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からみ糸 ―深川つみびと物語―  作者: 優木悠
第五章 巾着切り

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五の六

 木島弥三郎(きじま やさぶろう)の手習い塾は北森下町にあって、長慶寺の塀に寄り添うように建っていて、以前は商家の別宅だか常磐津の師匠の住まいだかの、手入れさえ怠らなければ瀟洒な見た目の家を借りて営まれていた。


 生垣の間に木が立てられているだけの粗末なんだか小洒落ているのだかわからない門を、音吉が入ると、ちょうど勉学終わりの刻限だったのだろう、家の縁側から子供達が金切り声をあげながら飛び出してきた。音吉が庭の(ほお)の木に飛びつくように避けると、十人近い子供達はけたたましく何かを話しながら門から走り出て行った。まるで洪水が過ぎ去ったような具合であった。


 縁側で子供達を見送った弥三郎が気づいて、

「やあ音さん」

 と(さわ)やかな笑みを浮かべながら手を振った。


 弥三郎は浪人の子供で、音吉とは同じ歳で家も近かったから、身分の違いなく幼少期を遊んで過ごした。今は子供達に殊勝な顔で読み書きを教えているが、前髪を落とす頃までは音吉に勝るとも劣らない、なかなかの悪童であった。


「相変わらずご盛況なこって」

 音吉が言うと、弥三郎は笑みを崩さずに上がるように手招きした。


 弥三郎が厳しく指導しているせいだろう、手習いに使っている八畳の部屋は意外にも片付いていて、ふたりはそこを通りすぎて奥の居間へと入った。弥三郎が茶の支度をしてくれているのを横目で見ながら、音吉は煙草盆を引き寄せて、懐から煙管を取り出して、煙草を拝借して詰めて吸った。


「今日は何か子細ありげな顔じゃないか」

 茶を出して座りながら、弥三郎が言った。

「ん、まあね」

 音吉は煙を吐き出した。紫煙が天井に溜まっていく。たゆたう煙を眺めながら、もうひと口煙草を飲むと、音吉は懐から書簡を取り出した。

「実は、拾った物なんだがね」

 と言い訳がましく言った。もちろん、先日水野の家臣新村から財布と共に掏った書簡である。以前に掏摸はもう辞めると弥三郎に誓っていたから、つい言い訳がましい言い方になってしまったのだった。

「どうも書いてあることが難しくっていけない。ちょいと読んでみてくれないか」

 音吉は字が読めないわけではなかったが、堅苦しい内容や難しい漢字が並ぶとまるで理解できなくなってしまう。


 弥三郎は自分も煙草に火を着けて、ひと口吸うと、

「どんなだい」

 と書簡を拾い上げて開いた。途端、笑みが引っ込み眉間に皺が寄った。

「お前、こんなもの、どこで手に入れた。また悪い癖が出たんじゃないだろうな」

「おいおい、こないだ手を洗うと約束したばかりじゃねえか。拾ったんだよ」

「そうならいいがな」

「で、何が書いてあるんだ。村の訴訟がどうのこうのってことはわかるんだが」


「こいつはてえへんな代物を手に入れちまったな、音さん。これにはこう書かれてある。多摩の秋川の樹木を庄屋権兵衛から桧川屋が安く買ったところ、村人達が取引停止の訴訟を起こした件、その方よりの依頼の通り、遺漏なく処置した。村人達の言い分は、山は庄屋ひとりの所有物ではなく村人共有の財産ゆえ材木を勝手に売ってよいものではないとのことであるが、勘定奉行に圧力をかけて棄却させた。安堵されたし――。桧川屋とは島崎町の材木問屋の事だろうな」

「と言うと、つまり?」

「つまり、材木を安価で取引した桧川屋と村の庄屋を村人達が訴えたが、それを水野老中が取り消させた。簡単に言うとそんなことだな」

「で、どれほどの価値があるかな」

「どれほどって、持って行く所に持って行きゃ……」

 と弥三郎はもうひと口煙管を吸って、昇る煙を目で追うようにして天井を見て、ひとしきり何か思案しているようだ。

「いや、ちょっと面倒な代物だな。音さん、そいつはしばらくどこかへ隠しておくといい。使い道は追い追い考えようじゃないか」


 ――この野郎。

 音吉は察した。

 この書状に何か特別な価値を見出(みいだ)しやがったな。これを利用してひと儲け企んでやがる――。


「俺の懐もちゃんと温まる算段だろうな」弥三郎を上目づかいに(にら)んで音吉は訊いた。相手の本心を探るような鋭い目つきである。

「それを考えようと言っているんだ」その針のような視線に気づいていながら気づかないふりをしているのか、弥三郎は口の端を薄く歪めた。


「こうして額を寄せ合って考えた所で、良い案が浮かぶわけでもなさそうだ。よし、ちょいと一杯やろうや、弥三郎さん」鋭い目を引っ込めて音吉が言った。

「一杯って、まだお天道様は元気だぜ」

「しかしこう暑くっちゃ(たま)ったもんじゃない」

「そろそろ涼しくなっても良さそうなもんだが。俺は子供達の相手をして小腹が減ったな、蕎麦でも食いに行かねえか」

「かしままで行くか」

「この暑いのに、って言ったばかりじゃねえか、入船町まで歩きたくないね」

「じゃ、ここで酒を一杯」

「ちぇ、音さんにゃ敵わねえや」

 しぶしぶといった顔で、弥三郎が酒を取りに台所まで行くのだった。

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