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からみ糸 ―深川つみびと物語―  作者: 優木悠
第八章 雪の瀬音

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八の一

 空はまるで薄墨で塗り潰したように雲が覆っていて、高木金五郎(たかぎ きんごろう)の気持ちをさらに落ち込ませた。

 ひと月ほど前、千鳥橋の上でばったり再会した棒手振りに、名と住居を訊いていた。名は彦十(ひこじゅう)と言い、住まいは堀川町で金五郎の住む加賀町から千鳥橋を渡ってすぐの所であった。そうと知ってからは、何かにつけ彦十の長屋を(のぞ)きに行っていた。


 彦十の来し方なども聞いた。妻はずっと前に病気で亡くなっていて、彼は汗水流して娘のために野菜の担い売りをしていたが、娘が死んだ後は気鬱の病になってしまい、ろくに天秤棒を担ぎもせず酒に溺れていた。


 今日、金五郎は体調も良かったので久しぶりに彼の家に立ち寄ってみると、中は空っぽになっていた。近所のかみさんに訊いてみると、彦十は五日ほど前に首を吊って死んでいたのだそうだ。


 彦十は娘を殺したであろう三人組を、金五郎がふたりまで殺めたことを知らなかった。金五郎もあえて教えなかったのだが、教えていれば、気鬱の病も少しは癒やす事が出来たかもしれなかった。

 最後のひとりも、体が思うにまかせず、体調が良くても相手が捕まらず、なかなか始末する機が訪れなかった。


 まだ昼前だが、どこかで一杯引っ掛けたい気分だった。かしままで行くのは難儀だから、門前仲町辺りで済まそうと、緑橋を渡り東へ向かった。最近は胃の具合も悪化が進み、もう粥や蕎麦やうどんなどの食いやすい物しか喉を通らなくなってきていて、死神が足音を忍ばせて背後から迫るのを常に感じている。酒などは迫って来る死神を喜ばせるだけだが、今日は飲まずにはいられない気分だ。




 門前仲町をぶらぶらと冷やかしていた貞八(さだはち)は、ちょうど永代寺の鐘が鳴って九つ(十二時)だと気付いた。どこかで飯屋でも探そうと思った。蕎麦屋かしまを見張るのはひと月ほども続けられたが、今はもう打ち切られていた。これ以上張り番をしたところで目当ての者は現れそうもないと、定町廻り同心柿沼秀之介(かきぬま ひでのすけ)が判断したのだった。見張りをした手間賃も弾んでくれたので、ふところは温かい。

 さてどの店に入ろうかと迷っていると、ふと、前から痩身の浪人がこちらに歩いてくるのに気づいた。二刀を差して平然と歩いているのが不思議に見えるくらいの痩せさらばえた老人だ。


 ――あれは、あの時かしまにいた浪人だ。


 貞八は息を呑んだ。

 探し物があきらめた途端に見つかるように、捜すのをあきらめたら目当ての人物が現れた。


 男は居酒屋に入った。貞八も入ろうかと思ったが、やめて向かいの店の軒下から浪人を見張った。勇蔵(ゆうぞう)親分に報せに行ってはその隙に見失ってしまうだろうから、貞八が見張るしかなかった。浪人は、立ったままで酒を三杯(あお)り、すぐに店を出た。来た方へと帰って行く。


 跡をつけると、浪人は加賀町の長屋へと入って行った。素性を探ろうかとも思ったが、余計なことをして逃げられては元も子もない、貞八は富田町の御用聞き勇蔵(ゆうぞう)親分の営む白粉(おしろい)屋に向かった。


 店にはおかみさんしかおらず、勇蔵は奥の居間で肘枕で寝転んで、耳の穴を指でほじっていた。

「おう、なんでえ、どうしたいきなり」勇蔵は体を起こして言った。

「へえ、突然すみません。じつは、かしまで見つからなかった浪人を、ついさっき見つけました」

「なんだって」

「で、跡をつけてみたんですが、加賀町の長屋に住んでいるようです」

「目と鼻の先じゃねえか。で他に何かわかったか」

「いえ、余計なことをして相手に勘付かれてもいけねえと思いまして、家に入るのを見届けてここまできたんです」

「ああ、それでいい。でかしたぞ、貞八」


 蕎麦屋かしまで棒手振りが嘆くのを聞いていた客達の中で、若侍達を殺めることが出来そうなのは、年寄りの浪人者しかいないだろうと勇蔵と柿沼秀之介(かきぬま ひでのすけ)は考えていた。長火鉢の引き出しから一朱(つま)み出すと、貞八に握らせた。


「こんなに沢山頂戴してしまって」

「いや、もうひとっ走り使いに行ってもらいたい。長堀町の仙太の所に行ってくれ。鋳掛(いかけ)仕事に出ちまってるかもしれねえが、たぶん昼飯を食いに帰ってるだろう。会えたら加賀町のその家まで案内して、見張らせるんだ。儂は柿沼の旦那を捜す」

「へい」

 貞八はどうやら貰った一朱分しっかり働かされるようだとわかって、胸中で苦笑した。


「さて、面白くなってきたぞ」

 腹から湧いて出てきたような喜悦を顔に出して、勇蔵は言うのであった。

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