Part8:マイカ先生の呟き
「座して待つだけなんて耐えられないわ。とりあえず何かしましょう」
籠城が否応なしに決まってから一時間、とうとう奥様がそう言いだした。
もともと落ち着きがない……もとい行動派の奥様にとって、状況の好転を待つなんてナンセンスなことなのだ。むしろここまで時計の針の巡りに付き合ったことが奇跡というべきだろう。
「おいおいどうするってんだよ。頼りないけど警官だって来てくれたんだ。あとは成り行きに任せようぜ」
「そんな無責任は許されないわ。行動する者にこそ勝利は与えられると、戦士のサーガにも書いてあるもの」
「出た、なんちゃらのサーガ! お前昔からそればっかだな」
「偉大なる知恵の言葉の数々よ。先人の経験は大切にすべきだわ」
「ですが奥様、無理に呪いを刺激するとかえって事態を悪化させます。今はわたしの結界で防いでますけど、何かのはずみで呪いが強まってしまったら突破されかねません」
「もちろん軽挙妄動をするつもりはないわ。ともかく、ここでしばらく耐えなければならないとすれば、環境だけでも整えたいのよ。ただでさえ閉じ込められているというのに、こんなに散らかっていたら気分まで滅入ってしまうわ」
そう言って奥様は手を振った。ぴんと伸びた指先を追うと、なるほど確かに落ち着かないくらい汚い。ただただ無秩序だ。
「……なるほど」
「シライナ、手伝ってくれるわね?」
「もちろんです奥様」
「おい、何の話だお前ら?」
「決まっているでしょう、マイカ」
奥様は瀟洒なスリーピースドレスの袖をぐいっと二の腕までめくりあげた。わたしはハンカチを広げて、三角巾のかわりに頭に巻いた。
「掃除の時間よ」
「あっ、あっ、あっ、よせよせよせ! その段を崩すな!!」
「シライナ、全部棚まで運んでしまいなさい」
「承知しました奥様!」
わたしは食卓のほとんどを埋めていた本を集めて、壁際に置かれた棚へと移動させた。マイカ先生の悲痛な声が響いているけれど、抵抗しようにもどうにもならないだろう。すでに奥様の命を受けて、わたしの召喚した蔦で拘束している。可哀そうだけれど、自由にさせていたらいつまでも終わらないとは奥様の言だ。
それにしても、せっかく本棚があるのにまるで使いこなせていない。それぞれの本のサイズを考えず、適当に棚に突っ込んでいるような有様だ。おかげで無駄なスペースが生じてしまっている。
「先生、ちょっと本棚の本を整理しますね」
「あ~っ、何をする!? 俺の秩序を壊すんじゃねえ!!」
「マイカ。野放図は秩序から最も遠い言葉よ。整っていると主張するくらいなら、自分で努力なさい」
「嫌だッ!! 俺には俺の流儀があるんだ!!」
「シライナ、やりなさい」
「了解です奥様!」
「うぁ~……!!」
なんだろう、ちょっと罪悪感を感じる。
でも多少の強制力が働かないと、この人は一生汚部屋住まいだ。すでに食卓の上で、大型のゴキブリの死骸を二匹分見つけている。さっきまでわたしたちがお茶をしていたのと同じ場所だ。つまりわたしたちは、お茶とゴキブリを同時に出されたことになるのだ。
それはよくない。
「よし……シライナ、ここは任せたわ。私は水回りをやってくるから、くれぐれもよろしくね」
片付けが軌道に乗り始めたのを確認して、奥様は颯爽とアパートの奥の方に突撃していってしまった。
ほどなくドア一枚を隔てて、奥様が山積みになっているであろう荷物と格闘する音が響き始めた。時々「ゴキちゃんの死骸だわ!!」と怒っているような楽しんでいるような声が聞こえてくる。
たぶん、結構お楽しみなんじゃないかなあ。
ただ奥様の大ざっぱさと大胆さをよくご存じのマイカ先生は、ハラハラしたような表情で浴室の方を見つめていた。
「先生、どうか観念してください。エンリス人として、こんなゴキブリだらけの環境にいるなんて許されませんよ」
「それはお前らが漁り出して見つけたからだ。お前らが観測しなかったらゴキブリの死骸も無かった!」
「滅茶苦茶ですよそれ」
あまりにあんまりな理屈だった。小説家ってみんなこうなんだろうか。
やや呆れながら本棚の整理を続ける。この家の掃除の要点はおもに二つ。ひとつは大量の本が野放図に散らばっていること。もうひとつは本以外の紙、新聞や手紙類が散乱していること。
つまり紙類を片せば、あとは奥様の魔法で大体の汚れを押し流せるというわけだ。
「先生。この『万国香辛料案内』は図鑑扱いで良いですか?」
「ん? いや、そいつは図鑑っていうより研究書だな。ちょっと開いてみろ、文字ばっかだろ」
「あ、ほんとだ」
「設定の裏付けには使えるけど描写には使えないタイプの本だな。逆に、スケッチとかをまとめた本は描写の役には立つけど設定の裏付けにはちょいと弱い。だから二冊分必要ってわけさ」
「なるほど、そういう理由で本が増えるんですね」
「だから散らかるのも仕方ないんだよ!」
「それはそれ、これはこれです」
軽く流しながら『万国香辛料案内』を料理関係のコーナーに仕分ける。
一応、図書館の配架ルールに則って仕分けているけど、分類ごとの仕切りが分かりにくい。リマインダー欲しいなぁ。
「……シライナちゃん、あんたずいぶん楽しそうに作業をするねえ。自分で言っててアレだけど、他人の持ち物の片付けだよ? 普通面倒臭がるところじゃない?」
「昔から白魔法の基本は掃除にあるって言われてきました。たぶんその習慣のせいですね」
「掃除が基本?」
「ええ。呪いは魔力の澱みに生じるものです。そして、混沌とした空間にはおのずと澱みが生じます。だから先に澱みの方を片付けないと、どんな魔法で呪いを解いたとしてもすぐに元通りになってしまうんです」
言われるまであまり意識していなかったけど、確かにわたしは片付けが上手い方かもしれない。何か物事を始める時も、まずは片付けから入るタイプだ。メラーズ先生の教育の賜物だろう。
「なんていうか、家庭的なんだねえ、白魔法って」
「そうですよ。本来は穏やかで身近な魔法のはずなんです。こんな風に結界を張って呪いから身を守るなんて、そうそうありませんから」
窓の外では相変わらずピクルスのお化けたちがうぞうぞと蠢いている。分かってはいたけれど、時間が経っても減るどころかむしろ増えている有様だ。
さっき警察の人たちが頑張って囲いを抜けようとしていたけれど、案の定あの大声自己紹介アタックで撃退されている。常人はもとより並み程度の魔導士でも突破は困難だろう。
(力業ではどうにもならない。何とかして呪いの根源に働きかけないといけないけど……)
その糸口がどうしても思いつかない。
だってこんな事例、今までどの白魔術師も体験していない。正直わたしのような駆け出し魔導士には手に余る事態だ。
「どうしたら……ん?」
考えながらも手は休まずに動かしていたのだけれど、その時ふと違和感を覚えたのだ。
「マイカ先生、いま気づいたんですけど、雑誌は一種類しか購読してないんですね」
テーブルの上や郵便受け近くに散乱していた本のなかで、雑誌がちらほら見受けられた。『ピットストップ・マガジン』という月刊誌で、わたしもコッツヒルズの本屋さんで見た記憶がある。
奇妙だと感じたのは、これだけ大量に本を集めている人が、雑誌に関してはこの一種類しか持っていないことだ。
「ああ、それぜんぶ見本だよ。『黒樫の騎士団』もまずその雑誌に掲載してたんだ」
「へー……雑誌連載が先なんですね」
「そう。で、ある程度売れたから単行本も出そうってなったわけさ」
ぱらぱらと雑誌をめくる。結構挿絵が多くて、読みやすい。ただ紙質はあまり良くないのかザラザラしているし、装丁も丁寧とはいえない。すぐにページが抜け落ちてしまいそうだ。
なるほど、だからちゃんと単行本って形で出すことに意味があるんだな。
(雑誌……単行本……)
あれ?
「マイカ先生、『黒樫の騎士団』ってもう完結したんですよね?」
「ああ、今月号の『ピットストップ・マガジン』掲載分で完結だ」
「じゃあ単行本はまだ出てないと」
「そりゃあね」
思わずパチンと指を鳴らしてしまった。
「じゃあ書き換えちゃえばいいじゃないですか!!」
大声を出したわたしに対して、マイカ先生が「何言ってるんだこいつ?」と怪訝そうな顔をした。
「えーっと? つまり単行本で出すときに内容書き換えろってこと?」
「そうです!」
「あのなあ。最終話が雑誌で掲載されたのは四日前なんだぞ? ここから単行本出すのに一体何日かかると思ってるんだよ」
「実際に本が出るまで待つ必要はないですよ。新聞とか雑誌とか、ともかく一秒でも早く情報が広まるメディアで、雑誌掲載版とは違う展開にしますって宣伝してあげれば、少なくとも『黒樫の騎士団』のファンには届くはずです!」
「それでこの水虫な事態が収まるって?」
「期待は持てます!」
我ながら名案だと思った。
と同時に、唯一の解決策かもしれない。
呪いのかけ方にはいくつか種類がある。基本的なところでは、呪いをかけたい相手の髪や爪を媒介に使う感染呪術。人形や絵画を対象に見立てて呪う類間呪術。でも今回のこれは、全く新しいタイプの呪いだ。
強いて名付けるなら、共同体呪術、とでも言えるだろうか。
一人ひとりには呪う意図がなくても、同じ「澱み」を抱えた人間が多数並立することによって呪いとして成立する。
……いやいや、ちょっとまて。
(そんなこと、別に珍しくないんじゃ……?)
戦争、迫害、虐殺、侵略。
無数の人間が、ある悲劇に対してネガティブなイメージを抱く。そんなのどこにでもあることだ。
マイカ先生に起きたことは特別でもなんでもない……はずなんだ。
「……嫌だなぁ」
考えに耽っていたわたしの耳に、そんな呟きが入ってきた。
そんなに大きな声ではないし、なんなら外で喚いている怪物たちの方がずっとうるさいはずなのに、妙に強く印象に残った。
それを言ったマイカ先生の表情が、本当に嫌そうだったからだろう。
「先生?」
やつれた顔に爛々とした活力を宿している。まだ出会って少ししか経っていないけど、マイカ・ホワイト先生はそういうタイプの人なのだろうと分かる。
でも「嫌だなぁ」と呟いた時の表情の暗さは、疲労感とはちょっと色合いが違ったような気がした。
「シライナ、ちょっと手伝って頂戴」
奥様に呼ばれた。
「はい、ただいま!」
わたしは全ての作業を中断して奥様のもとに向かった。
独立独歩の奥様が「手伝って」と言う時。それは、何事か厄介な事態に差し掛かったということだから。




