四の五
先程から風が出てきた。
境内に生えた木々も葉擦れをさせてざわめいて、その陰で佐源次は震えた。
風のせいではない。体の芯からの震えである。
――うまく事が運んでいる。うまく行きすぎて怖いくらいだ。どこかに落とし穴がぽっかりと口をあけて待ち構えているのじゃないか。文を届けさせた酔っぱらいに顔を見られてはいなかっただろうか。いや、大丈夫、心配が過ぎる。
興奮と緊張といくばくかの安堵とで、佐源次はまた身震いした。
先刻から、辰次郎親分の手下がやってきては、桧川屋の行方を聞いて追って行った。勇蔵の手下も含めて六人が去って行った。もう誰も残ってはいないだろう。
――そろそろ頃合いだな。
佐源次は社の前にある賽銭箱の脇に置かれた小さな山に向かった。
二十枚ずつ紙で包まれた小判が、五つ。
その百両をあるいは懐に入れ、あるいは袂に入れ、社の裏へと行く。そうして九寸五分の匕首を取り出すと、縁の下に体を突っ込んで、鞘の先で地面に穴を掘り始めた。時間はかかるが、まさか鍬や鋤を持ち歩くわけにはいかないから仕方ない。昼の間降った雨でしっとりと湿った土を必死に掘った。
四半刻かかっただろうか、百両埋められるだけの穴を掘りあげると、懐や袂にしまい込んだ小判を入れ、手を使って埋め戻した。山となって盛り上がっていると怪しまれるから、丹念にならして、さらに足で踏んで固めた。
ほっと吐息をついた。
これでまず、見つかる心配はないだろう、後は、頃合いを見計らって掘り返しに来ればいいだけだ。
音を立てないように手を払いながら、もとの場所に戻ろうと、社の陰から出た時だった。
「佐源次、何をしている」
ぎょっとして声のした方に振り向いた。
社の前に同心柿沼の小者文造が立っていた。
とっくに柿沼達の後を追って行ったはずなのに、何故ここに戻っているのか。
佐源次の心臓が早鐘を打つように高鳴って、胸を引き裂いて飛び出して来そうだ。今が昼間なら、佐源次の引きつった顔を見咎められ、確実に怪しまれていただろう。とにかく何か言い訳をしなくてはならない。
「あ、あの」
佐源次はおずおずと文造に近づくと、そっと生唾を飲み込んだ。
文造は佐源次よりもずっと年上の中年男だ。同心付きの小者で十手を持つことも許されていたから、御用聞きの手下である佐源次とはまったく格が違っていた。そうでなくても、文造の背丈は六尺はあって、目の前に立つと凄まじい威圧感がある。その威圧感に押しつぶされそうな気分であったが、佐源次は必死に声を絞り出した。
「や、やられました。今見たら、金が消えていました。いつ盗られたかまったく気がつきませんで、へい、ともかくと思い社の辺りを探していました」
「な、なんだとっ」文造の声が裏返った。「てめえ、とんでもねえへまをやらかしたな」
「も、申し訳もねえこって」
「俺は柿沼の旦那に報告してくる。お前はとにかくこの辺りを回って、怪しい者がいないか、草の根分けても捜し出せ」
「へ、へい」
文造は佐源次の様子がおかしいのは、犯した失態のせいだと思ってくれたようだ。佐源次は身を翻して、いるはずもない相手を捜すために境内を歩きだした。
「待て、佐源次」
「へい」
「一応念のためだ、お前の体を検めさせてもらうぜ。疑って悪いが、嫌疑を晴らすためだと思って我慢してくれ」
「へい、ご存分に」
佐源次は着物を脱いだ。こうなればとことん調べてもらえばいい。どうせ何も出て来はしないのだ。
佐源次は下帯ひとつになった。
文造はすべての衣服を検めた。そうして九寸五分に目を止め、手に取った。
――まずい。
佐源次の裸の体に汗がさらに湧きだした。
匕首の鞘は土で汚れている。提灯の明かりで検分されたらお終いだ。
「へ、用意のいいこった」
鼻で笑うように言って、文造は匕首を社の縁に置かれた着物の上に置いた。
「疑って悪かったな。じゃあ、強請を捜してくれ」
文造は走り去って行く。その足音が遠ざかるとともに、佐源次の心臓も次第に落ち着いていき、社の壁によりかかると、額に流れる汗を拭いた。深く呼吸を何度もして、気持ちを落ち着けると、着物を着た。
――本当にごまかせただろうか。
佐源次は不安に押しつぶされそうな気分であった。
金は今のうちに別の場所に移しておくか、いや、下手に動くとかえってまずい。放っておこう。もし社の縁の下に埋めた金が見つかったら、どうにか言い繕うしかない。なんと言い繕うか――。
考えをぐるぐると巡らせているうちに、佐源次は、金を持って今すぐにでも姿を消してしまいたい衝動に駆られた。このまま品川まで走り、金を女郎屋に渡して妹を身請けし、ふたりで上方にでも姿を晦まそうか。
――いや待て、落ち着け。
それはあまりに危険な賭けだし、市平太と綾を裏切ることになる。昨日今日知り合った相手にそこまで義理立てすることもないが、後味の悪い一生を送るのもごめんだ。
佐源次は伏し目がちに、ただ境内を歩き回るのだった。
夜が明けて、秀之介が報告を済ませると、桧川屋六左衛門は、
――まあ、五百両が百両になったわけですから、得したと思うしかありませんな。後は、書状が帰ってくれば万々歳と言ったところです。
そんなことを言った。
「金持ちの感覚はまるで理解できんな」桧川屋からの帰途、秀之介は首を撫でながら言った。
「桧川屋にしてみれば、百両なんて端た金にすぎんのでしょうなあ」並んで歩く勇蔵が溜め息混じりに答えた。
勇蔵や辰次郎の手下達はすでに帰し、後ろに数間離れて付いてくるのは、秀之介の小者の文造と平七ばかりである。
腕を組んで秀之介はふと表情を険しくして、
「こっちは百両盗られて腹が立って仕方ねえってのに、当の桧川屋があれじゃあ、腹立ち損だぜ」そうして声を落として言った。「佐源次なあ、ありゃ、どうもくせえ」
「奴が百両を盗ったとして、どこに隠したかわからなければ、どうにも手の下しようがありませんな」
「ああ、ひっそりとでいい。佐源次からは暫く目を離すな」
怪しい、と言うだけでは捕縛は出来ない。捕らえて吟味を行って無実だと分かれば、召し捕った同心や御用聞きが咎めを受ける。下手を打って罷免されてはたまらない。
「へい、しかしあっしとしちゃあ、生真面目とはいかないまでも疎漏なく仕事を熟してきた佐源次を知っていますからな、あいつの言う、知らない間に金が消えていたって言い分を信じてやりたいところです」
「それこそ、まさかあいつが、さ」
秀之介は先夜の話を思い出していた。秀之介自身、佐源次が強請に加担していたなど、まだ実感できないでいたのだった。




