Part9:レクス・ネモレンシス
大魔法。
ひとつの術式で、複数の事象に影響を及ぼす偉大な魔法。
現代において一線級の魔導士と認められるには、何らかの大魔法を習得しなければならない。
そのためのハードルは大きく分けて三つ。
ひとつ、発動しようとする術と自らの魔力適正が一致していること。
ふたつ、発動するための十分な魔力量を備えていること。
みっつ、術式の構造を細部まで理解していること。
わたしはこの三番目の条件で躓いた。
術の構造を理解するということは、言い換えればどのような形で発動するかイメージできているか、ということだ。
そして白魔法の体系には、この大魔法に相当する術が現存していない。
つまりわたしは、学院を卒業するために存在しない大魔法を一から組み上げるという、あまりに手に余る課題をクリアしなければならなかった。
新しい大魔法なんてそう簡単に作れるはずがない。いざやろうとするなら、学院の教授たちが数人がかりで数年かけて作り上げる羽目になるだろう。とても学生の手に余る代物だ。
でも、やらないという選択肢は無かった。
なにかしら足掻いてみせないと卒業証書をもらえない。できる限りのことをやろうと思った。
それがまさか、こんなところで披露することになるなんて。
「うおぉっ!? 何事だあ!?!?」
頭に木の枝を突き立てられて、さすがに馬鹿貴族が目を覚ました。
「やっと起きた! ちょっと手伝ってください!」
「手伝っ、貴様ァ! 下賤なミストル人が私に命令するなど」
「そういうのいいから! ほらこっち来てください!」
わたしはロックフィード伯爵の頭に挿した枝を掴むと、そのまま倒木の影から走り出した。引き摺られる格好の伯爵が何か文句を言ってたけど、無視。
わたしが飛び出したのと同時に、旦那様が反対側から走り出したのが見えた。竜の進行方向に回り込んで両手を広げる。
術式の発動には時間がかかる。それに、効果範囲から出てしまったら意味がない。旦那様には少しでも時間を稼いでもらう必要があった。
「イルマー!! 吾輩だ、止まれーっ!!」
飛び出してきた旦那様に、一瞬竜が躊躇するように足を浮かせた。頭のうえから「うも~!」と牛みたいな鳴き声が降ってきた。
竜は驚いたようにじっと旦那様を見下ろしている。でも、攻撃する気配はない。思った通り、大人しい子で助かった。
「貴様、私にこんなことをしてただで済むと……ぐぇっ!」
「あんたのやらかしでこんなことになったんです! 責任とってもらいますよ!!」
「何を……!」
問答無用。
わたしは右手で杖を引き抜き、高く掲げた。
頭のなかで術式のイメージを展開する。そのイメージを託した呪文を紡ぐ。意識の全てを術の発動に預け、清明なまま無意識の境地に立つ。身体を魔法に明け渡し、腕に力を籠めながら脱力する。
「王を抱く森よ、悠久の時紡ぐ金枝よ。
世々に語り継がれし奥義を我が前に開きたまえ」
かつて白魔法にも、大魔法が存在した。
そう言われている。
「数多呪いを汝に帰し、汝が元で全ての穢れを祓いたまえ」
メラーズ先生が、その先生から。その先生の、さらに先生が、そのさらに昔の先生から。
遥か古の時代から口伝によって語り継いできた、戴冠の森の物語。
まだエンリス人たちが大陸から渡ってくる以前、この土地に建てられた古王国の王たちは、必ず黄金の森で戴冠式を挙げた。
それは、王に至るまでに抱えた数多の宿業を清めるため。聖なる存在、神々から信任を得た者として完全無欠であるため。
「眠りより醒めよ。甦り我が前にあれ。
汝が力を王ならざる者に下したまえ」
千年前にエンリス人が大陸から渡ってきた時、古代ミストル人の王国は滅亡し、黄金の森も焼き払われたという。
けれど、その秘術の名前だけはいくつもの物語とともに継承された。
いまのわたしにも朧げに見えている。その森の名前を叫びながら、杖を振り切った。
「王なる黄金樹!!」
杖の先に木漏れ日のような光が集まり、生きた樹のように天を目指して伸びていく。
暗闇に覆われかけた森を、さらに上から覆い被せるように、巨大な黄金の樹が枝葉を広げる。太陽の光よりも強く煌く大樹。わたしのイメージのなかにある、戴冠の森の姿そのものだ。
その巨大な樹の枝から、無数の蔦が稲妻のように降り注ぎ、竜の身体に次々と巻き付いた。
「グオォ?!」
竜が驚いたように咆哮をあげた。
光り輝く蔦は竜の身体に触れると同時に、竜を形作る魔力もろとも淡く弾けて消えていく。それに伴って、竜の体積も徐々に小さくなっていく。
爆破なんて大袈裟なものじゃない。ただ少しずつ魔力の暴走の勢いを削ぎ落としていく。ちょうど宿り木が宿主となった樹から養分を吸い上げていくように。強大な魔力や呪いに対して、その力と相殺しながら消えていく。
それが、『王なる黄金樹』の効力。
「これは……大魔法か……?!」
わたしの足元で馬鹿貴族が呻くように言った。
そうだと言い返してやりたい。
でも違う。この術は、まだその域にまで達していない。
(っ、術の維持が……!)
黄金樹が端の方から崩れていく。最大の効力を発揮できていたのはわずか数秒足らずで、そのあとは坂道を転げ落ちるようにどんどん術の効力が薄まっていく。
最初はあたり一面を照らし出すほどに瞬いていた輝く樹が、みるみる光量を下げていく。
なにより、蔦が捕らえていたはずの竜が再び自由を取り戻し、動き出そうとしていた。
最初に比べれば暴走の勢いは弱まっている。竜の姿も一回り以上小さくなった。それでもまだ風車小屋より背が高い。鬱陶しい障害物がなくなったのが嬉しいのか、足元にいたお気に入りの玩具を拾い上げてずんずん歩いていこうとしている。
「シライナ、持たないぞ!!」
竜の手の中から旦那様が叫んだ。
「分かってます!!」
竜が嬉しそうに旦那様を舐め回すのを見ながら、何とか怒鳴り返した。
「ハッ、やはり出来損ないの魔導士だ! ミストル人の分際で大魔法など操ろうとするからこうなるんだよ!!」
なぜか、頭から木の枝を生やした馬鹿貴族も元気を取り戻していた。
「……そうですね」
癪だが認めるしかない。
確かにわたしの術は不完全だ。
『王なる黄金樹』は未完の魔術。口伝で名前と物語のみ伝わった術を、わたしの独自解釈で強引に形作ったものだから。
魔法の発現は、術者がその術をどれだけ把握しているかに懸かっている。あやふやなイメージではあやふやな術しか出現せず、発動したとしても即座に自壊する。
その自壊を食い止めるためにはどんどん魔力を継ぎ足していく必要がある。穴の開いたバケツに水を注ぎ続けるようなものだ。
「確かにわたしは半人前です」
「当然だ劣等種族!! 魔法の素養など無い貴様らが、優良種族たる我らエンリス人の大魔法を使おうなど不敬極まりない! 身の程知らずとはまさにこのこと、いい加減にこの枝を抜いて謝罪すれば、父上に連絡して軍を派遣することも」
まあつまり、注ぐ水のアテがあるなら、それを使えば良いだけだ。
「貴様聞いて……うおおおおっ!?!?」
「わ、すっごい魔力量。さすがお貴族様ですねっ!!」
掴んだ枝からガンガン魔力を吸い上げながら言ってやった。さすがはエンリス貴族。自慢するだけあって魔力量だけは大したものだ。
この宿り木、本当は護符の素材に使って、カートレット家のあちこちに配置する予定だったのだ。奥様の青い魔力を与えてやれば、邸宅のなかに溜まった澱んだ魔力を押し流すことができるから。
だから馬鹿貴族の頭に生やすなんて、予定外も良いところなのだけれど、もう四の五の言っていられない。
「こんなことをしてただで済むとぉぉ??!!」
「それこっちのセリフですから!! さあ、あとひと踏ん張り頑張ってくださいね!!」
「ぎゃああああああああああ!!!!」
黄金樹のパワーを最大出力!
お散歩に出かけようとしていた竜を、今度こそ完全に捕捉する。
輝きを取り戻した頭上の黄金樹から無数の蔦が降り注ぎ、竜の翼や尾に次々と絡みついては対消滅する。
「のぅぅぅぅぅぅん…………!」
長く長く、切なげな鳴き声とともに竜は光のなかに消え、同時に黄金樹も根本から崩れ落ちた。




