18.一変
「この小さな袋は何?」
「あ……」
夜になり、翌日からアカデミーに行かなければならないのもあり、今夜はリーズ公爵邸に帰ることにした。両親にもかなり心配を掛けてしまっている。きちんと報告もしなければならないだろう。
レオン様の部屋に置かせて頂いていた私物を取りに行ったら、寝台の横のナイトテーブルの上に置いていた袋をレオン様が見つけてしまった。
あの日に買った髪紐が入った袋。
私にとっては後悔の塊だ。そんなものを渡して良いか悩む。レオン様だって貰ったところで嫌なことを思い出す物でしかないだろう。持って帰って引き出しの奥にでも仕舞ってしまおうか。
「それも、持って帰ります」
「何が入ってるの?」
聞かれてしまった。何と答えたら良いだろう。嘘は苦手だ。
ナイトテーブルになんて置いておかなければ良かった。上着のポケットにでも仕舞っておけば良かった。後悔しても遅いけれど。
私、また後悔している……。
何も答えられず沈黙してしまったのが怪しかったのか、じっと見つめられてしまう。綺麗な琥珀色の瞳は全てを見透かしてしまうようで、こんな時は怖くて目を逸らすように俯いてしまう。
俯いた視線の先に袋を差し出された。
「言いたくないことを聞いてしまってすまなかった」
謝るのは、むしろ、私なのに。
出しっぱなしにしないで仕舞ってしまえば良かったのに。
そもそも買いになんて行かなければ良かったのに。
友人の誘いに乗らなければ良かったのに。
会えない寂しさでウジウジしていたから、レオン様のことを考えながらプレゼントを選ぶ方がずっと良いだろうと思ったのに、結局生んだものは後悔だった。
差し出された袋を両手で受け取る。
「ごめんなさい……」
「どうしてフレイヤが謝るの?謝ることは何もないよ」
ふるふると首を振る。
そう言えば私はレオン様に助けていただいたお礼も、迷惑を掛けたお詫びも何も伝えていなかった。なんて無作法だろう。
レオン様から離れられない不安をただぶつけていただけではないか。我が儘を押し付けていた。
「これを……あの日、これを買いに行っていたんです。レオン様にプレゼントしたくて、買いに行ったんです。なのに、あんなことになってしまって。私が買い物に出掛けなければ、レオン様が眠ってしまうことも無かったのに……ごめんなさい!ごめんなさいっ!私が余計なことをしなければっ……」
袋を持っている手を丸ごと大きな手で包み込まれる。
「俺が貰って良いの?」
「これは、私にとって後悔を思い出させたり、自分の情けなさを痛感させられる物でしかないので……そんなものをお渡し出来ないです……」
「俺にとっては、君がずっと側で看病してくれたことや、君のキスで目覚めることが出来たことを思い出せる大事な物になるよ」
そんな大事なものになんて……ならない。
「でも……」
「駄目。欲しい」
え?
だ……駄目?
欲しい……?
「あの……」
「何か分からないけれど、俺にくれようとしてフレイヤが選んでくれた物なんでしょ?なら欲しい」
「えっと……」
「て言うか、もう俺の物だよね」
どういう解釈したの!?
私が困惑している間にパッと私の手から袋を取り上げてしまい、あっという間にガサゴソと袋を開けてしまった。
「これは……紐?」
レオン様の手に、悩みに悩みやっと決断して購入した紺色の革製の髪紐が渡ってしまった。なかなか決められず相当な時間を掛けて選んだのに、結局は無難に紺色。
「……髪紐です。最近、レオン様、髪が長いので」
よく考えればレオン様は散髪する時間が無いから髪が伸びてしまっただけで、短く切ろうと思っていたのなら貰ったところで扱いに困るものではないだろうか。
そういう確認もせず思い付きのように購入してしまった。
……やっぱり後悔しか生まない。
「あの、やっぱり返し──」
ふわりとあっという間に抱き締められる。
「返さないよ。もう俺のだ。大切に使う。本当に嬉しい。ありがとう」
そんな優しい声で囁かれたら、何も言えなくなる。
「髪、長いの好き?」
ドキッとする。そんなこと聞かないで。恥ずかしいのに。
「長いのも短いのも、どちらも素敵です……」
耳元で小さく笑っている。
「じゃあ、暫く伸ばしていよう」
それは……つまり……暫く使ってくださるということだろうか。
こめかみや額にキスをされる。瞳の視線を一度合わせると、唇にもキスをされた。
私は結局、レオン様の優しさに包まれてしまった。
転移魔法を使って1週間ぶりに邸に戻った。
お父様もお母様もお仕事から既に帰宅されていて、抱き締めて迎えてくれた。
ちょっと、帰宅時間が遅かったかもしれない。レオン様と離れがたく、少し……いや、だいぶすがり付いてしまっていたから。
着替えを侍女のイネスに手伝って貰っている時に、首回りの幾つかのキスマークを当たり前だが見つけられてしまった。
「レオン様は眠られていたのではないのですか?」
「……ええ」
「眠っている方がどうやってこんなにも付けられるのですか?」
「……目覚めて、から」
「目覚めたのは今朝と聞いていますが?」
「……その通り」
「今日1日何をされていたのです?」
「もう!何もしてないから!それ以上聞かないでっ!」
「ちゃんと貞操は守られたのですか?」
ズバリ聞いてくるのは、さすがイネス……。
「守ってます……!」
結構危なかったかもしれないけれど。私は夢だと思っていたし。
イネスに隅々まで念入りにチェックされる。もう、恥ずかしい!
確かに数が凄いから心配にもなるのかもしれない。これまでの悪戯心で1つ付けられていたのとは違う。いかにも肌を求められていたように見える。
あの朝の時間を思い出すだけで体の奥が疼く感覚がする。
温かな寝台の上。指を絡ませ離れないように繋いで、沢山の気持ちの良いキスをして、肌が熱くなったあの快楽の瞬間。
寝る支度をして部屋に1人になると、今朝の熱を分かち合うような触れ合いが頭に浮かび、顔が赤くなるのを感じる。両手で頬に触れれば、熱いのが分かる。
あんなのを経験してしまったら、余計に夜が寂しくなる。
その時、冷たい風をぶわっと感じた。
顔を上げると、バルコニーに人がいた。柵の上に座っている。大きな窓が開けられ、白いレースのカーテンがなびいていた。
昨年、ドルバック伯爵が侵入してきたのもこの窓だった。
また……だ……
体が小刻みに震え出し、声が出ない。
「やあ」
もう2度と会いたくなんて、なかったのに。
どうして、ここにいるの?
なんでここに入れたの?
「君の婚約者、生き残ったね」
あの時、困惑して何も出来なかった自分を悔やんだ。
なのに、今も体が動かない。
どうして私はこうなの?
「君、まだ何も知らないんでしょ?」
邸の中にいるお父様やお母様に伝えなきゃと思うのに、声も出ない。
何かの魔法でも掛けられたように、視線を固定され、足も縫いつけられたように感じる。
「たぶん、もうじき教えて貰えるよ」
……何を?誰から?
「それと、私からも1つ教えてあげる」
何故か喉がカラカラだ。唾液をゴクリと飲み込むけれど、違和感は拭うことが出来ない。いつまでも張り付いているようだ。
「この間、どうしてあの広場に君がいることを私が知っていたと思う?」
え?
つけていたんじゃないの?
「ずっと君のことを尾行していたんじゃないよ?私がお願いしたからだよ」
……お願い?誰に……?
「君のお友達に、あそこに連れてきてってね」
エレナと、レベッカに……?
「2人には強めに催眠魔法を掛けてある。アカデミーの他の学生の催眠魔法はもう君の婚約者に解かれてしまったけれど、2人のは知られないようにしているから、まだ催眠魔法に掛かったまま。つまり、2人は私の言う通りに動いてしまうんだ」
そんな……
「とりあえず、今日私がここに来たことは誰にも言わないでね。破ったらどうなるか、分かるよね?」
とても綺麗な顔で寒気を感じる笑顔をしている。
「あまり長居をすると君の母親に魔力を勘づかれそうだから、今日はこのくらいで。またね~」
それだけ言って、スッと上に飛んで姿が見えなくなった。
エレナとレベッカに催眠魔法?
2人は私にとってアカデミーに入って最初に出来た友人で、私がソフィア様の家系と知っても普通の友人として接してくれて、2人が憧れていたレオン様と婚約しても変わらず友人で居てくれた。
そんな大切な友人を、私は知らず知らずの内に巻き添えにしてしまっていたんだ。
私自身がテオドールにこんなにも追い詰められているのは何故なのかも分からない。
足に力が入らず、床に座り込んでしまう。
窓からは冷たい風が吹き込んできて体が冷えていく。
体がずっと震えているのは、寒いからか、それとも恐怖を感じているからか。
動けない私を遠くから眺めて嘲笑っているかのように、魔法で勝手に窓が閉まった。
ベルック公爵家でレオン様の優しさに包まれて安心していたのはほんの数時間前なのに、今はまた混乱して、自分が情けなくて、罪悪感で押し潰されそうだ。




