Part7:もう病気じゃん
決して威圧的な声音ではなかった。けれど、有無を言わせない厳しさがあった。
いきなり現れた猫頭の紳士に、男たちが馬上でたじろいだ。
それでも人数がいることに気を取り直したのか、ロックフィードは作り笑いを浮かべ直した。
「……ああ、カートレット男爵でしたか。一瞬本物の妖怪かと思いましたよ。どうやら今日もご苦労なさっているようですね」
「抜き身の杖を振り回すなど、学院の生徒でもやらないことだ。ましてやエンリス市民の淑女に攻撃魔法を撃つなど、貴族のすることではない」
ペチペチと頬を叩くような侮辱に対して、旦那様はまるで動揺しなかった。声は少しも震えず、伸びた背筋は小動ぎもしない。
「シライナ、大丈夫!?」
水を蹴って走ってきた奥様が、服が汚れるのも構わずにわたしを抱き起した。だけならまだしも「怪我は!?」「骨折れてない!?」とあちこちぐいぐいと引っぱるものだから、そっちの方が痛いくらいで、思わずちょっと笑ってしまいそうになった。
それをこらえられたのは、場の雰囲気が加速度的に悪くなっていたからだ。
「……貴族ではない? 私が?」
「ロックフィード伯爵。今すぐ下馬、脱帽のうえ、ミス・エルフィンストーンに謝罪せよ。貴族として、いや、人として筋を通せ」
旦那様の促しをさえぎるように、取り巻き立ちが馬を前に進めた。
「冗談も休み休み言ってほしいですなぁ、男爵殿。なぜ名誉あるロックフィード伯爵が、卑俗なミストル人の小娘に頭を下げねばならないのです」
「コッツヒルズは初代ロックフィード伯が時の国王陛下より下賜された土地。この森も本来は伯のもの。決して賎民ごときがうろついて良い場所ではない!」
男たちは、少し暗くなりはじめた森のなかでもそうと分かるほど顔を赤くしていた。
でも、どれだけ居丈高で強圧的な言葉で迫ろうと、旦那様は一歩も退かなかった。まるで大人が子供にじゃれつかれているみたいに、馬上で声を荒げる男たちを平然と見返している。
「貴族とは行動と気品によって規定されるものだ。淑女に暴言を吐くことは紳士として決して許されない。それにコッツヒルズ全体が伯の領地だったのは、もう二百年も前のことだ。ここはエンリスの国土の一部であり、従ってエンリス人としての倫理と正義が適用される場所である」
旦那様は正論を仰る。
けれども、無駄だと思う。この連中に理屈は通じない。だってこいつらは、人を侮辱すること自体を目的にしているのだから。そんな連中が、叱られたからといって素直に「ごめんなさい」を言えるとは思えない。
きっと旦那様も分かっているはず。分かっていて、それでも言わなければならないし、どんな結果になったとしても後悔なんかしないのだろう。
旦那様はそれで大丈夫なのかもしれない。けど……。
「あ、あの、旦那様! 申し訳ございません、わたしすぐに帰ります!! だからどうか」
きっとこの人は一歩も引かない。
本物のエンリス紳士として、徹底的に争うだろう。
それも自分自身のためなどではない、今日会ったばかりの人間の名誉のために。
だけどそれは、何も得るところのない戦いだ。むしろ土地の有力者との関係を完全に壊してしまう。百難あって一益も無い。
そんな迷惑をこの人たちに被らせることはできない。
「……慣れて、ます。こういうこと……別に、今に始まったことじゃありません。お二人に迷惑をおかけするわけには……」
「ははっ、少しは身の程をわきまえてるじゃないか! カートレット男爵、彼女自身もこう言っているじゃないか!」
男たちの嘲笑う声が降り注ぐ。
旦那様は少しも身動きをしない。表情も見えない。
きっと、失望された……。
「顔を上げなさい、シライナ・エルフィンストーン」
有無を言わせない口調だった。わたしはほとんど反射的に頭を持ち上げていた。
奥様の、ぞくりとするほど美しい顔が、まっすぐにわたしを見つめていた。その銀色の瞳に宿った激しい怒りも。
「自ら価値なしと称する者に、勝利は永久に訪れない。王のサガにもそう書いてあるわ。貴女の価値を蔑める者とは徹底して戦いなさい」
「で、でも……」
戦ったことなんて一度もない。ましてや貴族なんかと。
そもそも戦うって選択肢を選んだ時点で破滅するのは目に見えてる。さすがに、そこまで向こう見ずにはなれない。
「できません、わたしには……!」
失望されたくない。嫌われたくない。
だけど、いまのわたしにとれる最善手は、少しでも波風立てずにこの状況を切り抜けることだけだ。
(この人たちのところで働きたかったなぁ)
素直にそう思っている。だから手を引かなければならない。
「シライナ……分かったわ」
奥様が静かにそう言った。
これで良いんだ、これで……。
「貴女がやらないなら私がやる」
えっ、と止める間もなく奥様は立ち上がり、腰の杖帯からレイピアのように長い杖を引き抜いていた。
奥様は本気だ。
やる、と言ったのとほぼ同時に、この場を包む魔力の質が変わったのを感じた。
まだ波紋が残っている泉の水面に小さな渦がいくつも巻き始めた。魚たちが異変を察知して水から逃げようと飛び跳ねた。風も無いのに木々が揺れ動いている。
「あ、あの、奥様?」
さっきとは違う意味で困惑していた。
わたしだけじゃない。旦那様がギョッとしたように振り返り、ロックフィード伯爵たちも何事かと顔を見合わせている。彼らの乗っている馬たちがたたらを踏んでいた。
「他人への侮辱を見過ごすのは、自分も侮辱に加担したのと同じ! ノルディアの血に賭けて、受けて立つわ!!」
やばい、なんかすごいヒートアップしてる。波風立てないどころか嵐が来る。
だって、エプロンの端っこにいたクジラとペンギンたちがジャンプして、わたしのスカートに避難してきたから。
旦那様を見ると、顔中の毛を全部逆立ててブルブル首を振っていた。
奥様は杖を高く掲げて詠唱に入っている。意識から切り離された右腕が機械のように激しく動き、杖の先が宙に術式を描き出していく。唇からは詠唱の呟きが過たず唱えられていた。
本来杖も呪文も要しないほどの魔術師が杖を抜く。それだけで、のっぴきならない事態だ。
ってか、一体何をぶっぱなそうとしてるんです???
「……諸君悪いことは言わない。というか頼むから帰ってくれ、頼む」
さっきまでの格好良い旦那様はどこに行ったのかってぐらい怯えている。騎乗した成人男性四人に一歩も引かなかった旦那様の腰が引けていた。
その豹変ぶりと事態の異様さに、さしものボンクラ貴族たちも若干毒気を抜かれている。
「えっ。……いや、はぁ。しかしその、なんです、我々にも貴族の矜持というか」
「そう易々と引き下がるわけにはいかないと言いますか……」
「大事にはならんでしょう、たぶん」
そりゃイキった手前、引っ込みつかないんだろうけども。
「どう考えてもそんな場合じゃないですよ!」
「そうだぞ! ウチの奥さん怒ったら怖いんだよ!!」
すみません帰ります。
最初にその賢明なアクションを起こしたのは、馬だった。
四人のおマヌケ貴族をぽいっと振り落とすと、一瞥もくれずに木々の間を走り去っていった。男四人が湿った土の上に尻餅をつく。
とくにロックフィード伯爵。たぶん落馬したのは生まれて初めてなのだろう。潰れたカエルみたいに腹這いになって落ちた。それで、膝立ちになってるわたしよりも目線が下になった。
「お前ェ!! 私を見下ろすなァ!!」
「もう病気じゃん!!」
「頼む、頼むから。本当に怪我しないうちに帰ってくれ頼む!!」
「雷霆、雪風、颱風、氷山、波濤、極光……」
天にまします聖女様から見たら、この馬鹿どもはなにゆえ大嵐を前に歪みあっているのかと不思議でしょうがないだろう。
でもやはりというべきか、一番馬鹿なのはロックフィード伯爵だった。そして旦那様はどこまでも紳士だった。
だから、奥様が大魔法をぶっぱなして何もかも洗い流す以上に悪い事態になった。
「喰らえ、無礼者!!」
「ちょっと?!」
「いかんッ!」
馬鹿貴族の撃った攻撃魔法は、真っ直ぐわたしに向かって飛んできた。
射線が分かりやすくて、何より真のエンリス紳士である旦那様は身を挺してわたしを庇ってくださった。
ところで呪いというものは基本的に解呪、すなわち他の魔力の介入を拒む性質を持つ。呪いそのものは被術者を害するけれど、他の魔法からの防壁としても働く場合がある。
でも、狙ってそれをやろうとする人はいない。
なぜなら呪いの一部をビリヤードのナンバーボールみたいに拡散させてしまうから。だから絶対にやっちゃいけない。
もしそれが、発動寸前の大魔法みたいな大規模で複雑な術を組んでいる人に当たったらどうなるかって?
大惨事になる。




