Part2:名物、鱒のフィッシュ&チップス
「なるほど、それでアスター家に行くことになったと」
事務机に視線を落としながら、旦那様は淡々とした口調で言った。
約束の日の午前中、わたしはハリエット様のところ……ではなく、先に旦那様の事務所を訪れた。
ハーヴェイ・カートレット男爵のお仕事はコッツヒルズの退役軍人担当室長。つまりは国のお役人さんで、肩書通り軍務を退いた人たちや戦死者の遺族のために働いている。退役軍人だったというハリエット様の伯父様について尋ねるには、まさにうってつけの人なのだ。
事務所はコッツヒルズ駅前の一等地。とはいえ田舎町なので、窓から見える風景はのどかなものだ。平日の十時ともなると汽車の発着もまばらで、一時間おきに十数人の乗客がちらほら駅から出てくる。そのうちの一人か二人が事務所を訪れる。
今でこそわたしが結界を張った影響で、日中の猫化と呪障も抑えられている。じゃあこれまでどうしていたかというと、担当している軍人さんや首都の役人たちと全て手紙でやり取りしていたらしい。
かなり無理がある体制に思えるし、実際、顔を付き合わせての面会は隣町の人に頼んでいたのだとか。
「吾輩も傷痍軍人のようなものだ。ある意味うってつけの仕事だろう」
以前にそんなことを仰っていた。
でも決して国からの恩情でポストを用意されたのではない。それはカートレット家に私的に送られてくる感謝状や、年金の増額を訴える嘆願書の多さからも読み取れる。
そして今もまた、旦那様は人間の顔のままで熱心に書類を読み込んでいた。
「グレアム・アスター卿には一度だけお会いしたことがある。まだ吾輩とイルマがコッツヒルズに越してきたばかりのことだ。当時は呪障が酷くて、イルマ以外に誰もまともに近寄れない有様だったのだが、あの方だけは違ったな。姪の友人が越してきたのだからと、二十年物の良いウイスキーを持ってきてくださったよ」
万年筆を手元に引き寄せながら、旦那様は少し懐かしそうにそう言った。
「立派な紳士ですね。ハリエット様は変人と呼ばれていたと仰っていましたが」
「いや、変人は変人だろう」
「え」
「考えてみたまえ。当時の呪障の重さは尋常ではなかったし、田舎貴族の間での噂話は汽車より早く広まるものさ。我が家の状況は当然把握していただろう。にも関わらず、首から上が猫になった男の家に痩せ我慢をしながら踏み込んで、四時間ぶっ通しで過去の武勇伝を話し続ける人が、普通の紳士なはずがないだろう」
「えぇ……自慢話をしに来たんですか?」
「それもちょっと違っていてね。客観的には自慢話かもしれないが、グレアム卿にとっては後進に対するアドバイスのつもりだったのだろう。まあ、気遣いはできるが、その表し方にずれがある人だった」
そう言ってから、旦那様はくつくつと肩を揺らして笑った。
気が緩んだのか、整った口元から真横にピンッと猫のヒゲが飛び出した。「おっと」と言ってそれを引っこ抜く。
「面白かったのが、イルマが意外にグレアム卿の武勇伝に食いついてね。グレアム卿もふらふらになりながら喜んで熱弁を振るっていたよ。もっとも……知人や友人を遠ざけていた吾輩にとっても、やはり有り難い訪問客だったかもしれないね」
「では、以降も交流があったのですか?」
「残念ながらそれきりだった。我が家に来られて一月ほど経ってから、内臓の病気が悪化してね。手紙のやり取りは何度かあったし、イルマを見舞いに行かせたこともあったが……衰えた姿を見られたくないと、会わせてはもらえなかったそうだ」
「……普通のお年寄りですね」
「そうだね」
いわゆる硬骨漢と呼ばれた人ほど、弱った姿を見られたくないと言うものだ。
思えばメラーズ先生の最期も、それに近いものがあった。
でも、たとえどれだけプライドが邪魔をしても、やっぱり人は人を求めるものだ。
グレアム卿も、もしかしたらそうだったのかもしれない。
「ありがとうございます、旦那様」
「行くのかい?」
「はい、そろそろ汽車が来る頃なので」
「役に立つ話ができたかは分からないが、ともかく、よろしく頼むよ。何か手助けできることがあれば教えてくれ」
「かしこまりました」
わたしは一礼して事務所を出ると、そのまま駅前のパブ『トラウトハウス』に向かった。お弁当の名物フィッシュ&チップスをテイクアウトしてそのまま切符売り場へ。
時刻表によるとちょうど来る頃だけど、まだ地平線には煙が見えない。
「すみません、スノーフォード行きの列車、遅れてます?」
年配の駅員さんに尋ねると、特に気まずそうな表情もせず「三十分ぐらいですかねぇ」と返された。
機械の故障などではなく、ボイラーに焚べられた炎魔法の出来が悪かったらしい。
「どうも学院出たてのひよっこにやらせたみたいで。すみませんね、お嬢さん」
「いえ、ホームで待たせていただきますね」
学院出たてのひよっことしては、そう返すしかないだろう。
まあ、田舎を走る汽車ではよくあることだ。これを見越して、少し早めに出ていて助かった。
それにお弁当を食べるにはちょうどいい時間配分だろう。本当は車窓から外を眺めながら頂こうと思っていたけど、コッツヒルズののどかな景色を見ながらというのも悪くない。
巻きつけられた新聞紙を解いていくと狐色に揚がったフライが姿を現した。湯気と一緒に、あらかじめ回し掛けされたモルトビネガーの甘酸っぱい香りが立ち昇る。
衣が薄い。でもしっかりと魚の切り身を包んでいる。わざとこういう風に作っているのだ。それもそのはずで『トラウトハウス』のフィッシュ&チップスは店名通り鱒の切り身を使っている。
一般的に首都のフィッシュ&チップスはタラやカレイみたいな白身の海魚を使っている。まあそれは良いとして、工場や工事現場で働くおっちゃん向けなのか、ともかく衣が分厚いくてべちゃべちゃしている。もはや魚を食べているのか衣を食べているのか分からないくらいだ。
付け合わせのモルトビネガーも、油でドロドロに揚がった本体に無理やりさっぱり感を付け加えるため、ともかく酸っぱい物が使われている。ポテトに至っては丸太を食べてる気分になる。
そもそも食材の質が悪い。首都近海でとれた魚は工業廃水をたっぷり吸っていて、生臭い以上になんだか鉄臭いのだ。確かに塩と酢と油で十重二十重にコーティングしないと食べられた物じゃないのかもしれない。不味いポイントを列挙したら無限に出てくる。
ひるがえって『トラウトハウス』名物の鱒のフィッシュ&チップスは、同じ種類の料理に括るのが申し訳ないほどの逸品だ。
衣は薄くからっとしていて、塩味も適度にきいている。バッター液に粉砕したハーブをいくつか混ぜているから匂いも洒落ている。魚も地元の綺麗な川で釣れた新鮮な鱒を使っているから、生臭さは皆無。もちろんビネガーも自家製で、首都の会社が売っている訳の分からない半薬品とは雲泥の差だ。
一度でもこんなフィッシュ&チップスを食べてしまったら、あんな地獄の虜囚向けの食べ物は身体が受け付けなくなるだろう。
そういうわけで結構うきうきしながら魚にかぶりつこうとした時、つんざくような汽笛と車体の揺れる音が響いてきた。
「え、あれ?」
懐中時計を見てみると、さっき駅員さんと話してから五分も経っていない。思わず鼻から息を吐いていた。田舎の列車は運行が適当だって言うけど、早くなったり遅くなったり、本当にあてにならない。
来てしまった以上仕方がないので、わたしは一旦お弁当を包み直すと、鞄を掴んで、黒い煙を吐き出している汽車に乗り込んだ。
客車に足をかけた時、先頭の機関車から、黒いコートを肩に掛けた大柄な男の人が降りてくるのが見えた。
何となく見覚えのある気がするのだけど、遠くてよく分からない。小窓から顔を出した運転手さんが、帽子を脱いでしきりに頭を下げている。
何だろう、と思ったけど、それ以上もたもたしているわけにもいかないので、わたしは汽車に乗り込んだ。




