92.買い物ついでの神業
OTK商会の高級服飾フロアは、完全にエスメラルダの独壇場と化していた。
マリアは混乱する頭に鞭を打ち、商会の奥から最高級のドレスやワンピースを次々と運んできた。
エスメラルダはそれらを一つ一つ丁寧に確認し、ソフィアの身体に当てては嬉しそうに頷いている。
「ああ、これも似合いますわ。こちらの若草色のワンピースも、ソフィアちゃんの澄んだ瞳にぴったりね」
エスメラルダは目を細め、心底楽しそうにソフィアの髪を梳いている。
次から次へと持ち込まれる衣装の前に、ソフィアは為す術もなく着せ替え人形状態になっていた。
彼女は鏡の前で少しだけ首を傾げ、なぜ自分がここまで好かれているのかと不思議に思う。
「ごめんなさいね、ソフィアちゃん。まるで着せ替え人形のようにしてしまって。わたくし、女の子に可愛いお洋服を着せるのが長年の夢だったのよ」
「お義母様の夢、ですか。えっと、ギルさんには姉妹はいらっしゃらなかったのでしょうか」
ソフィアが小首を傾げて尋ねると、エスメラルダは扇子を落としそうになるほど胸を押さえた。
「かわいいっ。ギル坊のことを、ギルさんって呼んでいるのねっ。いいわ、とってもかわいいわっ」
エスメラルダは身悶えするように喜び、ソフィアをきつく抱きしめる。
その光景をカウンターの奥から見ていたマリアをはじめとする商会メンバーたちは、完全に戦慄していた。
(あの冷酷無比な帝国の女傑を、完全に手玉に取っている。ソフィアちゃん、なんて恐ろしい子なのっ)
マリアたちは畏敬の念を抱いていたが、当然ながらソフィアに手玉に取ろうなどという打算は一切ない。
ただ純粋に、家族の話題を出しただけである。
「兄弟の話でしたわね。確かにあの子には、兄と姉がおりますの。ただ、妹はおりませんわ」
エスメラルダの言葉に、ソフィアはポシェットから愛用の小さなメモ帳を取り出した。
真面目にペンを走らせるその姿を見て、エスメラルダはまたしても心を撃ち抜かれている。
「あの子の姉は二人おりますけれど。少し風変わりなのと、男勝りなのが一人ずつですの。どちらも可愛らしいタイプではありませんわ。わたくしに似て性格も少しばかり苛烈ですし、夫に似て背が高く骨格も立派ですから。だからこそ、ちっこくてかわゆいソフィアちゃんがたまらないの。まるでお人形さんみたいだわ」
「なるほど。お姉様が二人、いらっしゃるのですね」
ソフィアはこくりと頷き、メモ帳に書き留めた。
「お兄様もいらっしゃるのですよね」
「ええ。長男がヴォルグ家を継ぐことになっておりまして、今は領地の経営を任せておりますの。次男は他国に留学中ですね。ですから、ギル坊は五人兄弟の末っ子になりますわ」
末っ子と聞いて、ソフィアは少しだけ目を丸くした。
あの大きく逞しく、少し不器用な破壊神が末弟だとは、あまり想像がつかなかったからだ。
ソフィアがくすりと微笑むと、エスメラルダはまたしても微笑みも可愛いと絶賛する。
何をしても可愛いと全肯定されるため、無能と蔑まれて自己肯定感が低かったソフィアの心は、温かなもので満たされていくのを感じていた。
「さて、これらをすべていただきますわ。マリア、包んでちょうだい」
「ええっ。こんなにたくさん。本当に申し訳ないですっ」
山のように積まれた高級品の数々に、ソフィアは慌てて両手を振った。
しかし、エスメラルダは優雅に微笑んで首を振る。
「何を言うのです。貴女はいずれ我が家に嫁ぎ、貴族の女となるのです。貴族たるもの、決して舐められてはいけませんのよ。おしゃれは、女性にとっての武器なのです」
「なるほど。おしゃれは武器」
ソフィアは真剣な表情で、再びメモ帳にペンを走らせる。
大量の服を買うことと武器になることが若干繋がっていない気もしたが、せっかくの厚意を断るのも野暮である。
今から貴族としての装いを学ぶのだと、素直に受け取ることにした。
◇
買い物を終え、支払いをするためにレジカウンターへと向かう。
しかし、そこにはなぜか人だかりができ、会計を待つ客たちが長い列を作っていた。
「どうしたというのです。ひどく混み合っておりますわね」
エスメラルダが不審に思い、マリアに尋ねた。
「も、申し訳ございませんっ。最新式の魔導レジスターが、突然故障してしまいまして」
マリアが青ざめた顔で平謝りをする。
見れば、カウンターの奥で商会の整備士たちが頭を抱えていた。
強固な封印術式が組み込まれた最新の金庫を兼ねた魔導具であり、故障のせいで術式が解けず、中の金が取り出せなくなっているらしい。
専門の技師を呼ぶにも時間がかかり、商会の業務が完全に停止してしまっていた。
その光景を見た瞬間、ソフィアの瞳に職人としての真剣な光が宿った。
「やります。私に少し、見せていただけますか」
「えっ。ソフィアちゃん、ですがこれは複雑な最新式で」
戸惑うマリアたちをよそに、ソフィアは魔導レジスターの前に立った。
目を閉じてそっと手をかざし、微弱な魔力の流れを繊細に感じ取る。
頭の中に緻密な回路の図面が組み上がり、すぐに原因を突き止めた。
内部に張り巡らされた回路の一部が、魔力過多によって焼き切れてしまっているのだ。
「この程度なら、すぐに直りますわ。マリアさん、細めのピンセットをお借りできますか」
ソフィアは受け取ったピンセットを使い、迷いのない手つきでレジスターのわずかな隙間から内部の回路に触れた。
焼き切れた部分を先端でわずかに削り落とし、残った回路をミリ単位の精度で繋ぎ合わせる。
カチリ、と。
小気味良い音と共に魔力回路が再接続され、レジスターの封印術式がスッと解けた。
開かなかった引き出しが、滑らかに飛び出してくる。
「おおおっ」
周囲の客や店員たちから、一斉に感嘆の声が上がった。
商会の整備士たちがお手上げだった複雑な最新機器を、魔法杖職人の少女がピンセット一つで直してしまったのだ。
マリアは目を丸くし、何度もソフィアに頭を下げて礼を言った。
「まあ。ソフィアちゃんは、可愛いだけではないのね」
一部始終を見ていたエスメラルダが、扇子を広げて感心したようにため息をついた。
自身の見立てた可憐なドレスを着た少女が、一流の職人として鮮やかに問題を解決してみせたのだ。
そのギャップと有能さに、女傑の心はさらに深く射抜かれていた。
「大したことはしておりませんわ。人のために、私の技術が何かお役に立てたのなら、それが一番嬉しいですから」
ソフィアは少しだけ恥ずかしそうに頬を染め、心からの純粋な喜びを口にした。
「人のために何かできて嬉しい。そのお考えが、また素晴らしいですわっ」
権力や名誉ではなく、ただ誰かのために尽くすことを喜ぶ。
その濁りのない真っ直ぐな心根に、エスメラルダの溺愛はもはや限界を突破していた。
「かわいいっ。本当に、自慢の娘ですわっ」
「ひゃっ。お、お義母様っ」
エスメラルダは周囲の目も憚らず、ソフィアを力いっぱい抱きしめて頬ずりをする。
お買い物の最中であっても、ソフィアの職人としての腕前と愛らしさは、帝国の女傑を完全に骨抜きにしてとろかせてしまうのだった。




