70.二次試験の準備
カランコロン、とドアベルが鳴り響き、やって来たのは二次試験の打ち合わせに向かうはずのガンダールヴルである。
本来ならば彼一人が迎えに来るだけで良かったはずなのだが、その背後にはソフィアを溺愛する二人の老賢者、ファフニールとラーズスヴィズが当然のようにくっついてきていた。
「おおっ、我が弟子よっ。今日も可愛いな」
「迎えに来てやったよ、ソフィア」
「あ、ファフニール様。ラーズ様。それに、ガンダールヴル様も。おはようございます」
店に入るなり、世界最高峰の魔法使いたちが目尻を下げてソフィアを甘やかし始める。
「おいソフィア。なぜこの剣ババをラーズなどと愛称で呼ぶのだ。余もファフ様とかと呼べ」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「でも……ファフ様では、少々可愛らしすぎないでしょうか……」
「よい。お前なら許す。お前以外は消す」
「えっと……」
一方、ラーズスヴィズはソフィアの頭をよしよし、と優しく撫でる。
「髪の毛はちゃんと梳かしているのかい? ワシが使っていた櫛をやろう」
「え、そ、そんなっ。いいですよ」
「いいんだ。さ、ソフィア。こちらに。ワシが梳いてやろう。おおう、なんと綺麗な緋色の髪だ。緋色の妖精とは、良いあだ名だね」
その光景に、新人のリサは口をあんぐりと開けて絶句していた。
(何なの、このトンデモメンバーに溺愛されている空間は……)
一般人であるリサの視点からすれば、畏れ多くて息をするのすら苦しい状況である。だが当のソフィアは「えへへっ」と照れ笑いを浮かべ、全く気負う様子がない。
そんな中、ガンダールヴルが店内にいたマダム・グランを見て、驚いたように目を丸くした。
「おやおや。久しぶりじゃのう、グラン」
「あなたこそ、随分と立派な長老の顔になったじゃないか、ガンダールヴル」
なんと、二人は魔法学院時代の同級生であった。
思いがけない同窓会のような空気が流れる中、マダムがふと尋ねる。
「リヒト君は元気?」
「……さぁのぅ。出て行って以来じゃからな」
「そう……」
同級生二人の会話を聞いて、ソフィアは不思議そうに首を傾げる。
(リヒト君……って、誰なんでしょう。お二人の共通のご友人……?)
一方、ファフニールがマダムを見て値踏みするように呟く。
「ほう。なかなか見所のある女だな。余の弟子の、弟子志願か」
「否でございます。マダム・グランと申します。『杖の魔女』と呼ばれておりますよ」
「ああ。なんか聞いたことがあるな。まあ、その程度だ。我が弟子の方が遥かにすごいからな」
生ける伝説である杖の魔女を相手に、ファフニールは一蹴してみせた。
この空間には、もはや常識など存在しないのだと悟り、リサはそっと壁際へと後退する。
「ソフィア嬢。実は、二次試験に向けた非常に重要な秘密会議があるのじゃ」
「秘密会議ってわりに、人が多すぎませんこと」
ヨランダが的確なツッコミを入れる中、リサは完全に逃げ腰になっていた。
「あ、あたしは店番をしているから、皆さんは行ってきて」
「ほう。杖の魔女である私が、特別に少し指導してあげようか」
「い、いらないいらないっ。結構ですっ」
マダムの親切な申し出を全力で拒否し、リサは店の奥へと逃げ込んでいくのだった。
◇
場所を移し、一行がやってきたのは帝都の会員制高級喫茶『白銀の猫』の貴賓室であった。
「やあ、フィア。おはよう」
「お兄ちゃん。おはようございますっ」
部屋では、事前に場所を抑えていたジュリアンが柔らかな笑顔で出迎えた。
さらにその奥には、軍服姿のギルバートが腕を組んで座っている。
「ギルさんっ」
「ああ。フィー、今日も可愛いな」
今日初めて顔を合わせた二人は、途端にふにゃふにゃとした空気を醸し出し、お互いに見つめ合って照れまくっている。
「なんですの、これ」
セシルがげんなりとした顔で呟いた。
ジュリアンがコホンと咳払いをし、真面目な顔を取り繕う。
「人払いと、室内への消音処理は完璧に済ませております」
「ふむ。なかなか手際が良いな、ソフィアの腰巾着」
偉そうに頷くファフニールに、ソフィアがむすっと頬を膨らませた。
「ファフ様、ひどいですわ。彼は私の兄弟子のジュリアンです」
「おお、すまないなソフィア。よくやったぞ、ソフィア兄」
(もう名前を覚える気がない……)
ジュリアンが深く溜息をつく中、ラーズスヴィズが表情を引き締めて本題に入った。
「では、二次試験の概要を説明するよ。二次試験は、スリーマンセル(三人一組)でのサバイバルを考えている。二十四名の受験生で、三人組を作らせるのさ」
「あれ」
ソフィアは不思議そうに首を傾げた。
「一次試験の合格者は、二十五名ではなかったですか」
その鋭い指摘に、三人の老賢者がピタリと押し黙る。
ファフニールが、少しだけ視線を逸らして鼻を鳴らした。
「一人は、直前になって恐れをなして辞退したのだ。腰抜けめ」
だが、ソフィアの『虚無の魔眼』は誤魔化せない。
三人の魔力の揺らぎから、彼らが重大な何かを隠蔽していることは明白だった。
(実は、一人重傷を負わされてリタイアしたのじゃ。ですが、試験の体裁を保つため、運営側はそれを隠すことに決めたのじゃよ)
ガンダールヴルの胸の内に渦巻く苦悩が、魔力となってソフィアに伝わってくる。
ソフィアが何かを言いかけた瞬間、ラーズスヴィズが鋭い視線でそれを制した。
「ソフィア。あんたの魔眼が優秀なのはわかっている。だが、それについてあんたが口を挟むべきではない。気にするんじゃないよ」
「はい」
それでも、正義感の強いソフィアはどうしても気になってしまう。
そんな彼女の葛藤を察し、隣に座るギルバートがすかさず温かい手で彼女の肩を抱いた。
「フィー。君は杖の仕事をするんだ。自分の領分でベストを尽くすことが、君に求められた仕事であり、それをこなすのがプロの職人というものではないか」
「そうですね。ギルさんの仰る通りです」
ギルバートの理路整然とした諭しに、ソフィアはスッと肩の力を抜き、深く頷いた。
「それで、サバイバル試験なのはわかりました。具体的な場所はどこになるのでしょうか」
「ゲータ・ニィガ王国にある『奈落の森』でのサバイバルじゃ。そこに一週間滞在し、生き残った者が二次試験突破となる」
ガンダールヴルの言葉に、ギルバートが眉をひそめた。
「かなりハードな内容だな。奈落の森といえば、魔物がうじゃうじゃと生息している上に、食べ物もほとんどない。強烈な瘴気が漂っていて、並の人間では一歩踏み入れただけで倒れるような危険地帯だぞ」
帝国軍の大佐としての見解に、賢者たちは重々しく頷く。
「ソフィアたちにお願いしたいのは、結界の構築さね」
「結界、ですか」
「森全体を試験会場にするわけにはいかないからね。一部分だけを区切り、外部から新しく強力な魔物が会場内に入ってこないようにするための、巨大な結界魔道具の作成を手伝ってほしいのさ」
なるほど、とソフィアが頷く横で、ギルバートが手を挙げた。
「今からそんなものを作るのか。試験が開催されてから準備をするなど、手際が悪すぎないか。俺の時は、もっと短期間で終わったはずだが」
「あの時は、例外じゃ。元々、魔導士選定試験は長丁場なもの。二次試験の具体的な内容は、一次試験の合格者数や彼らの魔法の性質を踏まえてから、それに合わせた最適な難易度を設定するものなのじゃ」
ガンダールヴルの論理的な説明に、ギルバートは「なるほど」と納得して腕を組んだ。
「しかし、奈落の森の瘴気を防ぐほどの巨大な結界魔道具となると、二次試験の開催までかなり時間がかかってしまいますね。数ヶ月は要するはずです」
普通の魔道具師や杖職人としての一般的な見解を、ジュリアンが述べる。ガンダールヴルもまた、それだけの時間がかかることは覚悟の上だった。
だが、ファフニールとラーズスヴィズが不満げに鼻を鳴らす。
「だらしない。数ヶ月だと。もっと早くできるだろう」
「そうだねえ。この程度のこと、サクッとやっておくれよ」
無茶振りにもほどがある。ジュリアンが反論しようとした時、ソフィアがきょとんとした顔で首を傾げた。
「そんなにかかりますでしょうか」
「ほらな、さすがは余の弟子だ」
「言うじゃないか、ソフィア」
老賢者二人が大喜びで膝を打つ。
一方で、ジュリアンは焦ったように身を乗り出した。
「フィア。賢者様たちのプレッシャーを感じて無理をしているなら、できないことはできないとハッキリ言っていいんだぞ」
ジュリアンは、ソフィアが断りきれずに嘘をついているのだと勘違いして庇おうとする。
だが、ギルバートは口角を上げて余裕の笑みを浮かべていた。
「フィーは無茶はするが、決して見栄を張って嘘を言うようなことはしない」
自分の実力と職人としての誠実さを、ギルバートは完全に信じ切ってくれている。
その事実が嬉しくて、ソフィアはパァッと花が咲いたような笑顔を見せた。
「はいっ。お店の留守番はリサさんにお願いできますし、セシルさんがサポートしてくれます。一週間もあれば、十分にアイデアは形にできます」
ソフィアはピンと右手を掲げ、力強く宣言した。
「私の中には、祖父が残してくれた数多の技術があります。八宝斎の知恵をお借りしますっ」
その言葉に、ファフニールがバシッと力強く膝を打った。
「なるほど。過去の八宝斎が紡いできた膨大な知識の中から使えるものを選び出し、今回の奈落の森の試験用にカスタマイズして作り上げるのだな」
「そういうことですっ」
「ふふん、ほら見ろ。よし、我が弟子よ。その腕で存分に八宝斎の威光を示すのだ」
「はいっ」
意気揚々と胸を張るファフニールと、素直に頷くソフィア。
そのやり取りを見ながら、ガンダールヴル、ジュリアン、ギルバート、そしてセシルの四人は、全く同じツッコミを心の中で呟いていた。
(だから、ソフィア嬢はあなたの弟子ではないだろうに)
誰も口には出さないまま、二次試験へ向けた規格外の準備が幕を開けようとしていた。




