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からみ糸 ―深川つみびと物語―  作者: 優木悠
第七章 促迫

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七の二

 秀之介が汁粉屋の戸を開けると、今まで弛んだ態度でいたのだろう、皆がすっと背を伸ばした。蕎麦屋かしまを見張り始めて、もう六日も経つから、張り番の者達も飽きが出て来てもおかしくはない。せっかく汁粉屋で詰めているのだから汁粉でも(おご)ってやりたいところだが、その汁粉もすでに食い飽きていることだろう。


 この汁粉屋は暮れ六つ(午後六時)には閉めるから、店には今はもう手下と貞八しかいない。

「どうだ」

 貞八の近くに座っている勇蔵に秀之介は訊いた。

「まったく現れません」

「とすると、例の時に店にいた連中は常連ではないのかもしれんな」

「偶然でも何でもいいから、もう一度足を運んでくれても良さそうなもんです」

「俺達が見張っているのを察して避けているとさえ思えてくるな」

「それはないと思いますが」と勇蔵はこらえきれず出てきた欠伸を噛み殺した。


 秀之介は奥の椅子に腰かけて、

「あそうだ、佐源次、お前、ちょいとかしまに行って、蕎麦を人数分注文してこい」

「旦那、見張っている店に出前を頼むってのはいかがなもんでしょう」勇蔵があきれた。

「どうせ当事者達は顔を見せねえんだ、いいじゃねえか。佐源次行って来い」

「しかし旦那」と佐源次が言った。「あそこの親爺は偏屈ですからね、出前はしてくれませんよ」

「なんだ佐源次、お前詳しいんだな」

「あ、いえ、あっしも何度かは入ったことがありますから」

「そうか、そんな話聞いてねえぞ」

「あれ、そうでしたかね」


 佐源次が棒手振りが嘆いていた時にかしまにいたようだ、と貞八が言っていたと聞いたので、秀之介はちょっと鎌をかけてみたのだが、このごまかし方は、やはりその時にその場にいたと見ていいようだ。


「なんかうまい食い物屋はこの辺にねえのか」秀之介が頭を掻きながらぼやくように言った。

「鮨屋か天麩羅屋ならまだどこかでやってるだろう、佐源次探してこい」勇蔵が言った。

「親分、鮨はおととい食いました」仙太が溜め息混じりに言った。

「汐見橋まで行けば、おでんの担ぎ売りをしている爺さんがいつもいますが」

「お、良いところに気付いたな、佐源次。今夜は冷え込みそうだからな、おでんなら丁度いい。ひとっ走り行ってこい」

「へい」


 秀之介がいくばくかの銭を握らせると、佐源次は裏から出て行った。出て行ってしばらくすると、秀之介が言った。


「さっきの態度からすると、佐源次も(くだん)の時にいたと見て良さそうだが、あいつが若侍殺しの下手人とは思えねえな」

「へえ」と勇蔵が応じた。「ひとりは切腹に見せかけて殺し、ひとりは酔っていたとはいえ橋から川へ突き落としています。それなりの武術の心得がある人間と見て良さそうです。佐源次はそれほどの腕は持っちゃいません」

「若侍殺しの件に関しては、あいつは間引いてしまって良さそうだ」


 そうして佐源次が買ってきたおでんを皆で食いながら監視を続けていると、六つ半過ぎ頃だろう、貞八が頓狂な声を上げた。

「どうした」すかさず勇蔵が訊いた。

「今入って行ったお店者は、あの時いた者に間違いありません」

「そうか」

「へえ、女を招き入れたのでよく覚えています」

「女をねえ、どんな男だ。出てきたら教えてくれ」


 四半刻も経たずして出てきたお店者を貞八が指さした。

「あれは、桧川屋の手代じゃねえのか」秀之介が半ば驚いたような声で言った。

市平太(いちへいた)ですね」勇蔵は格子窓に顔を押し付けるようにして見ている。


 秀之介は黙って市平太の闇に溶けていく背中を睨んでいる。不気味な沈黙だった。その頭の中で、離れ離れだった点がたちまち繋がって行っている。

 ――市平太、佐源次、そして謎の女か。女の正体はわからないが、桧川屋の百両が消えた時、その場にいたのが佐源次。書簡の入った帳場箪笥の鍵を手に入れることができたのが市平太。以前から桧川屋内部の犯行だという気はしていた。そしてそれに、佐源次が手を貸した。市平太と佐源次がこの店で知り合っていたとしたら……。

 そこまで推理が(まと)まったが、秀之介は唇を噛んだ。

 ――全てはまだ状況をつなぎ合わせたにすぎない。証拠がまるでない、証拠が欲しいな。市平太に佐源次をぶつけてみるか。佐源次が目を付けられていると勘付いたら、そのまま行方を晦ますかもしれん。ちと危険な賭けになるな。


「奴はどこへ行くのか。桧川屋から強請り取った金の所か、謎の女の所か気になるな。佐源次」

 秀之介がやにわに振り向いたので、佐源次は一瞬たじろいだ。

「お前、市平太の跡をつけろ」

「へ、へい」

 佐源次は慌てたように裏口から出て行く。

「仙太」続けて秀之介が言った。

「へい」

「佐源次の跡をつけろ」冷酷な言い様であった。

「へい」

 小さく頷いて、仙太も出て行った。


「こいつは、若侍殺しを狙っていたのに、別の魚が釣れたようだな」

 秀之介は虚空を睨んだ。獲物を追い詰める捕食者の目であった。その口の端が奇妙に引きつっていた。

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