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からみ糸 ―深川つみびと物語―  作者: 優木悠
第五章 巾着切り

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五の四

 お佐知(さち)という女は、音吉にとっては都合のいい女でしかなかった。

 体が相手を欲すれば、連れ込み宿に呼び出したり、いきなり彼女の長屋を訪れたりして、ひと晩過ごす。それ以外で音吉が他の女と遊ぼうが、お佐知が他の男と付き合っていようが、互いに知ったことではない。関係を絶つ時が来てもどちらも傷つくことはないだろう。そういう淡泊な関係がもう十年近く続いていた。


 今夜も音吉は本所相生町のお佐知の長屋までのこのこやってきて、ひとしきり抱いた。ひと頃に比べれば乳にも尻にも張りが無くなったが、年増の熟しかけた、遊ぶにはちょうど具合の良い体だった。そうして事が終わって音吉は隣で乱れた息を整えているお佐知を(いたわ)りもせずに、夜具の中で体をうつ伏せにして煙草盆を引き寄せると、煙管を吸った。


「あたしにも頂戴」

 お佐知が、舌っ足らずのような甘ったるい声で言った。彼女も体を回してうつ伏せになると、肘を立てて首を伸ばして音吉の差し出した吸い口を吸った。

「こないだ川向こうで土左衛門があがったんですって」

 お佐知が煙を吐きながら言った。寝物語にしては色気のない話だった。

「ちょうど通りかかったんで、拝んできたよ」億劫そうに音吉が答えた。

「あたし、人の死体って見たことないの。どんなだった?」

「どんなって、おめえ。白くふやけて見ていて気持ちのいいもんじゃなかったぜ」

「侍が酔って川に落ちたって話じゃないの」

「なんでえ、ずいぶんしつこいな」

「だって、嫌な侍のお客がいるのよ。そいつだったらいいのにって思うのよ」

「へえ、どんな客だ」


 お佐知は尾上町の料亭相ノ木(あいのき)で女中をしている。音吉はいつも仕事の愚痴を聞かされていたが、体を楽しんだ代金だと思って仕方なくいつも付き合ってやるのだ。


「それが、今を時めくご老中水野様のご家来で、新村(にいむら)って人なの」

「そんなに威張っているのかい」

「威張ってるなんてもんじゃないわ。あたしを飯盛り女か何かと勘違いしてるのよ。ひと晩相手しろとかしつこいし、平気で胸やお尻を触ってくるのよ。嫌になるわ」

「へへ、お前みたいな年増、相手にしてくれる人がいるだけでありがたいと思いな」

「ちぇ、馬鹿にしてるわ」


「よっぽどお前にご執心なんだな。でなけりゃ、あんな時化(しけ)た店に、老中の家臣がわざわざ足を運ぶめえ」

「若い子だっていくらもいるのに、迷惑な話よ」

(たで)食う虫も好き好きとは良く言ったもんだ」

「まあ、憎ったらしい」

 お佐知は、爪を立てて音吉の腕を(つね)った。


 ――水野の家臣か。狙うにはちょうどいい。

 一度は辞めると決めたものの、掏摸(すり)の虫のようなものが、音吉の胸の中でうずうずと(うごめ)き出した。

 先日の溺死事件が、若侍三人組を立て続けに狙った者の仕業だとすれば、音吉も何か大きな仕事をしてみたいという気が湧いた。

 足を洗うと決めたものの、ただ足を洗うだけではつまらない。最後にひとつ大きな仕事をして、有終を飾りたいと思うのだ。


 水野の家臣の懐から大枚をいただけば、世間をあっと言わせるまでは行かなくとも、肩で風を切って江戸の町を闊歩している連中のひとりに、吠え面をかかせてやる事は出来る。


「なによ、ひとりでにやにやして気持ち悪い」

 妄想に入り込み過ぎていたらしい、我知らず浮かべていた笑みを消すと、音吉はお佐知に訊いた。

「その侍はしょっちゅう店にくるのかい」

「そうねえ、三日に一度くらいかしら」

「そりゃまた足しげく通うもんだ。金払いもいいんだろうな」

「いつも現金できっちり払っていくわ。つけなんてないし、あたし達への心づけも弾んでくれるし。なあに、またにやにやしてる」

「へへ、今日はもう一番と行こうじゃないか」


 音吉は雁首を灰落としの角で叩いて灰を落とした。そうして煙管を投げるように置くと、腕をお佐知の体に絡ませた。


「あ、いやだくすぐったい」

 音吉は、お佐知の笑って揺れる胸に顔を埋めた。

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