60. 深夜のラーメン
工房の中には、硬い木を削る音だけが響き続けていた。
ソフィアは机に張り付くようにして、一心不乱に手を動かしている。
「フィー」
ふいに、肩を優しく揺さぶられた。
ビクッと肩を跳ねさせ、ソフィアは弾かれたように顔を上げる。
視界の端で揺れる幻の尻尾が、驚きのあまりピンと逆立っていた。
振り返ると、そこには心配そうな顔をしたギルバートが立っている。
「はっ。ギルさん。あれ、なんで朝なのに。お仕事は」
(フィー。まだ朝だと思っているのか。ほんとに集中していると、周りが見えなくなるのだから)
以前は、それを凄まじい集中力だと感心していたギルバートである。
しかし恋人同士となった今、それは単なる彼女の悪癖に映るようになっていた。
「夜だ。外はもう、とっぷりと日が暮れているぞ」
ソフィアがパチパチと瞬きをして窓の外を見ると、帝都の空はすでに深い闇に包まれていた。
時間の感覚が完全に消失するほどの、究極の過集中状態に入っていたのだ。
「フィー。駄目だろう。休憩を取らないと」
「はい」
「ヨランダから苦情が来ていたぞ。自分が何度声をかけても、休んでくれないって」
「ごめんなさい」
深い集中状態にある時のソフィアは、外界の音を一切遮断してしまう。
たとえ口うるさいヨランダの声であっても、全く耳に届いていなかったらしい。
「謝らなくていい。責めているわけではないんだ。ただ、俺もヨランダも、君が心配なだけなんだ」
魔力ゼロの目。ファフニール曰く『虚無の魔眼』は、相手の魔力から心を読み取ることができる。
ソフィアは、ギルバートが怒っていないことを視覚的に理解していた。
彼の心は、心配しているのがわかる。純粋な、恋人への気遣いが見て取れた。
それは申し訳ないと思う一方で、やはり嬉しいと感じてしまうソフィアであった。
(嬉しいだなんて、思っちゃ駄目だってわかってるのに。でも)
彼の温かい心の波動に触れ、ソフィアの口角がふにゃりと緩んでしまう。
「セシル嬢はとっくに寝ている。君の作業スピードと常識外れの技術を見せつけられ、完全に心が折れたような顔をしていたが」
「そうですか」
もう深夜である。
集中が途切れた途端、どっと疲労が押し寄せてきて、ソフィアの体はふらふらと揺れた。
同時に、ぐう、と可愛らしい虫の音が工房に響き渡る。
「あう」
「ふふ。夜食でも食べに行くか」
顔を真っ赤にしてお腹を押さえるソフィアに、ギルバートは優しく微笑んで手を差し出した。
◇
外に出ると、深夜の風はまだ肌寒かった。
ソフィアは繋いだギルバートの手に、温もりを求めるようにぴったりと寄り添う。
「わぁ、ほんとだ。夜なのにお店がやってる」
帝都の裏路地には、煌々と灯りをともす屋台がいくつか並んでいた。
おでんや串焼き、そして湯気を上げるラーメンの屋台である。
(こっちにもあったんだっ)
ソフィアは目を輝かせ、吸い寄せられるようにラーメンの屋台の暖簾をくぐった。
温かい醤油の香りに包まれながら、二人並んで熱々のラーメンをすする。
冷えた体に、濃厚なスープがじんわりと染み渡っていった。
「最近、ちょっと根を詰めすぎではないか」
ふうふうと麺を冷ますソフィアに、ギルバートが静かに問いかける。
「そうでしょうか」
「ああ。前に戻っているぞ。スカーレットの杖を作った時の、あの無茶な徹夜続きに」
痛いところを突かれ、ソフィアは幻の犬耳をぺたんと伏せた。
「フィーの好きなようにするべきだとは思う。でも、君が辛い思いをするのはよくない。別に、責めているわけじゃないんだ」
ギルバートは言葉を選びながら、ぽつりぽつりと紡ぐ。
そして、気になっていたことをつい口にしてしまった。
「君がそこまで張り切っているのは、ジュリアンがいるからか」
「え」
「あ、いや。違う、すまない。なんでもないんだ。忘れてくれ」
ギルバートは慌てて目を逸らし、自己嫌悪に陥るように前髪を掻き毟った。
大人の男が、何を余裕のないことを聞いているのだと、己の情けなさに嫌気がさす。
しかし、ソフィアはそんな彼の不器用な嫉妬が、ひどく嬉しかった。
優しい彼氏の気遣いに、胸の奥がぽわぽわと温かくなるのを感じていた。
ご飯を食べて、再び二人で深夜の帝都を歩く。
冷たい夜風も、今は心地よく感じられた。
ギルバートは、杖作りに関してジュリアンのように専門的な助言ができない自分をもどかしく思っていた。
同じ職人として高め合えるあの兄弟子には、決して立ち入れない領域がある。仕事の話で彼女を支えきれない己の不甲斐なさが、胸の奥で静かに燻っていたのだ。
その微かな悔しさの揺れは、魔力を視ることができるソフィアにはお見通しであった。
「何かあったのですか」
「いや。そうか、君には隠し事はできなかったな」
ギルバートが苦笑して肩をすくめる。
ソフィアは繋いだ手をぎゅっと握り返し、彼を見上げて微笑んだ。
「でも、そういう仕事の内容の話をしないことが、今はすごく助かってもいるんです。ずっと、頭の中が杖、杖、杖でしたから」
「ほんとに」
「ええっ」
「フィーは優しいからなぁ。俺に気を遣ってくれているんじゃないか」
「ええー。そんな、信じてくださいよぉ」
他愛のないことでからかい合いながら、二人はフクロウ亭へと帰り着いた。
「ちゃんと寝るんだぞ」
「はいっ」
◇
帰ろうとするギルバートを待ち受けていたのは、暗闇の中で腕を組むヨランダであった。
「ぎぎぎ」
「うおっ」
「オマエ、ナニヤッテネン」
怨念のような声を上げるヨランダに、ギルバートは後ずさる。
「何をやっているって、フィーとご飯に行って帰ってきただけだが」
「なんで帰ってきているんだーもーっ。いいんですよ、そのまま良い感じにお泊まりとかしちゃっても。ラーメンだったし」
「そういうの、フィーは気にするだろ」
ギルバートが呆れたようにため息をつくと、ヨランダはジタバタと地団駄を踏んだ。
「もーっ。取られちゃうぞ、あの完璧なお兄ちゃん、ジュリアンさんにっ」
「いや、大丈夫だろ」
「大丈夫じゃない。だいじょうぶじゃなぁいっ。二人はまだ結婚もしていないし、婚約もしていないんですからね」
「婚約、か」
その言葉に、ギルバートは少しだけ目を伏せた。
「気にするだろ。だって彼女は、ひどい婚約破棄をされた過去があるんだ。焦らせるような真似はしたくない」
「それは、まあ、そうですね」
ギルバートの真摯な思いやりに触れ、ヨランダも毒気を抜かれたように押し黙るのだった。
◇
翌朝。
しっかりと睡眠をとったソフィアは、すっきりと目覚めて工房に向かった。
セシルは昨日の神業のショックから抜け出せず、まだ怯えた小動物のように隅で震えている。
「セシルさん、今日は休んでくださいまし」
「え、いいんですの」
「ええ。今日は細かい調整をするだけですので」
セシルを休ませ、ソフィアは一人で杖の長さの調整作業に入る。
しばし作業に没頭するソフィア。昨日よりも手元が軽く、作業スピードは一段と速かった。
(ギルさんと、デートできたからかな。ありがとう、ギルさん)
そこへ、カランとドアベルを鳴らしてジュリアンがやってきた。
「おはよう、フィア。ん、いつもよりニコニコしてぽわぽわしているね。何か良いことでもあったのかい」
「うんっ。お兄ちゃん、おはよう。あ、そうだ」
ソフィアは上機嫌に幻の尻尾を振り、調整中の杖を掲げて見せた。
「これは、参加者の一人である、炎の魔法使いフランケさんの杖です。フィッティングの調整をしています」
(もう杖を完成させているのか。なんて速さだ。さすがだな)
ジュリアンはソフィアから杖を受け取り、軽く握る。
握った時に微妙なズレを感じ、同じく杖職人であるジュリアンははたと気付いた。
「まさか、フィッティングも済ませているのかい。さすがに早くないか」
杖の黄金比は、腕の長さが七に対して、杖の長さが三だと言われている。
実際に術者本人の腕の長さを測らなければ、正確なフィッティングは不可能なはずだ。
しかし、ソフィアはすでにそれを済ませているという。
「え。身長さえわかっていれば、骨格から腕の長さを逆算できますよね。履歴書には身長と性別しか書かれていませんでしたけど、多分これでいいと思います。細かい部分は、後から削って微調整しますし」
さらりと恐ろしいことを言ってのけるソフィアに、ジュリアンは目を丸くし、やがて楽しそうに笑い声を上げた。
「ははっ。やっぱり、僕のフィアはすごいな」
最高の兄弟子に手放しで褒められ、ソフィアはえへへと照れ笑いを浮かべる。
職人として認められ、褒められるのはもちろん嬉しかった。
けれど、ソフィアの心の中を一番温かく満たしていたのは。
昨夜、不器用に嫉妬しながらも、ただ自分の体調を心配してくれたギルバートの優しい眼差しだった。
(やっぱり、ギルさんに心配してもらえる方が、嬉しいな)
ぽわぽわと温かい気持ちを抱えたまま、ソフィアは鼻歌交じりに杖の調整を続けるのだった。
次回、いよいよ試験本番です
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