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風魔法?

 マッドボアの巣は、高い崖に沿って広がっているが、今は周囲三十メートルほどを、セラフィナ結界に囲まれている。崖の上から次々と放たれる攻撃から距離を置こうと、マッドボアたちは走り出すが、見えない壁に阻まれてゴン、ゴン、と跳ね返る。

 それでも、崖から離れると木々に囲まれるため、上空からの攻撃は間隔が空く。マッドボアたちは、次々に木々の間に紛れ込んでいった。

 そこへ、エーリヒとリーゼが音もなく駆け込んだ。

 エーリヒは、目についた一頭を横凪に切り伏した。その一撃で、大きなイノシシの姿をした魔物に、存在を悟られる。

 マッドボアの一頭が、エーリヒに向かって牙を振り上げる。

 エーリヒは横へ滑り込み、すれ違いざまに胴を薙ぐ。そのまま次の魔物へ駆け出すが、横からマッドボアが突進する。地を震わす突進は、リーゼの低い一振りによって脚薙がれ、体勢を崩された。リーゼは、そのままの勢いでマッドボアの心臓を貫いた。

 崖下では上空から一方的な攻撃が、木々に隠れれば圧倒的な斬撃が待ち受けており、マッドボアの群れは少しずつ、確実に数を減らしていく。

 リーゼの目の前で、巨大イノシシが、何か重いものに押しつぶされるように地に伏した。その大きな身体を飛び越える瞬間に、横から牙を剥いて向かってきた魔物は、カイルの魔法矢によって頭を貫かれた。それを気にすることなく、リーゼは突進するマッドボアを躱しながら背中に一撃を与えた。攻撃を受けて激怒したマッドボアが飛ばす石礫を横跳びに避けると同時に、それはエーリヒによって切り伏せられた。

 マッドボアの石礫は、攻撃範囲が広く、近接攻撃が主体の二人には不利な攻撃だ。石礫を飛ばす前に、マッドボアは一瞬力を貯める。その瞬間を突けば良いが、数が多いとそれもままならない。しかし、石礫の体勢に入った瞬間に、セラフィナかカイルによって邪魔されるため、エーリヒとリーゼへの攻撃は、ほとんどが単純な突進攻撃だった。

「エーリヒさん、エーリヒさん、なんだかおかしくないですか?」

 突進してくる巨体を避けざまに切りつけながら、リーゼがエーリヒに話しかけた。

「何がおかしいって?」

 エーリヒは、目の前を通り過ぎるマッドボアを薙ぎ払いながら答えた。

「セラフィナさんの魔法、風魔法ですか?」

 リーゼが軽く跳び上がると、その下をマッドボアが通り過ぎる。

 それをエーリヒが迎え撃ちつつ、返答する。

「風魔法だと……っ 思うんだけど……ねっ!」

 牙を剣で受け止め、受け流してから胴へ一撃を打ち込む。青白い光の粒を舞わせながら、剣を返して首を落とした。

「風魔法って、強い風で、突き飛ばすとか……っ! 吹っ飛ばす、とか――っ!」

 言いながら、リーゼが、両手で剣を持ちマッドボアの牙を割る。牙を失くした魔物は、怒って石礫を放つ、その瞬間。出現した何十もの石礫は、強い力で地面に引き寄せられるように垂直に落ちていく。一瞬遅れて、横から近づいたエーリヒに、マッドボアの首が切り落とされた。

 二人の呼吸と、倒れた巨体が軋む音だけが残った。

「――まあ、少なくとも、これではないよね」

 エーリヒが周りを見渡す限りは、生きている魔物はいないように見えた。

「全部仕留めましたかね」

「さあ……二人が来ればわかるんだけどね。マッドボアを解体しながら、少し待とうか」

 崖の上から移動するのには、時間がかかる。先ほど見た時、崖の上に二人の姿はなかった。最後の攻撃の後に移動したのだろう、とエーリヒが考えた時、セラフィナの声がした。

「二人とも、ご苦労様」

 エーリヒとリーゼが声のした方向を見ると、澄ました顔のセラフィナと、疲れた顔のカイルがいた。

「セラフィナさんとカイルさんも、ご苦労様です。もう魔物はいませんか?」

 リーゼは、とりあえず大切なことを確認する。

「ああ、完了だ。さっき、結界も解いた」

「では、ここの片付けをして終了だね」

 エーリヒの言葉で、四人はマッドボアの解体を始めた。

 牙を落としながら、リーゼがセラフィナに問いかける。

「セラフィナさん、いつの間に降りてきていたのですか? 最後の攻撃は、セラフィナさんの魔法ですよね?」

 そうよ、と答えるセラフィナは、魔法でマッドボアを解体している。

「途中から、私たちもこっちにいたのよ。マッドボアが木の間に逃げてしまって、狙えなくってね。気がついていなかった?」

「途中から、カイルの狙撃がなかったから、どうしたのかなとは思っていたんだけどね」

 エーリヒがそう言ってカイルを見ると、カイルはため息混じりに返事をした。

「うん、セラのフォローにまわってた」

 言ってから、セラフィナを恨めしそうに見る。

「セラが急に落ちるもんだから……」

「落ちたのではなくて、降りたのよ」

「だからって、何の説明もなく人の腕引っ掴んで落ちるか?」

「だから、降りたんだってば」

 言い合う二人を、エーリヒが止めた。

「ちょっと待って。聞き逃せないんだけど? 落ちたって、何?」

 エーリヒは、手を止めて二人を見た。

 リーゼも作業を中断して、「やらかした感……」と呟いている。

 降りたのよ、となおも言い募るセラフィナを無視して、エーリヒはカイルに目を向ける。

「マッドボアが木の下に潜ったから、二人をフォローするために下に移動しようとしたんだ。そうしたら、セラが俺の腕を掴んで崖から飛び降りた」

 カイルが、暗い声で言い、エーリヒがセラフィナを呆れた目で見やる。リーゼは、横で頭を抱えた。

「俺も、ギリギリに立ってたから、踏ん張れなくて。で、今に至る」

 カイルがもう一度ため息をついた。

「落ちたって言うけれど、ちゃんと減速したじゃない」

「先に言ってから落ちてくれ。心臓に悪い」

「……それはそうね。ごめんなさい」

「セラは、何か思いついたときは、一言伝えた方がいいな」

「カイルがそう言うなら、そうするわ。今回は、これが一番早いと思ったのよ」

「確かに早かったな」

「そうでしょう?」

 ふふふ、ははは、と、セラフィナとカイルの間に穏やかな空気が流れたが、リーゼが常識を引っ張り出してきた。

「カイルさん、セラフィナさんに呑まれてはいけません。エーリヒさんも、しっかりしてください。結論がおかしいです。まず、同意なく落ちてはいけません」

 リーゼの意見に、エーリヒがはっとした。

「すまない。理解の度を超えていた」

 言って、一度深呼吸をする。

「セラは、相手への説明が、いちいち抜けるんだよね。セラのことは信じているけれど、相手が納得していないことは、してはいけない」

 セラフィナの目を真っ直ぐに見て、エーリヒは言った。

 セラフィナは、褐色の瞳を見つめ返して考えた。カイルは、納得していなかったのか――飛び降りる前に一言も発していないのだから、納得も何もない。セラフィナは、そこに思い当たった。

 カイルに向き直って、少し視線を下げる。

「……ごめんなさい。次は許可をとります」

 カイルは少し驚いてから、優しく笑ってセラフィナ頭を撫でた。

「うん。『一緒に落ちよう!』とか、声くらいかけろよ。付き合うからさ」

 笑いながら言うカイルに、セラフィナはくすりと笑った。

 エーリヒは「まあ、セラだしね」と言い、リーゼはまた頭を抱えた。


 その後しばらく、四人は黙々と解体作業を続けた。

 昼近くになって、それもひと段落したとき、エーリヒがセラフィナに尋ねた。

「それで、セラの魔法は何だったの?」

 聞かれたセラフィナは、何のことかわからず、「え?」と聞き返した。

 エーリヒの言葉を説明したのは、リーゼだった。

「何でも地面に縛りつけてしまう、あの魔法です」

 セラフィナは、ああ、と思い出したように言った。

「たぶん、あれも風魔法なのよ」

「たぶん?」

 エーリヒが首を傾げる。

「俺が知っている風魔法とは、ずいぶん見た目が違っていたけど。たぶんってことは、セラもよくわかっていないの?」

 そうではなくてね、とセラフィナが続けた。

「水晶の洞窟で見つけた魔法書に、音魔法っていうのが載っていたの。音魔法っていうのは、ここにある空気そのものを動かすことができるの。風魔法は、音魔法から派生したのね」

 三人は首を捻った。セラフィナの説明に、全くついていけない。しかし、セラフィナは説明を続ける。

「空気を振動させるということは、熱にも関係するわよね。魔法というのは最初は一つで、人間が理解しやすいように派生させていったのかもしれないわね。現代魔法と古代魔法は似て非なるものだ、と言われているけれど、使ってみるとそんなことはないとわかるわ。もしかして、未だに解明されていない魔法具の仕掛けも、古代魔法で解明できるかもしれないわね。この魔法拡張鞄とか?」

 しばしの沈黙が流れる。風がそよそよと吹いて、木の葉が音を立てた。

 今度は、セラフィナが首を傾げる。

「……聞いているの?」

 セラフィナに問われ、カイルとエーリヒはすっと目を逸らす。

「すみません。全く理解できませんでした。それで、何でしたっけ?」

 リーゼだけは、素直にセラフィナに報告した。

「私は魔法が使えませんので、手短にお願いします」

 考えることを放棄したリーゼは、淡々と事実を述べた。

 セラフィナは、ええ、と不満げな声をあげてからスタッフを取り出した。

「今回やっていたのは、上向きの気流を打ち消したのと、空気だけじゃ物足りないから、魔力で空気ぎゅっと圧縮してから――」

 斜め上を向いていたスタッフの先を、スッと下に軽く降ろす。

 地面がゴボッと音を立てた。

「上から空気圧で押さえつけたのよ」

 ぬかるんだ道を人が踏んだ後のように、十センチほど地面が沈んでいる。

「……上から空気で押さえつけた?」

 リーゼが反復すると、セラフィナは満足そうに頷いた。

「そう。つまり、重力みたいなものね。……あら? 重力って、理論書か何かで読んだ言葉だったかしら?」

 言ってから首を傾げるセラフィナを、三人は遠巻きに見た。

「なあ、セラの頭の中って、どうなってるんだ?」

 カイルがエーリヒにこそっと尋ねる。

「俺も今、それを考えていたところ」

 エーリヒは、唸るように言った。

 目の前では、セラフィナが「重力って、地面に引っ張る力よね。何で重力って知っているのかしら?」とぶつぶつ呟き、それをリーゼが訝しげな目で見ていた。


 マッドボアの肉を村に全て渡すと、その肉で宴会が開かれた。四人は、村人たちと楽しい夕食の場を過ごし、翌日の昼前には村を離れた。

「カイルさん、疲れた顔をしていますが、眠れませんでしたか」

 帰路を歩きながら、珍しくリーゼがカイルを気遣った。

「いや、寝たんだけどさ。昨日の気疲れが取れないというか……」

「気疲れすることがありましたっけ?」

 リーゼが首を傾げたが、カイルが深いため息をついた。

「セラを囲む若者を蹴散らすエーリヒ。そのエーリヒにまとわりつく女子。男の子と一緒になって静かに騒ぐリーゼ。子供に言われて訳のわからない魔法を使い出すセラ……挙句に、村長の娘を嫁に? 何のことだよ」

 カイルの言葉に、エーリヒが反論した。

「あの子たちは、俺が呼んだわけじゃないよ?」

「カイル、あの魔法はね、空気を振動させることで音を作っていたのよ。まだ同時に三音しか出せないのだけれど……」

 セラフィナは、魔法の説明を始める。

「二人とも……何か違う……」

 どっと疲れたカイルの背を、リーゼがさすった。

「カイルさん、村長さんの娘さん、きれいでしたね。本当にお断りしても良かったのですか?」

「リーゼも、何か違うから……」

 徒歩での帰路は、カイルだけが疲労感に苛まれることになった。

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