Part4:こういうテストを待っていました
「驚かせてしまって申し訳ない。玄関の前までは何とか人の姿を保っていたのだけれどね」
「はあ……」
このうえなくエレガントな声で、猫頭の紳士はそう言った。
「あの、イルマ奥様、呪いってもしかして」
旦那様のティーカップにお茶に注いでいる奥様にたずねると、相変わらずの無表情でこくりと頷いた。
「見ての通りよ。ハーヴェイは呪われてしまったの。それも、かなり強力な術でね」
……それは間違いない。
さっき一瞬感じた不気味な魔力。今まであんな禍々しい呪いの気配を感じたことは一度もない。
どこまでも深く、そして複雑にこの人の魂に絡みついている。
はずなんだけど。
「あちっ、あちちっ! イルマ、ちょっとミルクを持ってきてくれないかい?」
「あらごめんなさい。猫ちゃんモードの時は熱いのはダメだったわね」
灰色猫な旦那様は、本物の猫みたいなザラザラした舌をちろっと出してひーひー言っている。
奥様も奥様で、パタパタとキッチンに走って行って、すぐに冷えたミルクの入った瓶を持って帰ってきた。
……なんだかなぁ。
「ミス・エルフィンストーン。いささか緊張感が無いかもしれないが、吾輩、これでもかなり困っている」
わたしの脱力ぶりを察したのか、旦那様がオレンジ色の瞳をキラッと閃かせて言った。わたしは突かれたみたいに背筋を伸ばした。
「し、失礼しました!」
「仕方ないわ、ハーヴェイ。だってこんなに可愛い猫ちゃんなんですもの」
奥様が旦那様の頬っぺたを摘まみながら言う。「こらっ、やめなさいっ」と口にしてはいるものの、猫ゆえなのか、喉のあたりがゴロゴロ鳴っていた。
ふたたび弛みかけた空気を切り替えるように、旦那様が大きく咳払いをした。
「ンッンッ、ごほんっ……さて、ミス・エルフィンストーン。いちおう今日は面接ということになっているのだが、吾輩はご覧の通りの有り様だ。
きみのように魔力感度の優れている人間には、存在そのものが害になりかねない。
色々資格を持っているようだし、イルマの家事手伝いからいずれは財産管理の仕事までできるかもしれないが、呪いのせいで毎日立ちくらみに襲われては仕事にならんだろう?」
そこでだ、と旦那様は言葉を区切った。
「当家のプライム・メイドとして雇うに際し、ひとつテストをさせてもらおう。
吾輩の呪いの影響から、きみ自身の身を守ってみなさい。
一魔導士として我々の期待する水準にあるならば、ぜひとも提示した通りの報酬で働いてもらいたい」
さっきの気まずさとは異なる、本物の衝撃がわたしの胸を突いた。
旦那様は、わたしと自分たちの間に壁を作った。
けれどもそれは、今までの面接先で突きつけられてきた理不尽な壁ではない。わたし自身の力で覆せないものではない。
むしろその逆。
わたしの力を試し、ふさわしい力量があるかを示せと言っている。
返事は決まっていた。
「ぜひ受けさせてください、ミスター・カートレット」
灰色猫のオレンジ色の瞳を真正面から見返して、わたしは言った。旦那様は「結構」と優雅に言いつつ頷いた。
「意地悪なのね、ハーヴェイ」
旦那様のピンと伸びたヒゲを引っぱりながら奥様が言った。
「学院の教授方は厳しいわ。こんな成績表は簡単には出してくれないわよ?」
「理論と実践は別物さ。実地の状況に合わせて術を使うのも、魔導士の大切な資質だよ」
「もう、堅物ね……ごめんなさい、ミス・エルフィンストーン。この人頑固なの」
奥様はそう言う。
でも、むにーっと片方の頬を引っぱられながら澄まし顔でミルクティーを啜っている旦那様を見ると、全然そうは思えない。
「大丈夫です、イルマ奥様」
わたしは奥様の銀色の瞳を見つめ返した。
「旦那様のおっしゃる通りです。白魔法を修めた者として、絶対に合格してみせます」
ふだんはしないような言い方だな、と我ながら思った。もともと、そんなに自分に自信を持っているタイプではない。
学院で資格を集めまくったのも、大魔法習得に替わるものが必要だったという理由はあるけれど、どこかで不安を抱いていたからだ。
でもいまは怯えていられない。
「……良き船乗りは斧を手放さない」
奥様が何かの格言を呟いた。古語ということは分かるけれど、耳馴染みのない言葉だった。
「竜船人の格言さ。イルマはかの勇壮なヴァイキングの末裔なんだ」
「奥様が!?」
竜船人。文字が示す通り、竜の飾りのついた船を操ってエンリス島北方を荒らしまわった海賊の一族だ。
もう何百年も昔の話だけど、剣や斧や弓でエンリス人を恐怖のどん底に叩き込んだという。今でもエンリス島北部の漁村では、悪さをした子供を叱る時に「竜船に乗せられるよ!」と脅すのだとか。
そんなヴァイキングの一族も、今ではエンリス王国の構成員として社会に溶け込んでいる。奥様はそのひとりということだ。
言われてみれば、奥様の銀色の髪も瞳も、エンリス島北部に住んでいる少数民族の特徴と一致する。
でも、氷の女王のような見た目の奥様と、髭もじゃのむさくるしいヴァイキング像とがいまいち結びつかない。
「意外だろう? でも、イルマもこう見えて結構激しいところがある。そこがまた」
「ハーヴェイ。余計なことを言わなくていいの」
ぴしゃりと怒られても、旦那様は笑いながら「すまないすまない」と流すだけだった。そして「さて」と話を戻した。
「ミス・エルフィンストーン。何か準備が必要かね? あるいは今日は一旦出直すか」
「そうですね」
わたしはお茶の入ったカップを見つめながら少し考えた。
呪いの影響を軽くする方法。まさに白魔法の得意とするところだ。
でも得意技であるだけに選択肢が多い。効くかどうかより、どれが一番効くのか。それを考える必要がある。
(そういえば、どうして奥様は呪いの影響を受けないんだろう?)
いまでも旦那様にかけられた呪いの気配を感じる。旦那様は涼しい顔をして座っているけれど、きっと必死に抑え込んでいるのだろう。
その抑止力がなくなったら、たちまちわたしは強烈な呪障に襲われ、最悪倒れ込むかもしれない。
ひるがえって、奥様だ。
呪いの瘴気は精神に蓄積され、やがて肉体まで蝕む。
でも奥様は、表情こそ全然変わらないけれど少しも弱っているように見えない。むしろ溌溂としている。呪いにやられた人に午後のお茶会なんて開けないし、美味しいスコーンだって焼くことはできない。
と、なると。
「あの、奥様の適性は水魔法で間違いないですか?」
「ええ。それ以外はからきしよ」
やっぱり。
「なにか防御術式は使っていますか?」
「いいえ、なにも特別なことはしていないわ」
奥様はけろっとそう言い放った。そして、たぶん本当にそうなのだろう。
この世界では誰もが大なり小なり魔力を宿している。
魔力にはそれぞれ色がある。赤なら火、緑なら風、青なら水と、色に応じて自然現象に作用する。
そして人間の魔力適正は、最も濃い色として現れる。イルマ奥様の魔力は、思った通り蒼穹のように強い色合いをしていた。
「気づいたかね」
旦那様の言葉にわたしは相槌を打った。奥様はきょとんとした顔で首を傾げた。
「イルマの魔力は別格だ。単純な魔力量だけなら王の親衛隊も敵わない」
「それに、ここまでひとつの属性だけに特化している方も珍しいと思います」
「ほう、そこまで分かるか。どうやらよほど良く見える《《眼》》を持っているらしいね」
「ねえ二人とも、仲間はずれはイヤよ」
旦那様のモサモサした首を撫でながら拗ねたように奥様が言った。
「つまり、君が吾輩のそばにいられるのは、君の膨大な魔力で呪いを跳ね除けているから……ということさ」
「まあ。そうなの?」
うん、とわたしと旦那様は揃って頷いた。
「というかイルマ、君だって気づいていたんじゃないか?」
「わざわざ考え直したりしないわ。効かないなら効かない、それでいいじゃない」
「良くはあるまいが」
「いいのいいの。愛の力よ」
「よしなさい、人前で」
もう見てらんないくらい甘々だった。
そしてびっくりするほど大ざっぱなイルマ奥様。
なるほど、ヴァイキングの血筋はこうやって残ってるのね……矢に当たっても死ななきゃ無傷、的な。
でも奥様の場合、本当に無敵のバリアを持ってるのかもしれない。
「旦那様、呪障を軽くする方法、ひとつ思いつきました。この近くに森か林はありますか?」
「ああ、裏の墓地を抜けていった先にあるが」
ちらりと時計を見る。まだ三時半。今の時期なら日没は七時前くらい。十分に勝算はある。
「少し出かけてみようと思います。それと、申し訳ないのですが手斧かナイフをお借りできますか?」
「構わんよ。イルマ、持ってきてあげてくれ」
「はい」
ぱたぱたと奥様が部屋の外へ走っていった。その背中に向けて旦那様が「ゆっくり行きなさい!」と声をかける。奥様も「はーい」と壁の向こうから返した。
「……やれやれ。驚くだろう? あの顔立ちであの落ち着きの無さなのだから」
「いえ。とても、その、チャーミングな方ですね」
「まあね」
自分が褒められたみたいに旦那様はヒゲをぴくぴくと揺らした。
(……本当に仲が良いんだなあ)
このお宅にお邪魔してからまだ数時間しか経っていないけれど、お二人の間に深い信頼と愛情が結ばれているのがよく分かる。
こんなに重い呪いをかけられた人と一緒に居続けること。
奥様にとって決して軽い決断だったとは思えない。
それに旦那様だって、自分の呪いにイルマ奥様を付き合わせる決断を、決して軽く下したとは思えない。
『いつかおまえにも、一緒に傍に居続けてくれる人が現れるわ』
いつだったか、泣いて帰ったわたしの頭を撫でながら、メラーズ先生がそう言ってくれた。
愛の基本は一緒に居続けることだっていつも言っていた。
どんな幸せも、どんな希望も、どんな成長も、全てはそこから始まっていくんだって。
「ところでミス・エルフィンストーン、一体どんな策を思いついたのかね?」
つい物思いにふけっていると、旦那様にそう聞かれた。隠す必要もないので答えようとしたところ、ちょうど奥様が戻ってきた。
片手には無骨なハンドアックス。そしてもう片方の腕にはバスケットを提げていた。
「せっかくだわ、御菓子やお茶も持って行きましょう」
「え、一緒に行くのかい?」
「もちろん」
相変わらず奥様は無表情のままだった。わたしはエプロンの方を見た。
クジラとペンギンたちが「ピクニック! ピクニック!」と泳ぎ回っていた。




