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からみ糸 ―深川つみびと物語―  作者: 優木悠
第八章 雪の瀬音

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八の三

 御用聞き勇蔵の家の居間で長火鉢の前に秀之介が座って煙草を詰めていると、勇蔵は額を畳に叩きつけんばかりの勢いで頭をさげた。

「申し訳もありません、柿沼の旦那」

「そういきなり謝られても、こっちも困る。いったい何事だ」

秀之介は火を着けた煙管を口から離した。

「浪人高木金五郎を見失いました」

「なんだって」


 高木金五郎の住む長屋の部屋の、(はす)向かいにある空家に陣取って、勇蔵の手下達は監視をしていた。金五郎に気付かれぬようにしていたわけでもない。むしろ監視の存在を認識させることによって、金五郎の動きを抑制しようとしたのだ。


「その時長屋に詰めていたのは仙太でしたが、別に目を離したわけでもないのに、いつの間にか姿を消していたそうです。人気(ひとけ)が感じられないものだから、ついにくたばったかと仙太は高木の家を覘いたそうですが、姿が見えず、そのうち帰って来るだろうと待っていても帰ってこない」

「裏から逃げたんじゃねえのか。そっちの見張りはどうした」

「あそこの長屋は裏の戸を開けてもすぐに塀ですからね。猫でもなければ通り抜けられませんぜ」

「仙太の目を盗むなんぞ、相手が一枚上手だったってこったな。で、行方はまったくかい」

「へい、どうにも掴めませんで」


「こりゃあ、策を変える必要があるな」

「とおっしゃいますと?」

「見張るのは、高木じゃなくて、狙われている方にするのさ」


秀之介は煙管を吸った。苦いだけの煙が肺を満たすのだった。



 秀之介は本所の屋敷から出てきた大沢巧馬(おおさわ たくま)におもむろに近づいた。

「大沢殿ですな。南町奉行所同心柿沼と申します」

 大沢はじろりと秀之介を一瞥しただけで、足を止めもせずに歩いて行く。秀之介は並んで歩いた。大沢は上背があり、秀之介も背は高い方だが、それでも顔を見ようとすると顎が上がる。


「あなた、お命を狙われているのをご存じですかな」

「俺が?」狙われていると聞いて不安が(きざ)したのだろう、大沢が答えた。「何故俺が狙われねばならん」


 とぼけているという様子でもなく、この若侍は自分のこれまでの行いが世間から恨まれているという自覚がないようだ。


「長井殿、疋田殿はすでに殺害されております、次はあなたの番です」

「長井は自害、疋田は酔って川に落ちたのであろう。もっとも両家とも体裁を気にして隠蔽したようだが」

「それは表向きの事です。おふたりとも命を奪われたのです」

「誰に?」

「とある浪人にです」


「なぜ俺達が次々に狙われるのか?」

「あなた達は、以前町人の娘を(かどわ)かし、欲望の限りを尽くし、命を奪った。その報復です」

「俺達が、娘を拐かしただと?とんだ濡れ衣だな。あれは娘を俺達が楽しませてやったんだ」

「まだ男の手も握ったことすらない十四の子供がですか?あなたのその言はただの陳弁にすぎません。もしくは娘が命の危険を感じそう(よそお)ったんです」

「それに、あの娘は勝手に川に飛び込んで死んだんだから俺に非はない」

「あなた方に追われ、逃げ場が無くなって致し方なく飛び込んだんでしょう。見ていた者もいるんですよ」

「知らん知らん」


「死んだ娘にそう言えますか。心を病んで自害した娘の父親にそう言えますか」

「おぬしはいったい誰を責めておるのだ。責めねばならぬのは、俺の命を狙っている凶徒であろう」


「あなたに自覚はないようですが、あなた達は相当町の者達から恨まれています」

「け、侍が庶人を虐げるのは世の道理と言う物だ。身分序列は絶対の秩序だ。上に立つ者が下の者をどうしようと、それは上に立つ者の胸三寸次第ではないか」


 秀之介は大沢の勝手な言い分を聞いているうちに、だんだんと腹が立ってきたが、込み上げて来る怒りを無理に押さえつけた。


「あなたがどう思っておられようが、恨まれているものは恨まれているのです。ご用心なさい。できれば外出はお控えください」

「不浄役人の分際で俺に指図するのか」

「外出をやめる気がないのでしたら、ご不快ではございましょうが、ここは我慢していただき、ぜひ、我らに護衛させていただきたいのです」

「いらん。意趣返しだか仇討ちだか知らんが、来るなら来い。返り討ちにしてくれる」

 勝手に殺されろ、と喉元まで出かかったが、秀之介は言葉を呑み込んだ。

「でしたら、密かに守らせていただきます」

「無用だ、余計なことをするな」


 秀之介は足を止めた。こいつは駄目だ、何を言っても通じない、生まれついての人非人だ。と呆れたように首を振った。だからと言って放ってはおけないから、密かにこの男をつけ、高木が現れたら凶行を働く前に取り押さえるしかないだろう。

 去って行く大沢の、(おご)りが滲み出ている背中を、秀之介は(けが)らわしい物でも見るような目付きで見送った。

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