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からみ糸 ―深川つみびと物語―  作者: 優木悠
第五章 巾着切り

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五の一

 初秋の夜空は突き抜けるように澄んでいて、煌めく星々も手が届きそうなほど大きく輝いていたが、空気はまだ暑い盛りの熱気を(はら)んでいて、夜になっても容赦なく人々の体を火照らせていた。擦れ違う町人達も団扇や扇子で顔を(あお)いでいて、汗にまみれた高木金五郎(たかぎ きんごろう)は羨ましそうに彼らを眺めた。


 だが、汗くらい何ほどのことがあるという気概があった。

 標的の疋田新(ひきた あらた)は、昼間から飲んでいたのだろう、まだ宵の口だというのに酩酊していて、大川に()かる吾妻橋を右に左にとふらふらと覚束ない足取りで東へと渡っていた。手に持つ提灯が鬼火のようにゆらゆら揺れる。

 今日こそは、と金五郎は思う。

 先の殺しから三月あまりが過ぎた。ひとり目を殺めてからひと月ほども寝たり起きたりの生活が続いた。無理をしたのがいけなかったのだろう。それから歩く修練を積んで、若侍の残りふたりを探し、見つけては跡をつけ、やっと今日、仕留められそうな機が訪れたのだった。


 金五郎は唇を噛んだ。

 吾妻橋を渡った所で疋田が辻駕籠を拾った。

 駕籠は町々をいくつも通り過ぎて行く。金五郎は走って追うのにも必死にならねばならず、もう今日は諦めようかという気にもなっていた。


 本所の武家屋敷の間を縫って南へと走る駕籠が、南割下水にぶつかった所でぴたりと止まった。駕籠から転がるようにして疋田が出ると、割下水に向かって顔を突き出して、げえげえとやり始めた。


 駕籠の中を汚物で汚されては堪らないと思ったのだろう、駕籠舁きが、

「お代はけっこうですんで、こっからは歩いて帰ってくだせえ」

 そんなことを言うと、提灯だけ渡し、さっさと駕籠を担いで走り去ってしまった。


「待てえっ」疋田が叫んだ。「まったくけしからん駕籠舁きだ。今度会ったら叩っ斬るぞっ」


 今が機会かとも思ったが、金五郎の脚は無理に走ったせいでがたがた震えていたし、息もまるで整わなかった。

 その後も疋田の跡をつけ武家町を行くが、人の往来が多くなったり少なくなったりしながらも絶えることがなく、襲いかかる頃合いが掴めずにいた。


 そうして、竪川に出た。幸い人影もない。遠く川の向こうに提灯の明かりが豆粒のように見えるが、この距離なら、襲撃を目撃される恐れはないだろう。


 疋田が二ツ目之橋を渡り始めた時、金五郎は走った。

 足音に気付き、疋田が振り返る。

 金五郎は構わずに、疋田の衿首を掴むと橋から突き落とすべく体を押した。疋田の持っていた提灯が弧を描いて飛んで、橋板に落ちて火が消えた。酔っていた上に不意を突かれたが、しかし疋田は欄干に押し付けられながらも抵抗した。

「な、なんだお前はっ⁉」

 叫びながら、引き離そうと金五郎の顔を掴んで押した。

 暫時押し合ったが、金五郎の膂力が(まさ)った。

 疋田は欄干を支点にして背を逸らせ、それでも欄干に爪を立て耐えていたが、金五郎が脚を掴んで持ちあげると、くるりと回転して川へと落ちて行った。


 川面で疋田がもがいた。水を飲みながらあぶあぶ言っていたが、やがて、水を吸った着物と腰に差した両刀の重みで水面の下へと沈んでゆく。さして深い川ではないが、酔っているし、意表を突かれたものだからどうしようもなかっただろう。


 騒ぎを察したようだ、川向こうの提灯が激しく上下しながら、こっちに向かって来る。

 金五郎は息を整える間もなく、走った。冷静さを失っていたのであろう、気がつけば家とは全く反対の、大横川に出た。


 ――これでふたり。


 仕事をやり遂げて安堵した瞬間、腹に激痛が走り、胃から熱い塊が口へと登って来た。土手から身を乗り出して、金五郎は塊を吐き出した。暗がりでも川の色が黒く濁ったとわかった。

 血であった。

 何度も口に残った血を吐き捨て、懐から懐紙を取り出して、口を拭う。


 もう体がもたないかもしれない、という気がした。

 残りひとり片付けねばならぬのに、という思いが込み上げ、悔しさが身を貫くようだった。

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