Part6:割と詰んでます
『黒樫の|騎士団《Black Oak Knights》』。
三百年前のエンリスとカーペリア王国の戦争で活躍した、同名の騎士団を取り上げた大作歴史冒険小説。
わたしも途中までは読んでいたけど、就活や卒業論文で忙しくなり過ぎたのと、作品としてはいまひとつ刺さり切らなかったこともあって六巻あたりでやめてしまった。
でも、世間的な評判はすこぶる良いらしい、ということは知っている。きわめて熱心なファンがついていることも。
特に主人公である騎士ギデオン・ロッド卿とその従者ハーキュリーの二人の人気は凄まじく、読者が勝手に二人だけのお話を書いたり、さる貴族令嬢が印刷工房を買い上げて同人誌を刷らせたりと、単に小説の枠を超えた現象を引き起こしたとか。
記念すべき第一巻の中盤で登場した少年従者ハーキュリーは、弓の名手として、また忠実ながらどこか生意気さも残した独特な立ち回りで、主君ギデオンに仕えている。
明るい茶色の髪の毛と溌溂とした黒い瞳、顔立ちは美少年そのものだけれど、頬にすこしそばかすが散っている。決め台詞は「僕が助けに来なかったら危なかったですよ」。
第四巻で、囚われたギデオンのために女装して潜入する話があったけど、社会風俗を乱すということで聖女教会から遺憾の意を表されたりしたとか。
でもダメって言われたら読みたくなるのが人情というものだ。実際、文芸評論家の先生方がいくつかの新聞で是非を取り上げたせいで、『黒樫の騎士団』ひいてはギデオン×ハーキュリーの人気は不動のものになったところがある。
「でもなー、ハーキュリーって実在しない人物なんだよなー。
エンディングのこと考えたら邪魔だからずっと片付けたいと思ってたんだよ。
それがずるずる最終巻まで来ちまったから、もうこりゃあやるしかないと思って、殺っちゃった」
神はぼさぼさの髪をかきながらのたまった。
「そ、そんな雑な理由で……」
「雑じゃあないぞ。作者にとって一番大事なことは、作品を終わらせることなんだから。その邪魔になるっていうなら、そりゃ死んでもらうしかないぜ」
マイカ先生は開き直ったように新しい葉巻に火をつけた。
外ではあのピクルスお化けたちが変わらず蠢いている。どころか、ちょっとずつ数が増えている。奥様は窓際に立って、ライフル銃兵のように杖を構えながら外の怪物たちを威嚇している。
「散りなさい、迷惑よ」
『やだ~』
『やー』
「聞き分けが悪いわね」
鼻から息を吐いて奥様が言う。いくら結界越しとはいえ、あの強烈な呪いと正面から言い合えるあたり、相変わらず奥様の魔法防御力は桁外れだ。
って、関心してる場合じゃない。
「奥様、あんまり刺激しないでくださいっ」
奥様のスカートを引っぱりながら小声で言う。奥様は「むう」と唸って窓を閉めた。
「シライナ。あれはどういう呪いなの?」
「たぶんですけど……作中でハーキュリーが死んでしまったことに対する読者の悲しみが具現化した姿、だと思います」
自分で言ってて「ほんとかよ」と思ってしまう。
でもそれ以外に考えられない。
「死んだといっても、小説のキャラクターでしょう? それでこんなことになってしまうの?」
奥様はより一層信じられない様子だった。もともと小説を「まどろっこしい」と言って読まないような人だ。ファンの心理なんて想像の埒外だろう。
「まるきりあり得ない話ではないです。八島連邦では、男女の心中を描いた演劇が大ヒットしたせいで、真似をするカップルが大勢出たと聞いたことがあります」
「バルトラント大公国でも似たような話があったな。ウェルターって青年が、つまらねえ恋愛沙汰でぐたぐた悩んだ挙句自殺する小説に引き摺られて、たくさん死んだそうだ」
「どうかしているわ」
わけが分からないという顔で奥様が言う。
「そう、物語には人間をどうにかしちまう力があるってこった。まさか自分の書いた小説で、こんな事態になるとは思わなかったが……」
作者であるマイカ先生自身も、いまひとつ事態を消化しきれていないようだった。
(でも、確かに奇妙だ……)
白魔法の研究は呪いの研究と表裏一体。学院にいる間、大魔法のヒントを探すためにありとあらゆるケースにあたってみた。
一五〇年前の八島の件も、一〇〇年前のバルトラントの件も、今になって考えてみるとある種の呪いと言えるかもしれない。現に人死にまで発生しているのだから、かなり性質の悪い呪術だろう。
でも、今回みたいに呪いが具象化してはいない。
怪物を生み出すほどに強力な呪いなんて、それこそ戦争や侵略で大量殺人があった場合にしか起きないのだ。
どうして、マイカ先生の作品にだけそういうことが生じたのか?
やっぱりコアなファンを生み出してしまったから?
人気キャラクターをあまりに雑に処理してしまったから?
だとしたら、今後マイカ先生に限らず、ヒット作を生み出した作家は全員何らかの形で呪われかねない。宙吊りにされて呪いの声を叩きつけられ、ついにエンリスからは小説家がいなくなってしまうだろう。
「ともかくどうにかして呪いを解かないと、コッツヒルズどころかホテルにもたどり着けませんね」
「全部倒してしまったらどうかしら」
そう言いながら、奥様は手の平に杖を打ち付けた。わたしとマイカ先生は揃って溜息をついた。
「お前ほんとそればっかだな」
「あのピクルスのお化けは呪いの一部に過ぎません。倒しても何の意味もないですよ」
「私、そういうの嫌だわ。面倒で。火力でなんとかならないかしら」
「残念ながら無理かと」
「そう……」
窓際に体重を預けて物憂げに溜息をつく奥様は、なんだかちょっと艶っぽく見えた。旦那様、ここに居合わせたら喜んでただろうなあ。
「シライナちゃん、あんたプロの白魔女なんだろ? あれどうにかならねえ?」
そんなネズミ退治みたいなノリで言われても。
「王なる黄金樹ならどう? 私の魔力を継ぎ足せば発動できるはずよ」
「それも考えたんですけど、やっぱり呪いの本体に働きかけないと意味がないと思います」
「呪いの本体?」
わたしは結界樹の向こうで蠢いている怪物を一瞬見やった。先ほどまでのように叫んではいないけれど、むしろ存在感は増してきている。単純にウェスト・サイド・エンドの街路を埋め尽くすくらい増えているのもあるけれど、まるで結界越しにわたしたちを観察しているかのようだ。
一体一体に明確な意思はない。でも、その背後には明確か、あるいは不明確な意識が無数に存在している。そんな集合的な意識がわたしたちを、いや、マイカ先生を見張っているのだ。
「あの怪物たちは読者の皆さんの怨念そのもの。つまり呪いをかけているのは、エンリス島で先生の本を熱心に読んだすべてのファンに他なりません。
しかも、呪いの性質が性質です。意識的に先生を呪った人もいるかもしれませんが、ただ単純に嘆き悲しんでいるだけの人もいるでしょう。その人たちに解呪するように迫っても無意味ですし、仮に一人二人の解呪が成功してもこの現象は消えません」
マイカ先生にプロと評してもらった手前、嘘をつくわけにはいかない。下手な楽観論はかえって状況を悪くするだけだ。
先生はしばらく押し黙って葉巻を吸っていたけれど、やがて口を開いてドーナッツ型の煙を器用に吐き出し、言った。
「えーっと、つまりは詰んでるってこと?」
「はい、割と」
申し訳ないけど、そう答えるしかなかった。




