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からみ糸 ―深川つみびと物語―  作者: 優木悠
第三章 女と男

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三の六

 梅雨空の下、柿沼秀之介は頭を掻きながら、島崎町の桧川屋に向かっている。

「またぞろ桧川屋か」

 その溜め息まじりの(つぶや)きに、ちょっと後ろを歩いていた御用聞きの勇蔵が答えた。

「へえ、前の丁稚の自害と関連があるかもしれません」

「詳しく話を聞かなくちゃあ、何とも言えんがなあ」


 数歩後ろを歩いていた佐源次(さげんじ)は、聞くともなしにふたりの会話を聞いていた。


 ふたりの話は次第に事件のことからはずれ、景気が悪くなってきたの、三座が浅草に移ってつまらないだの、こっちは取り締まる側だから文句も言えないだのという不平を並べるのだった。


 そうこうしているうちに桧川屋に近づいたが、三人は路地に入って店の裏に回った。強請(ゆすり)が複数か単独かは不明ではあるが、どこで見られているかわからない。勝手口から家に入った三人は、この間とは違う座敷に通された。客間のようである。床の間には立派な掛軸が掛けてあり、雉の剥製も飾ってあり、襖も煌びやかな模様をしているし、全体として派手な印象を受ける。秀之介と勇蔵が、主とおかみの話を聞き、佐源次は縁側で誰も近づいて来ないように見張りながら、中の話を聞いていた。


「昨日このような投げ文が店の土間に落ちているのを見つけまして」とおかみが話している。「最初は悪戯かとも思いましたが、調べてみると、確かに、帳場箪笥にしまってある書状が無くなっておりました」

 明瞭な口振りのおかみに対して、主の六左衛門の方はただ手拭いで冷や汗を拭いながらうなずいているばかりである。


「帳場箪笥に隠してあった書状を頂いた。五百両用意しろ、さもなければ書状を世間に出す、か……。それで」と秀之介が訊いた。「盗まれた書状の内容はどんなものかね」

「それは」と突然おかみの歯切れが悪くなった。「そのまあ、ご公儀のさるお方からいただいたものとしか申せませんで」

「申せませんではこちらも動きづらいのだがな」

「詳しい内容はお教えできないのでございます」六左衛門がまた汗を拭いた。「何卒ご勘弁くださいまし。ただ申せますのは、ご老中の水野様からいただいた書状だということでして」


 秀之介は上目遣いにじろりと六左衛門を見た。それが本当なら、そして事件を探偵する町廻り同心にも明かせない内容なら、確かに五百両と引き換えにしても惜しくはなさそうな書簡だが、しかし、そうとう面倒な話になってくる。


「そんな御大層な書状にしては要求の額が五百両か。もっと高額でもよさそうだ。千両とか」意地でも内容を明かすつもりがないようなので、しかたなしに秀之介は質問を変えた。

「そんなに要求されてもすぐには用意できません」六左衛門が答えた、「蔵には金はほとんどありません。両替商に預けたり、書画や茶器骨董にしてあるのです」

「なるほど、五百両ならすぐに用意ができる、か」

 敵は桧川屋の内情も入念に調べ上げているようだ。


「最近帳場箪笥に近づいた者は誰々かね」

「大番頭は毎日使っておりますが下の段だけでして、書状がしまってあった上の段は誰も触れてもいないはずです。私ですら、もう十日ばかりも開けておりません」

「箪笥には鍵が掛けてあったのかな」

「はい」と六左衛門は首に掛けた鍵を胸元から取り出した。「これがなければ誰も開けられません」

「その鍵は旦那さんが肌身離さず持っているのかね」

「ええ、はずすのは風呂に入る時くらいです。眠る時だって付けたまま眠ります」

「じゃあ、風呂に入っている時に、誰かが持ち出したのかな」

「いえ、風呂場は戸に鍵が掛けられるようになっています。鍵を掛け忘れた覚えもありませんし」

「一度その風呂場と帳場箪笥を見ておこうかな。おい、佐源次」

「へい」

「お前さんは、店の者に聞き取りをしてくれ」


 返事をして佐源次が立ち上がり、秀之介と勇蔵が立ち上がった。


 その時、佐源次は嫌な視線を感じたようだった。

 誰かがこちらを慎重に盗み見ているような、そんな視線を目の端に捕らえた。

 さっとそちらを向いた。

 裏庭の先に土蔵があり、女中が洗濯物を干したり、丁稚が掃除をしたり、普段と変わらぬ様子で仕事をしていた。


 ――誰だ。

 佐源次は彼らを探るように見詰めた。

 誰がこちらをみていた。いや、ただの思い過ごしか。店の主達と同心達が話をしていたのを、ただ好奇心で眺めていたのかもしれない――。


 しかし、洗濯干しをしている女中が目にとまった。はて、どこかで見たような気がする。どこと言って目立つところのない、言ってしまえば十人並みの器量の女だったが……。


 ――確かに会ったことがある女だ。どこでだったか……。


 佐源次はあえて女から目を逸らして考えたが、どうも思いつかない。首を傾げながら表の方へと向かう。何かの拍子に思い出すかもしれないからひとまず彼女のことは置いておくことにした。それよりも、店の者達に話を訊いて回らなければならない。

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