71.奈落の森のお忍びデート
秘密会議を終えた後。
ソフィアはいったん、自身の工房であるフクロウ亭へと戻ってきた。
お出かけの準備を終え、ナップザックを背負って帽子をかぶる。てこてこと店の入り口へとやってきた彼女を見て、ヨランダがニヤニヤと笑いながら顔を覗き込んできた。
「ははーん。さては、デートですわね?」
「いえ、ちょっとお出かけです」
「なーんだ。で、どこまで行かれますの?」
「奈落の森まで」
「ステイ! ソフィアちゃんステイっ!」
ヨランダの絶叫が、平和な工房に響き渡った。
きょとんとするソフィアの「一体どうしたのだろう」という表情に対し、ヨランダは「一体この子は何を考えているのだろう」と頭を抱えんばかりの顔になる。
「こ、このヨランダでも、奈落の森がヤバい場所だということくらい知っておりますわよっ」
ヨランダは血相を変え、ソフィアの両肩をガシッと掴んで激しく揺さぶる。
「いいですか。奈落の森というのは、隣国であり今回の開催国の一つであるゲータ・ニィガの東に広がる大森林です。ヤバい、ヤバすぎる凶悪な魔物の巣窟ですわ。そんなところに、たった一人で行くおつもり!?」
「? はいっ」
ソフィアがきょとんとして頷く。
「はいっ、じゃありませんわ! ボッチャーン! ぼっちゃーーーーーん!」
ヨランダは即座に通信用の魔導電話を引っ張り出し、力任せにダイヤルを回して叫んだ。
繋がった先は、もちろん帝国軍の執務室にいるギルバートである。
恋人が単身で死地に向かおうとしていることを知らなかった彼に対し、ヨランダはコンコンとお説教を始めた。
魔導電話の向こうから、軍の精鋭であるはずの大佐の、しおらしい声が聞こえてくる。
『はい……すみませんでした……』
通話を代わったギルバートは、ソフィアに対して焦ったような早口で告げた。
『フィー。行くなら俺も行く』
「いや、でも、お仕事中で悪いですし」
『今から有休を取る』
軍の規律すら即座に投げ捨てようとする恋人に、ソフィアは幻の犬耳をペタンと伏せて困り果てる。
そこでギルバートは、小さく咳払いをして提案した。
『なるほど。では、そうだな。これはデートだ』
「デート……」
『俺がフィーと森へデートに行きたいんだ。俺の護衛付きのデートなら、文句はないだろう?』
「それなら……はいっ」
愛する人からの甘い誘惑に、ソフィアは途端に頬を染め、ぽわぽわと幸せそうな笑顔を浮かべた。
「……坊ちゃん、ナイスですわ」
『ヨランダ、お前もナイスだ……』
魔導電話越しに、常識人であるヨランダと過保護なギルバートの間で、固い絆が結ばれた瞬間であった。
「何騒いでるの、あんたら……」
マダムによる厳しい指導を受け、身も心もボロボロになった様子のリサが奥から現れた。
「あ、リサさん。ちょっとギルさんとデートしてきますので、申し訳ないですが、店番をよろしくお願いします」
「良いわよ。楽しんできて。普段あんた、働きづめなんだから」
普通、上司がデートに行くからと仕事を頼まれれば、嫌な顔をする者もいるだろう。しかしリサにとって、ソフィアは恩人である。それだけでなく、ソフィアの普段の常軌を逸した働きぶりを目の当たりにしているため、「休みは絶対に取るべきだ」と心から思っていたのだ。
「で、どこにデート行くの?」
「奈落の森ですっ」
リサは、信じられないものを見るような目をソフィアに向ける。当のソフィアは、「どんなデートにしようかな。あ、お昼ご飯作らないと」と、完全に休日のピクニックを楽しむような様子である。
リサがたまらずヨランダを見やると、ヨランダもまた、深く肩をすくめた。
「ソフィア」
「はい?」
「もう何度目かわからないけど、やっぱあんたおかしいわよ」
「へ? おかしい……? お化粧がでしょうか?」
「「お化粧以外の全部よっ!」」
◇
こうして二人は転移魔法陣と乗り合い馬車を使い、ゲータ・ニィガ王国に広がる『奈落の森』へと足を踏み入れた。
昼間だというのに太陽の光は分厚い木々に遮られ、周囲には薄暗く不気味な瘴気が立ち込めている。
「少し足元が悪いな。フィー、しっかり掴まっていなさい」
「はいっ」
ギルバートはソフィアの腰を抱き寄せ、危険な森の中でも安全に歩けるよう優しくエスコートする。死と隣り合わせの恐ろしい場所ではあるが、頼もしい恋人と密着して歩くこの状況は、甘いデートそのものであった。
二人の腰には、現状のスタンダードな防衛策である『魔除けの匂い袋』が下げられている。強い薬草と砕いた魔石を混ぜ合わせた、ツンとする独特の香りが漂っていた。
「しかし、とんでもないな。この匂い袋は。魔物が全然寄ってこない」
「軍でも似たような物を使っていると、うかがったことがありますけど」
OTK商会のマリアから聞いた話だ。
魔物が嫌う匂いのする薬草を詰めて作られた匂い袋を携帯する。それが、この剣と魔法、そして魔物が蔓延る世界で出歩くときの、ある種の必需品であると。
「ああ。外回りには必需品だな。しかし魔除けとはいえ、強い魔物はどうしても寄ってくる。が、これは凄い。まったく近づいてこないな」
「へえ……」
「へえって、作ったのは君だろう」
「そうですね。ただ、これお爺さまから教わったものなので。レシピ通りに作っただけですし、凄いのはお爺さまかと」
はぁ、とギルバートがため息をつく。
「どうしたんですか?」
「フィー。俺は心配だよ」
「何に心配してるんですか……?」
「お前が、誰かに攫われてしまうんじゃないかってね」
(この子の手は、黄金を作り出す手だ。欲しがる輩は多いだろう。それこそ貴族とか、他国のスパイとかな)
ギルバートは内心でため息をつく。
もっとも、ソフィアの背後には魔法界の英雄、最強の古竜種、剣の鬼、帝国皇族といった権力者たちがついている。だから、そうたやすく誰かに拉致されるようなことはないはずだ。
しかしそれでも、彼女の生み出す莫大な利益を想えば、手段を選ばずに手に入れようとする輩がいてもおかしくはない。
ギルバートはそう真剣に考えているわけだが、当のソフィアは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「わ、私なんて……連れ去るような人いないです。見た目がいいわけではないですし」
「え?」
「へ?」
(女として、人攫いに遭うくらい容姿に優れているわけじゃない、と言いたいのか……?)
ギルバートは、全く変わらないソフィアの価値観(自分の腕の値段をわかっていないこと)に苦笑する。
そして、そんな彼女がたまらなく愛おしくて、ついからかってしまう。
「すまない。フィーは可愛いからさ。君を攫う男がいっぱいいるかもしれないと考えると、夜も眠れないよ」
「も、もう……。ギルさん、お世辞はやめてください」
「お世辞じゃないさ。君以上に美しい女性は、この世にはいない」
「そ、そんなこと言うなら……ギルさん以上に、か、かっこいい男性は、この世にいないですもん……」
二人で甘く身を寄せ合いながら、鬱蒼とした森を進んでいく。
ふと、ギルバートが周囲を警戒しながら尋ねた。
「魔除けの結界だが、この匂い袋を使えばいいのではないか?」
その問いに、ソフィアは首を横に振った。
「これは、一人分の狭い範囲しかカバーできないんです。それに持続時間も短くて、数日で効果が切れてしまいます」
いくら効果があろうと、広大な森の一部を丸ごと一週間覆うとなれば、莫大な数の匂い袋とそれを補充し続ける人員が必要になる。コストも手間もかかりすぎて、試験の防衛策としては現実的ではないのだ。
「なるほど。それでは確かに……っと。フィー、少し下がっていろ」
ギルバートの鋭い声とともに、森の奥から鼓膜を揺らすような低い咆哮が響いた。
匂い袋の効果をものともしない、巨大で凶暴な熊の魔物が茂みをなぎ倒して突進してくる。
しかし、ギルバートは全く動じない。
彼はソフィアを背後に庇い、片手をスッと前に突き出した。
瞬時に放たれたのは、極低温の氷魔法。
「氷牢獄」
猛烈な冷気が魔物を包み込み、巨大な体をカチンコチンに凍らせて動きを完全に封じ込める。
「業火玉」
そして次の瞬間、ギルバートの掌から超高温の猛炎が放たれた。
極寒から灼熱へ。
急激な温度差による熱膨張と熱衝撃を引き起こされた魔物は、悲鳴を上げる間もなく、粉々に砕け散りながら燃え尽きて灰へと変わった。
「すごい」
瞬く間に脅威を排除した『氷炎の魔導士』の広くて逞しい背中を見つめ、ソフィアはキュンと胸を高鳴らせる。
「ギルさん……かっこいいですっ」
「ありがとう、フィー」
今の騒動を聞きつけて、周囲に潜んでいた魔物たちがザザザッと逃げ去っていく気配がした。
「なんだか、魔物の気配が去っていくような……」
「まあ、奴らも馬鹿じゃあないからな。危険に飛び込まないよう、逃げていったんだろう」
「ギルさんに恐れをなしたってことですねっ」
「だろうな」
(ギルさんが戦うところ……ほんと、かっこいいなぁ。素敵だなぁ。王子様みたい……)
目をキラキラさせて見つめてくるソフィア。
ギルバートは、その真っ直ぐな視線がひどくむず痒かった。そして、この場に他人が居ないせいで、うっかり男としての衝動に駆られそうになる。
が、しかし、である。
(外で、なんてことは、さすがにできん。男として。貴族として。それにソフィアが可哀想だ)
「ギルさん? なんだか、魔力の色が不安定ですが……」
「な、なんでもない! なんでもないぞっ」
(いかん……感情が読めるんだったな。思考まで読まれなくて良かった……)
ギルバートが密かに冷や汗を流していると、安全が確保されたところで、ソフィアは静かに目を閉じ、再び見開いた。
彼女の『虚無の魔眼』が、奈落の森に渦巻く魔力の流れを緻密に捉え始める。
「どうだ?」
「難しいですね。普通の結界装置を立てるのは」
「なぜだ?」
「瘴気が原因です。魔道具に使われる金属が腐食し、正常に作動しなくなります」
「なるほど。そういえば、前に熱で回路が溶けて、魔道具ストーブが暴走しかけたことがあったな」
普通の魔道具を持ち込めば、それと同じような現象が起こる危険性があるらしい。
「通常の魔道具じゃだめなら、もうお手上げではないか?」
「そうですね……」
ソフィアが思案するように視線を巡らせた時。
彼女の視界に、ふと、ひと際大きくそびえ立つ固有の大樹が映り込んだ。
「あれは……」
ソフィアは、その大樹の根元へと駆け寄る。
魔眼を通して見えたのは、驚くべき自然のサイクルであった。その大樹は、森に満ちる毒々しい瘴気を自らの根から吸い上げ、体内で浄化し、純粋な魔力に変換して葉から放出していたのだ。
「これだわっ」
ソフィアの顔が、閃きを得た一流の職人のそれへと変わる。
「ギルさん、思いつきましたっ。この木を使うんです」
「木? 木を……どうするんだ?」
「これで、森の結界を数日で作れますっ」
どうするのか、という質問にソフィアは答えなかった。
彼女はリュックから取り出したメモ帳に、もの凄い速さでアイデアを書き込んでいく。
(きっと彼女にしか見えないものが、見えたのだろう。邪魔してはいかんな)
「フィー。立ったままでは書きにくいだろう?」
「…………」
夢中で魔道具のアイデアをまとめる彼女。
ギルバートは邪魔をしないように、持ってきた敷物を静かに広げてやる。そして、ソフィアがお尻を痛めないようにクッションを出してやると、彼女はすとんとその上に座り込んだ。
彼は、一心不乱に仕事をするソフィアの横顔を、飽きることなくいつまでも優しく見つめ続けるのだった。




