小話-ベルック公爵家の本-
「舞台のチケット、お前にやるよ」
日勤が終わり残務を片付け邸に帰って部屋で着替えていたら、兄が部屋に入ってきた。
最近は忙しさも落ち着き、帰れない日が減り、家族がまだ起きている時間にこうして帰って来れるようになった。
「兄さんは行かないのか?」
「俺はいい。これはショーンが持ってきたんだ」
「ショーン?」
騎士服を脱ぎシャツを羽織っていると、まさかの友人の名が出てきた。
「今日邸に来た」
「何しに邸へ?」
「俺を訪ねて」
「兄さんを?」
兄とショーンが繋がっていることにまず驚き、シャツのボタンを留める手が止まり兄を見る。何処でそうなったのだろう。
「この間夜会で会った時に話し掛けられてな、頼みがあるから時間を取って欲しいと言われ、今日来てもらった」
「頼み?ショーンが兄さんに?」
ショーンとは基礎科の頃からの付き合いだが、兄とは顔は合わすが親しい関係では無かった筈。俺ではなく兄に頼みとは何だろう。公爵家に対してなら俺を訪ねる筈だ。そうでは無く兄自身に対しての頼みということなのか。
「性行為のテクニックを教えて欲しいと言われた」
ぶふっ!
何も飲んでなければ何も食べていないのに吹いてしまった。
いやいやいやいや!
おいおいおいおい!
ショーンは誰に聞いてんだよ!
思わず頭を抱えてしまう。
「何で……」
「あいつ、娼婦から情報を貰おうと抱いたのに失敗したそうだ。ああいう女は気持ち良くさせてやらないと何も話さないからな」
失敗って……。
ショーンは情報屋になったらしいが、そんなこともしていたのか。というか、やらざるをえなくなったのか。好んでやっているのか……。
兄は未亡人との噂が多いが、恐らくお互いが情報の為に近寄っているのだろうな。そしてその手練手管を教えて貰おうとショーンは近づいたのかもしれない。
こんなところで師弟関係が出来上がるとは。
「……それで、教えたのかよ」
「教えるって言っても、見せて実演なんて出来ないから、お前に渡していた本を渡してやった」
「は!?」
まてまてまてまて!
俺に渡していた本!?
それは、つまり、俺が18歳の誕生日に兄から渡された男女の営みの指南書か!?
「渡した!?もう渡したのか!?」
「ああ。渡した」
「えっ!何で、場所、知って……」
「お前は大事なものは机の一番上の引き出しに入れる性格だし、そこにあるだろうと思ったらその通りそこにあったから」
「勝手に開けるなよ!」
「別に見られて困るようなものなんて無いだろ?」
この家にはプライバシーというものが無いのか!?
フレイヤとキスしてても構わず乱入してくる家族。
この兄に至っては、馬車の時も、舞踏会の夜の時も良いところで勝手に入って来たし。「俺は厳しく言うつもりは無い」とか言って寛容な態度を見せながらも邪魔をするんだ。
「渡す前に俺の許可を取れよ!」
「今報告してるだろ?」
「事後報告じゃなくて事前に聞けよ!」
何でこんなにも俺に対する扱いが雑なんだ?この家族は皆俺に対してそうだ。
「お前、もう見たんじゃないのか?」
「そういう問題じゃなくて……」
「実践の前に予習でもしたかったか?」
「実践とか予習とか止めろ!」
「それとも復習か?」
「だから止めろって!」
兄が笑っている。俺をからかって楽しんでいやがる。腹立つな……。
「返して欲しかったら自分でショーンに頼んでくれ。このチケットはその礼なんだ」
そこまで言ってチケットをチェストの上に置いて部屋を出ていった。
まだ見たいからでは無い。記憶力は良い方だ。もう覚えたし……いや、それは良くて!
勝手に引き出しを開けられたことと、何処に仕舞っていたかを一発で見抜かれたこと、それにあれを見ていたというのをショーンに知られたのがショックなのだ!絶対にショーンは俺をからかってくるだろう。絶対だ!!
着替えも中途半端な状態なのに、両手を机について項垂れ、暫く動けなかった。
数日後────。
「レオン────!!!」
騎士団のエドワード殿下に割り当てられている部屋に入って直ぐに賑やかな声で名を呼ばれた。
会いたくなかったあいつだ。
「あれはマジで凄いぞ!」
嫌な予感しかしない。なんだこのハイテンション。
とりあえず無視して殿下の机の上に預かってきた書類や資料をどさどさと載せる。
殿下はちょっと嫌そうな顔をする。やらなければならない仕事に囲まれ、良い気分にはならないだろうなと同情はしても、代わりにやろうとは決して思わない。
「何でショーンがここにいるんだ?」
騎士団の隊員ならまだしも、部外者のこいつが殿下の部屋のソファに堂々と座っているのが不思議でならない。
「殿下に頼まれていた案件の調査報告だ」
「こんな堂々と?騎士団に普通に入ってこの部屋にも普通に出入りしていたらお前に情報を渡す人間は居なくなるんじゃないか?」
「殿下とアカデミーの同期で仲が良かった時点でそんなこと分かりきっていたさ。それでも情報を流してくれる人間はいるものだよ」
そうですか。
「で、何が凄いんだ?」
殿下が俺が反らした話題を戻してしまう。
「さっき報告したアストゥリア前公爵の違法賭博の件、娼婦から情報を得るのに性行為で満足させなければいけなくて、でも俺は全然駄目で、レオンの兄貴に教えを乞いに行ったんですよ」
「エミリオに?」
「そうです!そしたら男女の営みの指南書を渡されて、その本の通りにしたら娼婦の乱れようが凄くて!ベルック公爵家にこんな本が隠されていたのかと驚きでしたよ!」
隠してはないだろ。
何の躊躇いもなく兄はショーンに渡したんだから。
と言うか、騎士団の殿下の部屋で何て話をしてんだよ!
「レオンもその本見てるんだろ?そんでもってお前らはまだなんだろ?あれは凄いぞ!フレイヤちゃんとの初夜が盛り上がること間違い無しだ!」
こんな話を聞かされて、額を押さえたくなるのも仕方ない。この興奮、聞かされているこちらは反対に褪めてしまうことがこいつには分からないのだろうか。
「お前な、俺達はまだ仕事中だぞ」
「私も見たい」
「はい???」
殿下の予想だにしない言葉に呆気に取られ、聞き返してしまった。
「いいですよ!って言うか、今日持ってきてますので渡しますよ!」
ショーンが鞄を漁って出てきた本は、俺がよく知る、ついこの間まで俺の引き出しの中にあった指南書だ。
「何てもん持ってきてんだよ!ここに入る前に手荷物検査無かったのかよ!」
「検査は問題なく通ったぞ」
こういうのは手荷物検査に引っ掛からないのか!どうなっている、騎士団!?
「何を殿下に見せようとしてんだよ!」
殿下が本を受け取るのを横から奪う。
「何だ。私は駄目なのか?」
「こんな俗本、駄目でしょ!?」
「お前は良いのに?」
「そうだぞ。別に公爵家の本なんだし殿下が見たって良いだろ?」
「何か嫌なんだよ!」
「そこまで言われると余計に見たくなる」
そんなとこで好奇心を持たないで欲しい!
「貴方は駄目です!」
「何で駄目なんだよ?」
「……これをカリナにとか考えると、兄として何か嫌だ」
「は?何言ってんの?お前はフレイヤちゃんにするのにか?」
「フレイヤには良くてカリナには駄目とか意味分からん」
「…………」
「お前にとってカリナは大事でフレイヤはそうではないのか?」
「…………」
「渡せ」
もはや命令形ではないか。そんなに見たいか、これが。
渋々本を差し出す。
「言っておきますけど、それ見ると婚約期間が余計に長く感じますからね」
やっと手に入れた本に満足そうにしている殿下に少しだけ嫌みを言ってやる。
「俺はあと数ヵ月で結婚しますけど、殿下はまだいつ結婚出来るか分からないですからね。大変ですねぇ。あとその仕事、アリーチェ王女殿下から今日中にって言われてますから、よろしくお願いします」
満足そうだった顔がムスッとした不機嫌顔に変わった。
そこへノックの音が聞こえた。
返事をして入ってきたのはアルロだ。
「失礼します……って、ショーン?」
何だ今日は。何故このメンバーが揃うのだ。
「よお!アルロ、久しぶり!」
「何でお前が居るんだ?」
「報告だ。あと殿下に本を渡しに」
もともと渡すつもりだったのか!?殿下が興味を持つことを見越して持ってきてたのか!?
「本?」
「ベルック公爵家秘蔵の男女の営みの指南書」
「秘蔵じゃない!」
「じゃあ、秘伝か?」
「秘伝でもない!」
奥義か!?タレか!?
「何だそれ!?気になる!……ってもしや、ショーン……お前……もう卒業したのか!?」
「童貞か?卒業したぞ」
「なに───!?くそっ!羨ましい!俺も彼女が欲しい!」
「こいつの相手は彼女じゃなく、娼婦だぞ」
「娼婦でも良いじゃないですか、殿下。俺が一番乗りでしたね!」
「うわっ!レオンももうすぐ結婚するし、俺が一番最後になるかも……でも殿下はまだまだか。ああ、でも俺も早く卒業したい!俺も娼館行こうかな……あ、殿下、俺にもその本見せてください!」
こいつらは仕事場で何の話で盛り上がってんだ!?
さらに数日後────。
バンッ!!!とノックも無しに騎士団のエドワード殿下の部屋の扉を勢いよく開け放して入ってきたのはアリーチェ王女殿下。
言葉もなく凄い殺気を放ち、護衛として付いている者達が萎縮してしまっている。その者達に部屋から出ていくよう静かに指示する。その静かさに怖さを感じる。そして部屋にアリーチェ殿下とエドワード殿下と俺の3人だけになる。
何かは分からないが、エドワード殿下とこれはヤバいと悟り、頭を下げる心の準備をする。
「エドワード……」
いつもより低いトーンだ。
「はい」
「貴方……お父様に本を渡したわね」
本!?
嫌な予感がする。
「はい」
「その本、ローラが見つけてしまったのよ」
「げっ」
エドワード殿下から今まで聞いたことが無かったような声が聞こえた。
10歳のローラ殿下に見られてしまったことにそんな反応をするということは、嫌な予感の通りの本である可能性が高くなる。
「私が怒っている理由、分かったかしら?」
「それ、私が怒られる話ですか?父上がローラに見つけられてしまうようなところに置いておくのがいけないのでは?」
「あんな俗本を国王陛下に渡すな!」
「ベルック公爵家秘蔵の書だって言ったら父上がどうしても見たいって言うので」
うわっ!完全に巻き添えにされた!
そして秘蔵じゃないって言ってるのに!
「レオン」
「はい……」
殺気が俺に向けられているけれど、顔など上げられる筈もない。
「貴方、エドワードに何を渡してるのよ」
「自分ではありません。兄がショーンに渡して、ショーンがエドワード殿下に渡したのです。自分は反対をしました」
隣のエドワード殿下から視線を感じたが、俺は事実を言っているだけだ。
「エ~ミ~リ~オ~!」
余計に王家とベルック公爵家の仲が悪くなったかもしれない。
「あれは没収よ!!」
言葉と共に熱風が勢いよく当たる。火傷しそうな温度に慌てて防御魔法を掛ける。
アリーチェ殿下は部屋を出てバアン!!!と勢いよく扉を閉めて去っていった。
熱風によって部屋中に撒き散らされた書類の、所々焦げたところを治癒魔法で直しながら回収する。
「すまん。没収された」
はぁと溜め息が出る。
「だから駄目だって言ったじゃないですか」
「アルロに渡せなくなったな」
「そんなことどうでもいいですよ」
邸に帰ったらこの話を兄や父にしなければならないだろう。そして母にも伝わるだろう。
いや、アリーチェ殿下のことだ。先に母に伝えてしまうかもしれない。
遠い目になってしまうのも仕方がない。
「姉上はあんなことを言って、自分が結婚したら婚約者と楽しむつもりなんじゃないか?」
それ、貴方以外の方が言ったら不敬罪になるって!
ベルック公爵邸────。
母に何を言われるか、どんな仕打ちをされるかビクビクしながら帰宅したのに、全く怒っていなかった。
「アリーチェ王女殿下は何で怒っているのかしら?まあ、ローラ王女殿下に見つかってしまうようなところに置いておいた陛下は駄目だと思うんだけど、あんな本くらいどうってことないわよね?殿下はまだ乙女だからかしら」
母のこの反応に唖然としてしまう。
肩透かしもいいとこだ。
「あの本はベルック公爵家のもので、私も結婚してから見せてもらったものだ。ベルック公爵家は愛に対して真っ直ぐだからな。愛情を確め合う行為を追求した結果生まれた本らしい。何も恥ずかしいことでも怒るようなことでもないと思うが」
父までもこんな反応だ。
「だからアリーチェ王女殿下に、結婚されたらお二人でご覧になって素敵な時間を過ごしてくださいってお返事したのよ」
……アリーチェ殿下は一体どんな反応をしただろうか。
「本なら他にもあるから、レオンも結婚する前に勉強しておきなさい。没収された本は基礎編よ。応用編も大事よ」
本当に……
本当にこの家の教育法はどうなっているんだ!?
お粗末さまでした。




