Part5:わたしのやるべきこと
カートレット夫妻の邸宅を出て、わたしたちは共同墓地のなかをまっすぐに進んでいた。
すこし赤みの混ざり始めた日光が墓石を照らしている。ほとんどはエイリス国教会の様式に沿ったもので、墓石の中心に短い聖句と紋章が刻まれている。
荒れ果てているお墓はひとつもなかった。
「綺麗なお墓ですね。シティとは大違いです」
死体を放り込むだけの場所と化している首都の共同墓地とは比べ物にならない。
「ええ、毎朝ちょっとずつお掃除をして回っているの」
「奥様がなさっているんですか?」
「あのお家の、前の大家さんと約束したのよ。まあ自分の家先のことですもの。それくらいはしないとね」
魔法を使えばちょちょいのちょいよ、と奥様は箒をはくような仕草をした。左腕に提げたバスケットが揺れた。
それくらいは、と軽く言うけれど、貴族の奥方で朝からお墓の掃除に精を出すような人をわたしは他に知らない。
昔ほど爵位というものが力を持たず、シティの銀行家や実業家の方が裕福であることも珍しくなくなったけれど、それでも貴族は貴族だ。下々の人間のような仕事はせず、かえって人を使うことが良しとされる。
ことに、墓地の管理などは。
「どうかね、ミス・エルフィンストーン。君の目には何か見えるかい?」
旦那様の質問の意味を、わたしは即座に理解した。
「いいえ、ゴーストはいません」
だろうとも、と旦那様はうなずいた。
そう、手入れのなされていない穢れた墓地は、悪い魔力の吹き溜まりになる。未練を残して死んだ人の魂が絡めとられて、ゴーストと化してしまうこともある。
「シティの方はどうかな。吾輩も、もうずいぶん戻っていないのだが」
「あまり綺麗な場所ではありませんね」
「ふーむ」
「下町の治安は悪くなる一方ですし、テミス川の水は汚いままです。貴族の方々も、社交シーズン以外はすぐに領地に帰られます」
「吾輩がいた頃もそうだったよ。十五歳から軍の幼年学校に入ってね。あとは軍人としてまあ順当に……」
「軍人でいらっしゃったんですか?」
「ああ。猫になるまではね」
笑っていいところなのだろうか。
「猫ちゃんのままでいいのよ、ハーヴェイ」
奥様が振り返ってそう言った。
「そうはいくまいが」
「私は好きよ? 貴方がその頭のまんまでも。でも、もう軍人はお辞めになってね?」
「君の言う通りにするよ」
朗らかな口調とは裏腹に、珍しく奥様の表情が(本当に)硬く見えた。
何かがあったのだろうと読み取るのは簡単だった。でも、それはわたしが踏み込むべきことではない。少なくとも今はまだ。
「ところでミス・エルフィンストーン。さっきテミス川の水のことを言っていたが、やはり気になるかね?」
「はい。水はそれ自体が優秀な霊媒です。魔力の働く場として、清らかな水が流れる場所の魔力は浄化され、不浄な場所の魔力は穢れていきます」
魔力には「良き力」と「悪しき力」がある。
魔力は血液と似ている。心臓から出たばかりの動脈血と、全身を巡り終えた静脈血、そういうイメージだ。
綺麗にすれば再び全身を流れる動脈血として働き、逆に滞り続ければどんどん濁っていく。
そして面白いことに、人間の体内に宿った魔力は、それこそ本物の血液同様水の流れに沿って巡るとされている。
「呪いは悪しき魔力が滞留する現象です。都市全体の水が濁るということは、間接的に、そこに住む人々全員が呪われているとも言えます」
旦那様はため息をついた。
「嘆かわしいな。国王陛下のおわす街だというのに」
「わたしが学院に入る少し前までは、テミス川の水も綺麗だったんですけど……」
「それは川の会が活動していたからよ」
奥様が断言した。
「川の会?」
「そう。魔導学院有志によるテミス川の水を綺麗にする会。略して川の会」
「はあ。そんな会があったなんて知りませんでした」
「広報まで力が回らなかったの。ちなみに会長は私よ」
えっ。
「初耳だよイルマ。確か君は決闘部の部長と家裁研究会会長と史学研究会名誉会員を兼任しながら実技学年一位をキープし……」
ちょっとちょっと。
「理論分野で落第ラインすれすれを突っ走りながら最後は衝動的に戦場記者になって学院を中退して教授連の頭を抱えさせた超問題児だったんじゃないのかい?!」
破天荒か。
「……そういえば実技の採点基準が厳格化されたり、部活の掛け持ちは二つまでってルールができたり、進路指導でやたらと落ち着きの重要性が説かれるようになったのは、ある問題児が暴れ倒したからだってまことしやかに囁かれていましたが」
「たぶん私のことね」
ふんっ、と鼻から息を吐きながら奥様が言った。
うん、なんか全部合点がいく。この人ならやりかねない。でもちょっと不可解だ。
「それだけ爪あ……ごほん、伝説を残したなら、わたしの代にも奥様の名前が残ってそうですけど」
「逆だな。イルマのような前例をそのまま残しておいたら、以降どんな奇行に走る生徒が現れるか分からんからね。中退したのを良いことに名前は徹底的に隠蔽されたんだろう」
「鎧の傷、斧の刃毀れは雄弁なり。戦士のサーガにもそう書いてあるわ。名前より、大事なのは行動そのものよ」
「君が行動派であることは重々承知しているが、少しは躊躇いとか後先ってものをだな……」
「でも、私が後先考えずに戦場に行ったお陰で、こうして結婚できたでしょう?」
「うむぅ」
旦那様、負けた。
この分だと、どんな議題になっても最後は「でも私と結婚できたでしょう?」の一言で全てケリがついてしまいそうだ。というか、たぶんなってる。
(凄い自己肯定感)
正直ちょっと、いや……かなり羨ましい。
わたしも一度くらい、堂々と奥様みたいな物言いをしてみたい。
いや、しなくちゃいけない。
あまり自分に自信は無いけれど、いくつか自慢できることはある。
そのひとつが白魔法だ。
「さあ、話している間に着いてしまったね」
言い負かされたバツの悪さを誤魔化すように、旦那様が言った。
目の前にオークやブナ、トネリコの立ち並ぶ森が広がっている。日差しに当てられた枝葉が輝いていた。
古い森に見えるけれど、ちゃんと人の手も入っているようで、ただ無造作に木々が立っているわけではない。木立の間から湿った土の匂いが漂ってくる。
「どうかね? 期待通りのものはありそうかい?」
「はい、ここなら確実にあります」
古く豊穣な森には魔法の源泉がある。昔から白魔法使い、そしてミストル人は森を中心として魔法を磨いてきた。
わたしはブーツの紐を締め直して、森の中に踏み込んだ。
狩人や木樵が使っているのか、細い道が伸びている。もちろん舗装なんてされてないから歩きにくいけど、一から道を作ることに比べればなんてことない。
後ろを振り返ると、二人も案外楽々とついてきている。旦那様は元軍人ということで不整地に慣れているようだし、奥様に至ってはちょっと鼻歌混じりだった。
最近流行りのデイ・ドレス姿とはいえ、森歩きには絶対向かない服だ。それでもこの人なら何故かズンズン歩けてしまうのだろう。なんかもう、そういうことなのだ。
何よりエプロンのなかのクジラやペンギンがルンルンしている。
相変わらず表情からは感情が読み取れないし、普通に考えたら「こんなとこ歩かせやがって」と無表情になってると思ってしまうだろう。でもこの人の場合、いま本当に楽しんでいるというのが分かるようになった。
ふと思ったことが口について出ていた。
「あの、お二人はご旅行に行ったりとかは……」
この馬鹿。間抜け。
自分の迂闊さをなじっても、一度出てしまった言葉は消せない。
そして二人は、これくらいで怒ったりする人たちではないのだろう。
でも一瞬、灰色猫の旦那様がちらりと奥様に視線を向けたのを、わたしは見てしまった。
「いや……なかなかだね」
旦那様は何事もないかのようにそう言った。
わたしは「申し訳ありません」と口にできなかった。
言ってしまったら、旦那様の気遣いを無駄にしてしまう。なんてことのない質問だと流してしまおう、旦那様の返事はそういう提案だった。
ある意味、回りくどいエンリス人らしい会話だ。
「私は行きたいわよ、新婚旅行」
奥様がはっきりとそう言った。
わたしも旦那様も虚を突かれたように固まってしまった。
イルマ奥様は目元と口元を少しだけ緩めていた。きっと、笑うのが苦手なのだろう。そんな奥様の、精一杯の微笑みだった。
「ねえ、ハーヴェイ。貴方の呪いがとけたら、きっと、一緒に行きましょう?」
「……いつになるか分からないよ?」
「ええ、いつになったって構わないわ。貴方だってそうでしょう。だから、誤魔化したりなさらないで」
「そうだね」
旦那様は小さく息を吐いて、肩をすくめた。わたしと目線を合わせてから、奥様をちらりと見やる。「こういう人なんだよ」と言っているようだった。
「さあ、先に進みましょう。こんなところじゃ敷物も広げられないわ」
そう言って奥様はわたしに進むよう促した。わたしは頷き、再び歩き始めた。
(わたしの、やるべきことって)
頭の片隅にひとつの考えが浮かんだ。ぼんやりとしたアイデアが浮かんでいるだけで、まだうまく言葉にできないけれど、わたしはいま、たしかにひとつの答えを掴みかけていた。
わたしが真の白魔女になるために。
わたし自身の居場所を……この人たちのように作るために。
そのために、やらなければいけないこと。
やがて小道が途切れて目の前に小さな泉が現れた。その汀に、歳を重ねた巨大なオークの樹が聳え立っていた。
「……みつけた」




