20.宝物
リーズ公爵家───
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
王宮魔導士の仕事はそこそこ忙しい。研究に没頭してしまうと、それこそ平気で徹夜をしてしまう。
自身の裁量で区切りをつけて、切り上げれば良い時の方が圧倒的に多いのだけれど、ついもう少し、もう少しと続けてしまい、気付けば遅い時間の帰宅になってしまう。
主人もそういう人。
「今日、フレイヤは夜会に行っているんだっけ?」
「ええ。綺麗に着飾って、レオン様にエスコートされて出掛けましたよ」
私は主人と同じ部署ではあるものの、こうやってフレイヤの予定に合わせて早く仕事を切り上げて帰ることが多い。娘が一生懸命に着飾って、頬を染めながら、胸を高鳴らせて出掛けていくのを見送るのは、母親として楽しかったりする。初々しいカップルの今後を楽しみに思う。
たった1人の娘。
大事な宝物。
夕食も終わり、夫婦2人でゆったりと過ごす。フレイヤが帰ってくるまでは、まだ時間がある。
「はい!コールド・ドリンク、カクテルだよ」
地球の文化が好きな彼は、地球で新しく発案されたお酒を振る舞ってくれた。
少し口に含んで飲んでみる。
「うん……美味しいかな。結構強いのね」
「うん!美味しいね!これはウィスキーを使ってるからね。普段飲み慣れないと強く感じるかな」
とても楽しそうに飲んでいる。新しいものが好きなんだろうなと思う。
でも飲み過ぎて酔うと面倒なので、一杯だけにして貰いたい。
飲み終わったグラスをさっさと片付けて貰う。彼は名残惜しそうに持っていかれるシェイカーを見ているけれど、私が笑顔で返すと何かを悟ってくれた。犬の様な人。決して本当には無いのだけれど、犬の耳がペタンとしているような表情をしている。なんなら尻尾もペタンと地に伏しているように見えるから不思議。
この間、フレイヤが婚約したときだって、飲み過ぎて面倒だったんだもの。
私の笑顔に弱い彼は、我慢するように私の肩を抱く。飲みたいのは分かるけれど、我慢して欲しいのだ。願い通りにしてくれた彼に、私は満足の笑顔を向ける。
その時、目の前に強い光が現れた。眩しくて目を閉じる。光が治まって目を開けると、フレイヤが立っていた。
「えっ!フレイヤ!?転移してきたのか?」
「どうしたの?貴女、夜会は?」
唖然とフレイヤを見ながらも声を掛けるが、無言で何も喋らない。俯いて表情がよく見えない。
何かがあったのだろう。
フレイヤに近付く。
「何があったの?」
顔を上げて目が合った。でも、その目からは涙が流れていた。
「……おかあさま」
抱きついてきて、そのまま嗚咽を漏らしながら泣き出した。
抱き締め返してやりながら、背を撫でてあげた。
レオン様にエスコートされて、恥ずかしがりながら出掛けていった娘。帰りも送って貰って来る筈だった。少し早い1人での帰宅。
私の宝物に何があったの?
◇◇◇
プブル卿にキスをされそうになった時、レオン様に言われたことを思い出した。
『また怖い目にあったら俺のところに転移しておいで』
素早く詠唱して、ただただレオン様を思い浮かべた。
眩しくて目を閉じていたけれど、いつものレオン様の爽やかで心地よい匂いがして、驚いたような声もして、ああ、レオン様のところに転移して逃げてこられたんだって分かった。
みっともなく縋ってしまったけれど、優しく抱き締めてくれた。温かい、安心する場所。
でも、突然ご令嬢の叫び声がした。
私はもしかしてホールのど真ん中にでも転移して、夜会の迷惑になるようなことをしたのではと不安になって顔を上げて振り返った。
「違うんです!私…私、急にレオン様に襲われて……」
襲われた?
怯えているピンク色のドレスを着たご令嬢が1人。
しかも、この声って……
ずっと、私に悪意ある言葉を言っていた声だ。
辺りを見渡す。
ここはホールじゃなかった。何処かの部屋だ。
レオン様とこのご令嬢は2人っきりで、ここに?
『彼は浮気はしないの?』
プブル卿の言っていたことが頭の中でぐるぐると回る。
『兄と同じで遊んでたりしないの?』
そんなこと、ない。
『君に隠れて浮気してるかもよ?』
違う。
『おかしいなって思ったことないの?』
……分からない。
『今も、他の女性が隣にいるかもしれないよ?』
信じたいのに、どうして?
どうして他の女性と2人っきりでいるの?
「ど……して……」
涙が目に溜まってしまい、レオン様の顔が滲んで表情が分からない。
頭が混乱して、整理できない。
何も考えられない。
ここから、逃げたい。
ここに居たくない。
転移魔法の呪文を唱え、私は転移した。




