Part8:わたしが何とかします!!
「あらっ?」
頓狂な声を上げた奥様の頭から、にょきっと角が生えた。
怒りの比喩表現とかではない。本当に、物理的に角が生えていた。
そう見えた次の瞬間、泉の水が巻き上がって奥様の身体を包み込んだ。
水流は竜巻のように立ち上がり、木々よりもさらに高くなった。わたしたちはそれを呆然と見上げることしかできなかった。
夕日に照らされた渦が赤い光を反射させたかと思うと、内側から弾け飛んだ。大粒の水玉がわたしたちの頭に降りかかった。
渦のあった場所に、巨大な青いドラゴンが立っていた。
「奥……様……?」
そう言ったわたしの顔は、さぞ間抜けに見えたことだろう。
ただ、狼狽しきったロックフィード伯爵よりかは、まだ見苦しくはなかったと思いたい。
「なっ、なななな、なっ、何っ??!!」
伯爵は上等そうな乗馬服を泥だらけにしながら這いずっている。他の取り巻き連中も似たようなものだった。
「助けてくれぇー!!」
「ママー!!!!」
「あんたらのせいでしょっ?!」
何がママだと怒鳴っちゃったけど、そんな場合じゃない。
奥様(?)が変身したドラゴンは、よく見てみると顔はそんなに怖く無い。どこかのっぺりしていて、つぶらな目をしている。
ただサイズは本物のドラゴンと同じで、20ヤート近くになるだろう。暴れられたらひとたまりもない。
そんなドラゴンの鼻先に、赤い魔力の玉がぶつかった。「いたっ」と言うかのように竜が少しだけ首をのけぞらせた。
「よ、よしっ、効いたぞ!」
見ると、ロックフィード伯爵が杖を突き出して光弾を連射していた。腕がぶるぶると震えていた。
本人は、どうやら効いたと思い込みたいらしい。
竜は鉤爪のはえた手で顔をさすっている。魔力の玉が青い鱗に当たっているけど、そちらは歯牙にもかけない。
「あんたいい加減に……!」
引っ叩いてやめさせようとしたけど、遅かった。
ぬっ、と竜の首が降ってきたと見えた次の瞬間、ロックフィード伯爵の上半身がぱくりと咥えられていた。
「えぇ……?」
不覚ながら、頭が真っ白になった。
わたしが固まっている間にも、竜は口の端っこで馬鹿をはみはみしながら首を持ち上げた。
伯爵が何か言いながら脚をバタつかせている。
「ダメダメダメ!! 奥様、ぺーってしてください!! ぺーッ!!!!」
わたしの必死過ぎる声が届いたのかどうか分からないけど、馬鹿貴族はわりとあっさりと解放された。
いらないっ、と言うかのように口から放り投げられ、悲鳴を上げながら薮に引っ掛かったのが見えた。一応生きてるっぽいし、胴体もくっついてたから大丈夫。
たぶん。
馬鹿貴族が丸呑みにされる最悪の事態は回避できたけど、状況は全く良くない。
ロックフィード伯爵の取り巻きたちは右往左往するばかりで役にも立たないし、竜は窮屈な森から出て行こうとしている。
もし今の状態でコッツヒルズの村まで行ってしまったら……!
「シライナ、シライナ!!」
「旦那様!?」
辺りを見渡すと、倒木の後ろから顔を出して手を振っている姿が見えた。
そちらに向かって走り出した直後、さっきまでいた場所を竜の脚が通り過ぎていった。
狂乱状態の取り巻きたちがばらばらに攻撃魔法を放っている。竜にはまるで効いていないけど、流れ弾が当たればわたしなんかひとたまりもない。
頭の上を光線と竜の足が通り過ぎていく。わたしは頭を両手で覆いながら、無我夢中で走り抜けた。倒木にたどり着くと旦那様がぐいっと腕を引っ張った。
「これは大変に不味いことになった」
「そう、です、ね……っ!」
口から心臓を吐き出しそうになりながら、何とか返事をした。木に背中を預けてなんとか呼吸を整える。
酸欠気味でチカチカする目を開くと、足元には、白目を剥いたロックフィード伯爵が横たわっていた。
「うわっ」
「気絶しているだけだ。大事ない」
別に心配したわけじゃないですけど。
どうにかまともに息ができるようになった時、ひときわ大きな音がわたしたちの鼓膜を貫いた。誰かがより強力な術を使ったのか、竜の上半身が爆炎に包まれていた。
「奥様!!」
背中に冷や汗が浮いた。変化しているとはいえ、あれはイルマ奥様に違いないのだ。
「いいぞスペンサー卿!」
「やったか!?」
無責任にはしゃいでいる貴族たちを睨みつけた。
でも、煙をかきわけながら現れた竜には、やっぱり傷ひとつついていなかった。貴族たちの顔が凍りついた。
ひとりまたひとりと、竜の指に摘まれては投げられ摘まれては投げられ、あっという間に決着がついてしまった。
正直、奥様が撃たれ続けているのを見るのは嫌だったから、少し安心した。景気良く魔法を撃ってた連中も、全員が薮か草むらに投げ込まれてるから、死んではいないだろう。
で、問題はどうやって奥様を人間に戻すか。
「シライナ、あの竜の中心が見えるか?」
「中心……あっ!」
旦那様の指は真っ直ぐに竜の胸のあたりを指している。
その奥に、薄く人型のシルエットが見えた。
よく観察してみると、竜の身体もちゃんと実体をもっているわけじゃない。水流のように青い魔力が循環しているのがわかる。
その源は、竜の中心に囚われた奥様だ。
「あの竜はイルマそのものではなく、暴発した大魔法が変質したものだ。時間が経てば術式が崩れ、竜も消えてなくなるだろう。問題は……」
「それまでここにいてくれるか、ですよね」
と言ってるそばから、竜はのしのしと木々を踏み分けて進んでいこうとしている。
竜にとっては散歩感覚でも、人間からすれば地震が歩いているようなものだ。足が地面につくたびに枝が揺れて、驚いた鳥たちが暗くなりかけの空に逃げていく。
「……シライナ、君はここに残れ」
「どうするんです?!」
「あの中にいるのは吾輩の妻だ。どうにか助け出すさ」
そう言って旦那様はコートの裏から杖を引き抜いた。
プラチナを棒状に伸ばしただけの、一切飾り気のない杖。のっぺりとしていて、それが逆に武器としての不気味さすら感じさせる。
わたしは、咄嗟に旦那様の腕を掴んでいた。
わたしには見えていた。
白く輝く杖にまとわりついた、穢れに満ち満ちた魔力を。
無数の蛇のように杖の周囲を這い回り、その下にある旦那様本来の魔力を抑えつけている様を。
「ダメです、旦那様!」
出せる限りの大声でそう叫んだ。
こんな状態でまともに魔法を使えるはずがない。
発動できないだけならまだ良い。最悪なのは、旦那様自身の魔力と呪いの魔力が、より強く結びついてしまう事態だ。そうなったら、猫になるどころか、全身が本物の怪物に変化するかもしれない。
奥様を救い出せたとしても、旦那様が化け物になってしまったら意味が無い。
「シライナ、しかしな……!」
旦那様が腕に力を籠めた。頭以外はスマートな外見からは、想像もできないほどに強い力だった。成人男性の、それも軍隊で鍛えていた人の力に、わたしが勝てるはずがない。
それでも、両手で旦那様の杖を抑え込んだ。
「わたしが何とかします!!」
旦那様のオレンジ色の瞳が大きく見開かれた。
でも、旦那様以上にわたし自身が驚いていた。こんなに大それたことを言うなんて。
まともに大魔法も使えない、半人前の白魔女が。竜になってしまった人を救い出すなんて。
だけど。
「やれます、わたしが……だから、任せてくださいっ!」
やりたい。
助けたい、役に立ちたい。
この人たちのために。
ずっと磨いてきた白魔法で。
仕事を見つけなきゃいけない、奨学金を返さなきゃいけない。差別をはねのけたい、強い自分になりたい、自信を持ちたい、居場所が欲しい!!
だけど、そんな自分の事情なんかよりも、いまわたしがやりたいのはこの二人を助け出すことなんだ!!
全部が終わった時に、もう片方が倒れていたら何の意味もないのだ。だからわたしが何とかする。実力不足でも何でも、ともかくどうにかする!
「……勝算があるのだね?」
わたしは強く頷いた。嘘じゃない。心もとないけど切り札はある。
もたもたしている余裕は無い。竜は木々をかき分けて、森から出て行こうとしている。人里についてしまったら間違いなく大騒ぎだ。
それが分かっているから、旦那様も長くは迷わなかった。一秒か、二秒か。そして、杖を握る腕から力を抜いた。
「……任せるよ、君に」
「ありがとうございますっ」
「それで作戦というのは一体」
はい、と答えて、わたしは左手に移植していた宿り木を引き抜いた。
「まずこれを馬鹿貴族の頭に植えます」
えっ、と旦那様が言った時にはすでに、わたしは白目を剥いたロックフィード伯爵の頭頂部に宿り木の枝をぶっ刺していた。




