すぐに素直に頷いた。

「そうね。――ありがとうございます」

 言って、アルベルトが差し出した本に触れる。が、アルベルトは、本を離さなかった。

 本を間に、沈黙が落ちる。

「……あの……?」

 セラフィナは、本に触れた手をどうしていいか分からず、アルベルトに声をかけた。

「――その男には、素直に従うのだな。俺の話は拒むくせに」

「……はい?」

 セラフィナは、アルベルトが何を言っているのか分からず、聞き返した。

 アルベルトは、今度はカイルを睨みつける。

「お前は何だ?」

 急に話を振られたが、カイルは動じないどころか、セラフィナの腕を優しくつかみ、彼女を引き寄せた。セラフィナの手が、自然に本から離れる。

「俺は、セラの仲間だ」

 アルベルトを睨み返した後、セラフィナに笑いかけた。

「セラ、もう行こう。行きたいところがあるんだろ? 付き合うよ」

「本当? 私、本屋さんをまわりたいのよ!」

 セラフィナは、ぱっと笑顔になり、それを見たカイルも穏やかな笑顔を返した。そのまま、二人で大通りに向かって歩くと、アルベルトが後ろから鋭い声を出した。

「――おい、待て!」

 振り返る二人に、ずんずんと近づいてきたアルベルトは、セラフィナに勢いよく本を差し出した。セラフィナは、反射的にそれを受け取った。

「お前にやると、言っている。それから、お前!」

 眉を吊り上げてカイルを見た。

「セラフィナは、俺の婚約者だ。軽々しく触れるな」

「“元”婚約者です」

「だとしても、だ。俺が一緒に行くから、お前はどけろ」

「――何だと?」

 アルベルトの勝手な言い分に、さすがのカイル表情も変わる。セラフィナの前に出て、アルベルトと対峙した。

 その様子に、セラフィナの顔色が変わる。

 セラフィナはともかく、カイルが一国の王子に喧嘩を売るのは、まずい。いや、売ったのはアルベルトか?――どちらでもいい。不敬罪なんてものはないが、アルベルトが手を回せば、カイルの首なんて簡単に飛んでしまうだろう。

「二人とも! 意地を張った私が悪かったわ。でん……本を、ありがとうございます。カイル、私、今日は一人でまわるわ。ほら、行きましょう」

 セラフィナは、カイルの背中をぎゅうぎゅうと押して、大通りの方へ向けた。

「え、え? セラ?」

 カイルは、戸惑いながらもセラフィナに押されるままに歩き出す。

 二人の背中を見て、アルベルトは拳を強く握った。

 ぐっと奥歯を噛み締めて、背中を睨みつけると、「待て!」と言って、二人を追いかけた。

(私は、あなたと離れたいだけなんだけれどもー!?)

 セラフィナは、一向に離れないアルベルトに、心の中で叫び声をあげた。

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