四の三
強請からの投げ文が見つかった日は、前の投げ文から五日経っていた。
その日もしとしととした雨が降って、柿沼秀之介は傘を差して桧川屋に急いだ。御用聞きの勇蔵も小者の文造、平七も、笠をかぶって蓑をつけて後ろに付いてくる。
「まったく嫌な雨だな」秀之介がつい零した。
「こんな雨の中、何故書状ひとつで大の大人が右往左往しなくてはならないんでしょうねえ」以前から胸に蟠っていたのだろう、勇蔵も零した。
「そう言うな。書状は水野ご老中の物で、公表されればご老中の進退に関わるという。事件を解決したところで褒美が出るわけでもないだろうが、失敗すれば首が飛ぶかもしれん。割のいい話じゃないが、これもお役目と割り切るしかないな」
店に着いて、以前の座敷に通されると、店主の六左衛門がすでに待っていた。
「さっそくだが、強請からの文を見せてくれ」
座るのももどかし気に秀之介が言った。
六左衛門が察していたように、さっと手元に置いてあった文を差し出した。
「なになに」秀之介が文を開いて目を走らせる。「五百両の小判を二十枚ずつ紙で包み、それを持って四つ(午後十時)に深川八幡の門まで来い。何で小判を小分けにするんだ」
「わかりません」六左衛門が答えた。「ですがすでに駕籠を三丁呼びに行かせました」
「三丁?」
「ええ、私と旦那と親分の」
「気を使い過ぎだ。俺達は足であんたの後を追う。まあ、奉行所の人間がついて行くことは向こうもすでに承知のはずだが、それでも駕籠でぞろぞろってわけにもいくめえ」
「こ、これは独り決めが過ぎましたようで」
「さて……」
秀之介は俯き腕を組んで黙考し始めた。十呼吸をするくらいの間、部屋は不気味なほどしんと静まり返った。秀之介が顔を上げる。
「勇蔵、すぐに集められる手下は何人だ」
「四人です」勇蔵親分が答えた。
「深川八幡の門の下で金の受け渡しをするとして、その後敵はどこに逃げるか。刻限に門は閉まっているだろうから境内に入ることはあるまい。町に逃げ込むか。木戸は閉じられているが抜け道を知っているって事は考えられる。あの辺りの町は入り組んでいる。それを利用して遁走するつもりかもしれない。となると、俺と文造、平七に、勇蔵と手下が四人、合わせて八人じゃ、門前町は広すぎる。それに、川に逃げる事も考慮しなくてはならない。まさか五百両もの金を抱えて泳いで逃げることはあるまい。となると舟を使うだろうな。川にも舟を配置しなくてはならん。まったく人手が足りないな。もう三、四人は欲しいところだが……。本所の辰次郎にも出張って貰うか」
とたん勇蔵が顔をしかめた。自分の島に余所者が乗り出してくるのは面白くないといった顔だ。勇蔵と辰次郎は商い敵なわけだが、しかも、縄張りが隣どうしのせいもあって、境界で起きた事件の取り合いなど諍いも多い。
「まあそう不貞腐れるな」秀之介がなだめた。「あくまで差配はお前にしてもらうから」
「はあ、まあそうですか」勇蔵は不承不承である。「ではまあ、舟の方は知り合いの船宿を当たります」
「さあ、そうと決まれば、五つ半(午後九時)までに準備を終えよう。残り二刻(四時間)。ちんたらしている暇はないな」
そうして手配りをしていると瞬く間に二刻は過ぎ、さらに打ち合わせを煮詰めているうちに四半刻(三十分)近く経ち、桧川屋六左衛門の乗った駕籠が店の前から動き出した。
秀之介と勇蔵が追う。さらにその後を小者のふたりが付いて行く。
勇蔵と辰次郎の手下達、合わせて八人はすでに門前町に配置するべく向かわせた。辰次郎は、勇蔵の縄張りの事だからと自分は出てこずに手下だけ貸してくれたのだった。
空は雲が垂れこめて星も月も見えはしないが、幸い雨はやんでいて、駕籠は滑るように夜の闇を進み、深川八幡の門前に到着した。
大横川の河岸に駕籠舁きを待たせ、六左衛門は駕籠提灯を借りて門に向かう。
昼間は人いきれで噎せ返るほど賑わう場所であるが、今は酔客も鳴りを潜めて静まり返っていた。六左衛門は指示通りに門の下へと近づいた。
そこで六左衛門は立ち止まり首を傾げた。
周りには人の気配がなく、門の前には黒い巨人のような鳥居が聳えているだけである。
五百両を包んだ風呂敷を背負い、途方に暮れたように門の屋根の下をうろうろしていると、不意にひとりの酔っ払った男が近づいて来た。
「あんた」おくびを漏らしながら酔っ払いが言った。「あんたあ、桧川屋の旦那だねえ。これを渡せと言われて来たよ」
男は懐から紙を出して六左衛門に渡すと、またおくびを漏らして去って行く。
六左衛門は男を見送ると渡された手紙のようなものを開いた。
紙には細かい文字がびっしりと並んでいて、提灯に近づけて目を細めて読むと、確かに強請からの指示が書かれていた。
六左衛門は周りを見渡した。
どこかで見張ってくれているはずの柿沼同心と勇蔵親分に報せるべきか、寸時迷ったが、余計な接触は強請を刺激するかもしれないと思い直し、駕籠に戻ったのだった。




