Part1:いい感じの午後
朝六時半から始まった仕事は、午後三時半に「お茶にしましょう」という奥様の声掛けで終わる。
「はい、奥様!」
わたしは直前まで調整していた護符を手に取り、他の仕事道具も全て鞄に入れて、書斎を後にした。
カートレット夫妻にプライム・メイドとして雇われて一月。
午前中のほとんどは、男爵家宛てに送られてきた手紙や書類の整理、返信で過ぎていく。
さすがは貴族というべきか、このコッツヒルズのお屋敷以外にも管理すべき不動産や金融資産がある。
それらについての銀行や税理士からの報告書や手紙を捌いていくのはなかなか面倒らしく、お屋敷で働くようになってわりとすぐに旦那様から任されるようになった。
「おかげ様で、家でくつろぐ時間ができた。イルマはこういう仕事にはまるきり向いていないからね」
そんな旦那様の言葉を聞いていた奥様は、否定するどころか強く頷いていた。
「まったくよ。捌いても捌いても仕事が降ってくるなんて、悪夢だわ」
事務仕事ってそういうとこありますからね。
で、一応は「メイド」とついているわたしが机で万年筆の筆先を削っているあいだ、奥様は鼻歌を歌いながら家事仕事をガンガン片付けていく。
ふつう逆だと思うのだけれど、奥様は家事が好きで仕方ないという。
旦那様からも「好きなだけやらせてやってくれ」と言われている。
だから、わたしが首都の税理士宛てに代筆を書いたり、株式の明細をまとめる一方で、奥様はじっくり時間をかけてパンを焼いたり浴室のカビをひたすら擦り落としている。トイレでさえ鼻歌混じりに床を拭きちり紙を補充しているくらいだから、筋金入りだ。
この前なんか、ドライハーブで作った芳香剤を渡すと大喜び(表情変わらず)で設置していたぐらいなので、家にまつわることはとことんご自身でやりたいのだろう。
なんとかチャンスを見つけては家事仕事を手伝おうとしているのだけれど、なかなかその機会は巡ってこない。
一応メイドとして雇っていただいたのだから、もっと身体を動かして働くと言ったら「ゆっくりパンを焼く以上の贅沢なんて無いのよ」と言われてしまった。
でも、わたしは白魔女にしてプライム・メイド。椅子の座面を温めるだけが仕事じゃない。
「参りました、奥様」
一礼して応接間にはいると、奥様はもう椅子に座って待っていた。
「お疲れ様。腰が疲れたでしょう?」
「奥様こそ。今日も一日中動いておられたじゃないですか。たまにはわたしにもお掃除を手伝わせてください」
「残念ながら、我が家の掃除は私の指先一本で済んでしまうもの。面倒臭い机仕事をやってもらった方がずっと嬉しいわ。さ、それよりも早くお茶を淹れてちょうだい」
「かしこまりました!」
奥様の言葉通り、お屋敷の掃除は奥様の指の一振りで終わってしまう。家の廊下を薄い波が走り抜けて、溜まった砂ぼこりも何もかも全部ゴミ箱に運んでしまう。
それでも落とせないしつこい汚れを見つけたら、奥様は目を輝かせて擦り落としに行ってしまう。
そんなカートレット家で唯一わたしがもぎ取ることができた家事手伝いが、アフタヌーンティーを淹れることだった。
もちろんただのお茶ではない。
「シライナ、今日は何を淹れてくれるの?」
絡めた両手のうえに、いつもと変わらない凍えるような美貌を載せて、奥様がたずねた。
一方、隣の椅子の背にかけられたエプロンでは、クジラやペンギンたちがワクワクした顔でわたしを見ている。
「知り合いから良いハーブを仕入れたので、ハーブティーにしようと思います」
「素敵ね」
素っ気ない口ぶりだが気にならない。エプロンの住人たちは大喜びしている。
なんだか最近、奥様のこの鉄仮面ぶりと実際の感情のギャップを見るのがクセになってきた。
「カップはどれにしますか?」
「それくらい自分で取るわよ」
「いえいえ、メイドにお任せください」
「もう。なんだかむず痒いわ」
「お気持ちは分かりますけどね。使用人がいることに慣れなさいって旦那様も仰っていたので」
奥様はまだ「もう」と言いたげだったけど、結局、ヘルミ社の柄付きのカップを選んだ。
エンリス南部ではあまり馴染みのないブランドで、たしかそんなに値段も高くない。
お役所の下級役人や巡査長みたいな、首都の中流階級の奥さんでも無理なく買える。
もっとも、そういう人たちほど貴族が好んで使うブランドを求めるものだ。
でも奥様にとっては、緻密な装飾がほどこされたカップよりも、無骨なラインに原色の簡素な花柄が描かれたヘルミのカップが良いらしい。
そして、一見すると繊細な貴婦人といった容姿の奥様が、このぽてっとした可愛らしいカップを手に取っていると、なんだかすごく絵になるのだ。
だって、綺麗な人が綺麗なカップを持っているなんて、当たり前すぎてつまらないもの。
(……ちょっと欲しいかも)
いま使っている量産品のカップも決して悪くは無いけど、せっかくお給料をもらえるようになったのだから、どこかで奮発しても良いかもしれない。
まあそれはともかくとして、いまは目の前のお茶だ。
わたしは二人分のカップをテーブルに配置すると、鞄から小さな瓶を取り出した。
コルクを抜いて、中から乾いた花びらの塊をふたつ、それぞれのカップに落とす。
杖帯から杖を抜き、それぞれの花に向かって一振り。呪文を唱えなくても使えるくらい慣れ親しんだ術だ。
杖の先から白い霞のようなものが現れ、カップの底にシロップのように溜まる。そしてすかさずお湯を注いだ。
「シライナ、今の魔法は?」
「香りと薬効を高める術です」
説明する間にも、お湯で開かれた花弁が水を薄緑色へと変えていく。乾いていた花が満開の時を思い出したかのように瑞々しさを取り戻していく。
湯気とともに爽やかな香りが立ち上った。紅茶とはちょっと違う、花そのものの匂いが封じ込まれている。エンリスにはない、異国の香りだ。
「本日は黄龍帝国奥地の寒峰山脈で採れた翡翠睡蓮茶。効用はおもにリラックス、肌の美容、睡眠の改善。花そのものも食べられますので、飲み終わったらお試しください」
「ありがとう、いただくわ。貴女も座ってちょうだい」
カップを手に取り奥様が言った。わたしは奥様の真向かいに座り、自分用の素朴なカップを持ち上げた。
一日の仕事が終わり、こうしてアフタヌーンティーが始まる。




