34.オキシペタルム
「この公園の森の向こうはアカデミーの湖だったな」
どのくらい散歩をしたのか分からない頃、大きな木が混生している公園の横を通った。
「そうなのですか?」
「ああ。アカデミーの湖の対岸に面している」
アカデミーに通って6年目で初めて知った。私は王都のことをよく知らない。方向音痴なところもあるからかもしれないけれど。
「……見に行きたいです」
「えっ、今から?アカデミーの湖だよ?」
「アカデミーの湖も暫く行ってないのです」
もうレオン様も卒業をしてしまって、行っても居ないから足も向かない。授業が忙しいのもあるけれど、魔法レッスン場にも行かなくなってしまった。
「でも、遅くなってしまう。少しだけの約束だっただろう?」
「駄目……ですか?」
思い出が沢山ある場所だ。2人で行きたい。対岸だけど。
「……分かったよ。でも、ここに寄ったらもう帰るからね」
困ったような表情を浮かべながらも許してくれた。
林の中を馬に乗って進む。広い公園で、大きな木が何本も生えている。殆どの木が落葉樹なので枝がむき出しに空に向かって伸びている。葉が無いので月が綺麗に見えた。馬が落ち葉の上をサクサクと音を立てながら歩いて行き、暫くすると月の光に照らされキラキラと光る水面が見えてきた。
「綺麗……」
少し風があるせいか、湖に波が立ち、その波紋一つ一つを月が照らす。それによって作られる月の路はゆらゆらと揺れ、迷っているように見える。
気持ちが揺れてばかりいて、決断できない私と同じ。我が儘を言って時間を延ばしている。
レオン様は馬から降りると、私も降ろしてくださった。馬を近くの木に留めるのを見届けてから、やっと口を開く。
「レオン様は、私を避けていらっしゃいますか?」
結局直球だ。
レオン様はびくりとして止まる。そして驚いたまま無言だ。否定をしない。
「私に……呆れましたか?それとも、両親みたいに怒っていますか?」
逃げたくなくて、逃したくもなくて、真っ直ぐにレオン様を見つめて問い掛ける。
レオン様は観念したように溜め息をつく。
「……怒って、いた。確かに怒っていたし、君の手を離した自分に対しての怒りもあった」
「私が離れたのです。レオン様がご自身を責める必要はありません」
レオン様が首を振る。
「君がどんな思いで俺の部屋に転移してきたのか理解しようともせず、ただ君を求めた。喜び浮かれてな。馬鹿な男だろう」
「私が……そう仕向けたのです。理由を問い詰められたくなくて」
「でも、君が俺から離れる決断をした理由は、俺が弱いからだろう」
「えっ……」
「テオドールが始まりの魔女と俺の命を守る為だと言っていた。俺ではテオドールには敵わないのだと───」
「違います!もう、あんな……貴方が目覚めないなんてことがまた起きたら、私は耐えられない!貴方が怪我をするのも見たくない!貴方を失いたくなかっただけ……」
「俺は弱いのだと思い知ったんだ。君を守るどころか、君に守られて、君を追い詰めてしまった」
「違います……いつも、守られているのは私の方で……」
「テオドールとの戦いの時、君に助けられた。その前の広場での時も君の刺繍に助けられたし、意識を失った時も君に魔力を貰い目覚めた。君に助けられてばかりだ」
レオン様の方こそ、私にシールドを張ってくださって、火の玉の攻撃を受けた時はテオドールに剣撃を与え助けてくださった。
何より、テオドールに襲われた時に転移して来てくださった。
それだけじゃない。ドルバック伯爵に連れ去られ放火された時も助けに来てくださったし、私が魔力膨張を起こした時も助けてくださった。
私の方が助けて貰ってばかりなのに。
なのに……どうして……。
「駄目なのですか?貴方が助けてくださるように、私も貴方の役に立ちたい。私が助けられることがあるのなら助けたい。それは、駄目なのですか?」
「……分かっているんだ。俺のつまらないプライドなのだろう。驕りがあったんだ。俺が命を掛けても君を守ると……反対に守られるなんて、俺は本当に馬鹿で情けない男だ。俺では君に……ふさわしくないのかもしれない」
ふさわしくない……?
それは自信が持てない私が、多くの令嬢が憧れる存在のレオン様に対していつも感じていたことだ。
この方はもしかして自信を無くしているのだろうか。
いつもぐずぐずと自分の情けなさを嘆いていた私に、レオン様は優しい言葉で励まし認めて肯定してくださった。どんな時も、好きだと言って私が自信を持てるようにしてくださった。
この方の為に今、私が掛けられる言葉は何だろう。
「貴方は私に言ってくださいました。自分が好きな人が自分にとってのふさわしい人だと。貴方が馬鹿でも情けなくてもどんなでも私はレオン様が好きです!貴方の理論で言うなら私にふさわしい人はレオン様だけです!」
「フレイヤ……」
「離れていても貴方のことばかり考えてた……会いたくて、会いたくて、貴方の瞳に映りたくて、抱き締めて貰いたくて……」
自信を持ってもらえるような言葉を言いたいのに、私では何も思い付かない。レオン様への気持ちばかりが溢れて言葉になる。
「貴方が、好きなんです……レオン様が、好き」
気がつけばボロボロと泣いていた。
単純な言葉しか出てこない。どう言えばこの気持ちを伝えられるのだろう。上手く言葉に出来なくてもどかしい。
「離れたくない。失いたくない。側に、いたい。ふさわしくないなんて、言わないで……」
駄々をこねる子どもみたいに泣きじゃくりながら、涙で見えない前を見ることを諦め、両手で涙を拭い続けた。
こんな姿を見せたら余計に心が離れてしまうのではないか。そう思っても一度溢れた涙は止まりそうもない。
そんな私を優しく抱き締めてくれたのは、やっぱりレオン様だ。
「泣かないで。俺は、君の涙には弱いんだ」
抱き締めてくださるなら、ずっと泣いていたい。
「ごめん。泣かせて、ごめん」
「……避けないで。貴方に避けられるのは……辛い」
「ごめん……。俺が君にふさわしくないと思っても、どうしても君を手離すことなんか出来なくて、他の男に奪われるのも嫌で、結論を出せずに話をするのも怖くて君を避けたんだ」
優しく頭を撫でながら抱き締めてくださる温もりに図々しいくらいに縋る。
「でも、君の愛の言葉の前では、俺のプライドなんてしょうもないものだと分かったよ」
耳を擽るような囁きが心地好いのに、体を離されてしまう。縋るように見たら両手を握られた。
向けてくださる顔が月明かりに照らされ、ドキッとする程真剣で格好良い。
「君がどんな俺でも好きだと言ってくれるのなら、俺は君に永遠の愛を、今日の綺麗な月の下に誓う」
そして握られた両手に花束が現れた。魔法で出したのだろう。青い5枚の花弁の可愛らしい小さな花だ。1本の茎に幾つかついている花が、月の輝きを受けて浮かび上がっているように優しく光彩を放っている。
「正式に君に求婚をする。俺と、結婚して欲しい」
婚約をしてから結婚はその先にある当たり前のものだと思っていた。だからこんな風に求婚を受けるとは思ってもみなかった。
驚きで涙が止まった。
驚きと喜びから来る緊張で手が震えてしまうけれど、きちんと応えなければと思い、花束から一番綺麗に咲いている一輪を抜き出し、レオン様の騎士服の胸ポケットに差した。
「はい」
求婚を承諾した私の頬を優しく撫でながら美しい笑顔を見せてくださる。この笑顔を見ると素敵過ぎて恥ずかしくなっていたのに、今日は嬉しくて仕方がない。
「君を愛している」
その美しい顔がゆっくり近づいて唇が触れる。
優しいキスだった。
離れがたい気持ちはあるけれど、もうさすがに遅い時間なので帰らなくてはならない。レオン様は明日も騎士団に行かなくてはならないし。
転移魔法で帰るよう言われたけれど、もう少し一緒に居たくて我が儘を言って馬で送って貰うことにした。
どこかぎこちない2人だった行きとは正反対に、帰りは目が合う度にキスをしてくださった。馬に乗りながらなのに器用だ。馬も安定感が凄い。本当に気遣いの出来る賢い馬だ。
「あれ……?ここ……」
急に真顔になったレオン様。
「どうかされました?」
片手を手綱から離し私の髪を掻き分け首に触れる。
「この痕……俺のじゃないよね」
はっとする。
レオン様が撫でているのは、おそらくテオドールに上書きされたキスマークがあるところだろう。
「俺のがこんなに濃く残ってるわけないよね」
「えっと……その……」
「……テオドール?」
「……はい。でもっ、これだけですよ!?他は何もされませんでしたからねっ!」
ちょっと必死に弁解をしてしまう。
「……あいつ、抹殺する」
抹殺!?
「物騒じゃないですか!?捕えた者に勝手に危害を加えたら何か咎めを受けるのではないですか!?」
「構わない」
「駄目ですよ!?半年後に結婚式が出来なくなるのは嫌ですよ!?」
真顔は変わらないけれど、考えを改めたのか物騒なことは言わなくなった。その代わり私の首に手を当て、治癒魔法を掛ける。
「隠滅した」
そして同じところに強く吸い付く。
「ひゃっ……!」
冬の冷たい空気のせいか冷たくなった唇が首に当たり、ゾクゾクとして大袈裟な反応をしてしまった。
「可愛い反応だ。拐ってしまいたくなる」
すっかり元通りのご様子。
「駄目ですよ」
「舞踏会の夜はフレイヤから誘ってきたのに」
「あれはっ……その……必要に迫られて……」
「可愛かった。また誘われたい」
「もうっ!からかわないでください!」
だって、一時でも大好きな人のものになりたいと思ったのだ。それを心の支えに生きていこうと。
そこでふと思い出した。
「……もしかして、50年前の第一王子の婚約者の方も、結婚する前に本当に好きな人のものになりたかったのでしょうか」
「婚約者が?」
「恋人がいたのでしょう?いけないことだと分かっていても、想いを断ち切る為に好きな人に愛されていたという事実と思い出が欲しかったのかもしれません」
「その思い出で終わらせる筈の行為で子どもが出来てしまったと?」
「私の想像ですけど。王家に嫁ぐのは純潔でないといけないと分かっていても、王妃になる身なのに身勝手な行動であると理解していようとも、それだけどうしようもないくらいに恋人のことが好きだったら……私もレオン様に1度で良いから愛されたいと思ったんです。だから、気持ちが分かる気がするんです」
言い終わった瞬間に後ろから強く抱き締められてしまった。
「レオン様?お花が潰れてしまいます……」
レオン様から頂いた求婚の花束。青いお花が可愛いのにレオン様の腕で潰されそうになり、さっと回された腕からずらす。
「可愛いことを言わないでくれ。抑えられない。もう俺の部屋に転移しよう」
「!?、あのっ……、それは……」
「大丈夫。今日はちゃんと鍵を閉めるし防音魔法も掛けるから」
「だっ……駄目です!」
「大丈夫。もう責任をとる準備は出来ている」
責任をとる準備って、何!?
「駄目ですってば!」
こんなやりとりをしながら、何とかリーズ公爵邸まで送って貰い、何だかんだおやすみの挨拶をしてちゃんと別れた。
邸に変化は無さそうで、私が抜け出したこともバレていないようで安心した。
花束を枕元に生けて、レオン様からの美しい月の下での求婚を思い出してはドキドキしながら、優しく温かい眠りについた。




